自殺はむしろ逆効果

自殺の相談はたまにありますのでお答えしたいと思います。

自殺は残された家族と周りは大変のと、本人にも百害あって一利なし、むしろ逆効果です。
死んで、新たにスタートをもらえる、そんな甘いことはない!!!
人の3つの要素、”魂”、”魄”、”心”、の”魄”(”物理的な”体”)を捨てるのは物を粗末する大罪であり、”行え”としても大罪です。
宗教を持って苦しむ人を脅すことはあんまりしたくないが、自殺をして、輪廻転生で生まれ変わっても必ず今より酷い所(運命)に行かされます。自殺は再スタートになるとの考えは大間違いです。この世は広く、悪い所(運命)よりも、さらに悪い所(運命)はいくらでもあります。自殺をして今の一瞬を逃れても、悪夢はそのままそっくりプラス大罪を犯した罰、が来世の現実として続きます。
辛いけど、是非、無い所から気力を振り絞っても、人に助けを求めるなど、プライドを捨てるなど、生きることをあきらめないこそが唯一の方法です。現世(残された周りの人の迷惑)、来世(自分の迷惑)を考えると自殺だけは絶対にやめてもらいたいです。

検察キーワード:死ぬ、自殺願望、命を絶つ、希望がない、リストカット、ビルから飛び降りる、いじめ、術がない、後がない、相談、相談できない、助けて、本当は死にたくない、分かってもらいたい

投稿者:

聖天宮法師

引用するする場合はこちらの blog を必ず表記してください。 http://www.seitenkyu.com/blog2/

“自殺はむしろ逆効果” への278件のフィードバック

  1. 自殺したら来世苦しむとかよく聞きますが自殺した人に直接聞いたんですか?聞けるわけないですよね
    ただの宗教、オカルト的発言ですよね
    自殺まで追い込まれてる人をさらに追い込む事になるの分からないんですか?
    自殺止めるためにこんなふざけたこと書いてるならやめていただきたい
    自殺しようが殺人しようが寿命まで生きようがどうなるかわ死んだ人しかわかりませんよ
    それとも科学的に証明出来るんですか?

    1. ①自殺して“楽になった”と死んだ人から直接聞いたともない。
      ②死んだら苦しみが無くなる科学的な証拠もない。
      ③苦しいなら”死んでもいいよ”とは言えない。

      自殺を思い止めるためであれば宗教も一つの手段と思います。
      自殺は自分の意思、殺人は他人の意思、寿命は所謂“天”の意思、せめて自分の意思で死ぬのは止めた方がよいと思います。

      因みに、“自殺したら来世苦しむ”と言っているのは世界の主な宗教であり、オカルト的な発想ではない。むしろオカルト的の方が自殺・集団自殺を誘発した例が多い。

      1. それでは
        病気で苦しんだ人が安楽死を望み安楽死で死んだ場合も
        苦しい所に生まれ変わるのでしょうか?

        1. かきんだし への返信。

          2022年6月6日 8:59 PMのコメントの抜粋
          安楽死について
          以前も書いた、2021年1月20日 4:56 PMコメント(投稿ではない)
          ・・・人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さと自分に対しての弱さ。
          ※自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、疫病、老いなど
          以上を踏まえて、安楽死を容認する国々は“自然に対しての圧倒的な弱さ”を客観的なルールを以って
          第3者が行う行為であり“自分に対しての弱さ”は容認していない。
          安楽死に関しては2021年11月6日 3:43 PMのコメント(投稿ではない)で書いているので読んでね。

          以上の以上を踏まえて、
          安楽死を望むだけでは“安楽死”はできるわけではない。

          それぞれの国が認める安楽死であればそれは“自然に対しての弱さ”なので
          それは現世も来世においても不利にはならない。

          もし安楽死のハードルを下げ、倒産、愛する人の喪失、失恋など、本人の意志のみで自殺、
          または自殺ほう助を容認するのであればその国・社会は滅びるであろう。

          1. 国が認めれば現在も来世も不利にはならない?
            随分とまあ曖昧な解釈ですね。どこまでが“自然に対しての弱さ”なのでしょうか?
            肉体的な病気の苦しみと精神的苦痛の何が違うのでしょうか?
            肉体的な苦痛が安楽死に値し、精神的苦痛は自殺や安楽死には値しないと言いたいのですか?
            あなたはお気楽な人生を過ごしてきたのですね。

