陰陽⑤運命とのつながり

以前も述べましたが、「陽」は始まり、「陰」は終わり、物事は始まりがありれば、終わりがあるとの考えです。

これを踏まえて少し現実味のあることを話します。
命にのり、運を進んでいくなかで、己に目標があれば、自分で始めて、自分で行え、達成する。これで一つの陰陽が完成されます。これは、理論上、運命を進めていく一番単純な要素になります。

例えば、職場へ行って、仕事をして、帰る。
これも一つの陰陽です。このような陰陽は日々生活に多くあります。

運命③”運”の良し悪し

”運”についてもう少し述べたいと思います。
”運”の地図には多くの陸標があり、”目標”または”望み”としましょう。
周りに影響されながら、私たちは運という地図の上で”目標”を決め、
進んて行き、達成すると、また次の目標をめざします。

大きな達成をするためには基本的には一つ一つの目標を重ねていく必要があります。
”運”のいい人は”目標”が割合と連なっていて、運の悪い人は点々バラバラで効率が悪く、
達成するのは難しい。運の悪い人は悪いなにに頑張るしかないです。

太極⑤太極拳スピード

今日も元気よく太極拳。雨も降らなく、暖かいし、天気予報が大きく外れましたね。

太極拳のスローな動きを侮れてはいけません。中心の高さを変えずに

同じ速度で移動するのを心掛けています。
まるで移り変わる、太極のイメージで中心移動をコントロールするのが大事です。

膝とつま先の角度を注意しないと膝を悪くします。
頭を使っての太極拳。己が求めれば求めるほど難しく、深いです。
土日、7:30から8:00聖天宮の前広場で行っています。

陰陽④なぜ”陰”を嫌う?若と老

前回の補足にも成りますが、陽があれば、必ず陰があります。 人の心情としては、陰の方に”暗い”、”下”、”マイナス”など、よくない感情を抱きますが、道教からすると、陰と陽は全くの平等なので、1つ1つの陰陽を個々で見ることが大事です。

人生においては多くの短長の期間の陰陽が同時発生るため、生まれた時から始まるので、どうしても若いうちには陽の要素が多く老いると陰の要素が多くなります。これも陰を嫌うもう一つの面でもありますが、トータルで考えないといけないです。

陰陽③循環?反復、忍耐

よく、陰が極まり、陽に転じる、また、陽が極まり、陰へ転じる、循環として捕らえていますが、1つの陽から陰のサイクルが終われば、また別の陽から陰へと移ります。内容は全く同じであっても時間は先に進んでいます。
同じことを繰り返すことは反復としてはとても大事ですが、過ちは繰り返さないほうがよいとおもいます。とは言え、同じ過ちをするも反復であり、よくも悪くも精神をタフにしてくれるかも。

太極について④定義

 

 

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circle上は”陰陽”であり、太極はその一歩手前の円の部分です。円の外には何にも無い、全てが中にある、それが太極です。囲む線は太極の極限を表す。人の感情、運勢など、非物理的な要素も含まれる。

太極の中で渦が生じ、陰と陽に分て、陰陽から八卦が生まれ、万物が生まれたとした道教の宇宙生成論です。

”太極”について③太極拳バランス

今日も元気よく太極拳。
太極拳のスローな動きを侮れてはいけません。他の武術と運動のように体に覚えさせて惰性でするのではなく、遅い反面、頭を使って手足の1つ1つの動作を確実に決めていくことが大事です。己が求めれば求めるほど難しく、深いです。

太極が陰と陽をバランスよく繰り出すイメージで中心移動をコントロールするのが大事です。

土日、7:30から8:00聖天宮の前広場で行っています。

運命②”命”の乗り心地

”命”は乗り物、”運”は地図。
移り行く”陽”から”陰”に適用する必要があります。

”命”がよくても、何もしないと、よい”命”も悪くなります。例えば、親に頼りきりならば、親が亡くなれば困るし、容姿が端麗、健康な体でもいずれかは老いる。
生まれ持った”命”をその時々の移り変わりに順応する必要があります。

”太極”について②太極拳の動き

DSC04254taichi600X450昨夜、天気がよく、けさ、放射冷却のため、寒いです。こころなし息が白い。まだ11月なのに。
今どきの7:30は太陽が低く、相変わらずまぶしいけど、全身であびる朝日もいいものですね。体を動かすと直ぐにあったまりした。今日も元気よく土、日の太極拳です。

弧をえがく太極拳の動きは空間を裂くよりは空間を包みこむ動き。
包みこんだ空間を攻撃と防御で放つ、また包みこんで放つの繰り返しです。
まるで陰陽を呼吸とする太極のようです。

他の宗教を信じていますが、道教も学んでもよろしいでしょうか?

”道教的には構わないです”。
学問の道教も信仰の道教も自由です。

”道教”の宗教は老子のおかげで”信仰”の部分と”哲学”の部分に分けてくれました。
哲学から入るもよし、信仰から入るのもよいです。

信仰の部分は神様からご利益をいただくのと哲学の部分は”道(TAO)”として、近年、アジアより欧米のほうがよく研究されていています。

※訂正2015・12・21:”信仰”と”宗教”を逆に書いていました。