男女は互いを高める役割

男性は女性より僅か陽が多く、女性は僅か陰が多いと以前はなしましたが、
男性は女性より陽が引き立ち、女性は男性より陰が引き立ちます。
男性の女性より勇気(突破力)が増し、女性は男性より自信(持続力)が増します。一種の魂の化学反応とも言えよう。
これは男女の交わりと関係なく、近くいるだけで起こることです。
生きていく上で男性は女性の持続力、女性は男性の突破力をもって互い安定してきます。

成熟した社会ではこの線引きはゆるくなります。

天災は神様の怒りではない

自然の投稿と同じ例えを挙げますが、神様の怒りにより昨今の大震災は東北の人々の行えのため起きたわけではありません。
ではなぜ天災を神様の怒りのせいにするのでしょう。これは一種の錯覚バイアスです。1万年の歴史もある人類、また全地球に広がっていれば、無機質な自然により善い人も悪い人も同等に傷つけるでいると思います(同等に恵みも受けていますが)。天災は神様の怒りの業ではありません、なぜならば神様は自然に自然を任してあるからです。

自然と同様、神様も我々との次元(時、力)が余りにも違いすぎて人知が理解すことはできません。
以前も申しましたが、神様が下す罰を天罰と称するならば、生まれた運命といがみ合い人間同士を一緒にすることでスマートに与えられるので、わざわざ神様自身の手を煩い、また自然を使うまでもない。
人間からすると自然より神様の方が厄介と思います。自然は無機質であっても、経験また科学の進歩により少しは予測できますが、神様の方はとんでもなく複雑で予測は難しい。以前も申しましたが善いことをすれば必ず良い報い、悪いことをすれば必ず悪い報いがある訳ではありません。神様は何かの法則で動いていると思いますが、どうであれ、悪いことよりは善いことをしてたほうがよいと思います。

自然とどう順応

”自然に順応”=”昔に戻る”ではありません。人類は問題を抱えなも技術革新、教育により60億人まで増えてきました。これは昔の様々な飢饉、疫病、悪政、偏見に打ち勝ち、勝ち取った栄光と私は思います。
だだ自然と我々の次元(時、力)が余りにも違いすぎて、謙虚な気持で自然と向き合わなければならない。

一例ですが、一番簡単な自然との順応は自然が起こす天災の通り道からそれることです。地震のない所に行けば地震はない、津波が及ばない所に行けば被害はない、それだけです。人類は技術により自然を少しずつ予知で来るようになりましたが、想定外がまだ多々あるので自然に対しての安全と言った神話はないと思います。

天災は自然の怒りではない

天災は自然が崩れたバランスを戻そうとする役割を果たしているだけで、決して自然の怒りではありません。
例えば、昨今の大震災は東北の人々の行えにより起きたわけではありません。
たとえ人間の営みにより地球温暖化が進み、天候不順になっても、それは自然の怒りではなく、ただ淡々とバランスを取り戻どそうとしている自然本来の役割を果たしているだけで、決して人間を意識している訳ではありません。自然と我々には余りにも次元が違いすぎて我々の存在を意識するまでもなく、存在すら知らないかもしれません。我々が自然に順応した方が賢明と思います。