          2. ムックン777への返信

            逆!
            寛容の国でさえ、厳しい客観的なルールがあると言っている。

            自然に対しての弱さについて
            具体的に書こう。
            物理的な弱さは物理の法則に逆らえない弱さ。

            精神的苦痛について
            精神的苦痛ね・・・聞きがよいが、じゃ、具体的な例を挙げてね。

            以下のコメントに貴方が言う精神的弱さの具体的な例をあげている。
            2022年6月21日 3:48 PM コメント抜粋
            もし安楽死のハードルを下げ、倒産、愛する人の喪失、失恋など、本人の意志のみで自殺、
            または自殺ほう助を容認するのであればその国・社会は滅びるであろう。

            もっと具体的に書こう。
            倒産:社長、社長ともてはやされ、人は顎で使っていた人が倒産して、従業員に唾をかけられたら・・・自殺してよういか・・・

            愛する人の喪失:溺愛した伴侶が実は嫌われていて死んでも悪口を言われる(晋三と昭恵のように)・・・自殺すると思うか・・・もう一ひねりを足したいが・・・

            失恋:16歳の初恋、実は親友と寝ていた、学校に行くと苛められると思い込む・・・自殺してよういか・・・

            以下を参考に
            2021年7月8日 4:37 PM コメント抜粋に類似例
            錯乱状態の自殺について
            法律の専門家ではないが理論的に考えると、
            “錯乱状態”で“他人”を殺した場合、第三者でその責任能力の有無を測り、“錯乱状態”とされた場合、犯罪としては成立しない。

            では自殺について考えると、自殺はこの世では罪にないがあの世で罪にる。道教では他人を殺すと同様、自分を殺すのも罪である。
            よってあの世で“錯乱状態”とされた場合(強調)は、いわゆる“自殺”ではなく“病死・寿命”あつかいになる。あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”をした本人が一番わかると思うが・・

          3. あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”した本人が一番分かる?
            全くもって意味不明ですね。自殺をした人のほとんどは多かれ少なかれ錯乱状態だと思いますよ。
            倒産:多額の借金で厳しい取立てにあい、生活苦で一家離散した場合は?
            愛する人の喪失:自身に何の過失もないのに幼い子どもを理不尽な事故で失った場合は?
            失恋:親友に寝取られた挙句に嘘の噂を流され実際に酷いいじめを受け続け誰も助けてくれなかった場合は?

            家族に障害者がいて病院や行政の支援も満足に受けられず、自身の仕事にも影響を受け、相談する友人もいない場合は?

            精神的苦痛は人それぞれで無数に存在します。あなたにとっては取るに足りない理由でも当人にとっては自殺するに足る理由や事情があるのです。

            安楽死のハードルを下げた国·社会は滅びるであろう?
            あなたの個人的感想ですよね。違うのでしたら具体的な国や地域を仰ってください。

            繰り返しになりますがお気楽で幸せな人生を過ごしてきたのですね。

          4. ムックン777 への返信。

            違うし、またまた、逆だし!

            僕が書いたのは、
            「もし安楽死のハードルを下げ、倒産、愛する人の喪失、失恋など、本人の意志のみで自殺、または自殺ほう助を容認するのであればその国・社会は滅びるであろう。」
            要約すると
            「本人の意思のみで自殺を認める国・社会は滅びるであろう。」

            ※※※人の言葉を一部、切り取り、好きに繋げる手法はよくないよ。※※※

            論理的に説明する。
            「本人の意思のみで自殺を認める国・社会は滅びるのであろう。」は僕の主張なので
            滅びないその国と地域を貴方が見つければ僕の主張は間違いであると証明ができる。
            なので、その国・地域を逆に教えてもらいたい。

            あなたの個人的感想ですよね。について
            それはお互い様と思うが・・・
            もちろんこれも個人的な感想・・・

          5. 前歴補足

            逆!
            寛容の国でさえ、厳しい客観的なルールがあると言っている。
            ⇨それは“安楽死”に対して“国”が決めたルールの話ですよね。

            私が曖昧だと言っているのはこの世の国が決めた判断基準で現世や来世が不利にはならないと断言するあなたの物言いに対してですよ。

            私は自殺や安楽死を積極的に推奨しているわけではないですが、単純に否定も出来ないと言いたいのです。
            生きる権利と同様に死ぬ権利もある事を深く考えたほうがいいですよ。

          6. ムックン777 への返信。

            死ぬ権利ね・・・聞きはよいが・・

            自分の意志で生まれていないのに自分の意志で死ぬのは勝手では・・・
            生の根源は何かも知らず、“死ねば楽になる”、これは安易な発想!

            “楽しい時”は“生きる”、“苦しい時”は“死ぬ”、身勝手と思うが・・・

            これも以前、幾ともコメントしたが、『人は生まれた時から自分の将来を悲観視し“消えたい”・“自殺をしたい”気持ちは持たない。』比べて初めてその様な気持ちが起きる。

            これも以前2021年9月17日 1:14 PMのコメント抜粋

            では人は何時から“消えたい”・“自殺をしたい”を考えるようになるのでしょうか?
            それは他人と比べ始めた時、また自分の過去と比べ始めた時。
            他人と比べた時(若い人が陥りやすい):情報で溢れている昨今、ニュースになるのは両極端、極端に良いか極端に悪いか、人は陽の存在なのでどうしても良い方良い方と比べる。向上心を持つのはよいが、他人の情報は参考にする位にして、あんまり真に受けない方がよい。
            自分と比べた時(年配の人が陥りやすい):主に時間軸と関係ある、人は陽の存在のなどでどうしても若い時の活発的で健康な状態を切望する。若い時の尺と年取った時の尺を一緒にしないこと。また昔、使った尺は参考にして、今は今の尺で行わないと。これらの尺は混用すると“消えたい”または“自殺したい”気持ちに陥る。

            以上の再スタートを死なずに同じ人生で出来ればどれだけ凄いことか。

          7. 滅びない国と地域を教えろなんて言い分が悪魔の証明だという自覚はあります?
            どこが論理的な説明なんですか?

            あと他の質問に対する回答がいっさいないですね。
            ※※※あなたも私の話の一部を切り取った回答で誤魔化していますよ。そのような手法はよくないね※※※

            あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”した本人が一番分かる?
            全くもって意味不明ですね。自殺をした人のほとんどは多かれ少なかれ錯乱状態だと思いますよ。
            ⇨この点についての見解は?

            それぞれの国が認める安楽死であればそれは“自然に対しての弱さ”なので
            それは現世も来世においても不利にはならない。
            ⇨繰り返しになりますが、私が曖昧だと言っているのはこの世の国が決めた法律や判断基準で現世や来世が不利にはならないと断言するあなたの物言いに対してですよ。

            精神的苦痛ね・・・聞きがよいが、じゃ、具体的な例を挙げてね。
            ⇨私なりの具体例は挙げたんですが‥‥

            お互いが噛み合わない個人的感想を言いあっている部分はありますが、残念ながらあなたの回答には論理性は欠片も感じられません。
            出来るのであれば数千·数万人単位でどちらの言い分が論理的なのかアンケートでも取ってはっきりさせたいところですよ。

          8. ムックン777 への返信。

            4つの「でさえ」で既に答えたつもりだが・・・

            まず「でさえ」の 文法的な定義を説明する。
            「OO、でさえ、OO」
            ある手段や状態、条件などを例として挙げる際の表現。 多くの場合は否定を伴い、その例でもだめなのだから一層だめだ、と言う意味を示す際に用いる。

            ―――――――――――――――――――――
            でさえ①
            「個人の意志のみで自殺を容認する国は滅びる」について
              
            「安楽死寛容な国、“でさえ”、個人の意志のみで自殺は容認していない」、つまり個人に意志のみで自殺を容認する国は存在しないよと。それを否定するなら「ある」を探さないと。
            それは別に「悪魔の証明」でも何もなく、ネット、教科書などで虱潰しに調べればよい。歴史の“ある”、“なし”は悪魔の証明ではない。
            ―――――――――――――――――――
            でさえ②
            「錯乱状態」について

            「(人間の)法廷、“でさえ”、「錯乱状態」の殺人はなかなか無罪にならないのに、まして「あの世」を誤魔化すのはできない。」要するに自殺は(人間の)法廷では裁けないが、「錯乱状態」よる自殺、かどうかは「あの世」で分かると。 
            法律の専門家ではないが、例えば、介護殺人:激しい悲観による「錯乱状態」で親を殺したとしても無罪にはならない。同じく「錯乱状態」で自殺をしても、この世では裁けないがあの世で分かるよと。

            ――――――――――――――――――――――――
            でさえ③
            「この世の国が決めた法律や判断基準で現世や来世が不利にはならないと断言するあなたの物言いに対してですよ。」につて

            「この世の法律や判断基準、“でさえ”、自殺を安易に容認しないのにどうしてあの世で安易になるか?」

            ――――――――――――――――――――――――
            でさえ④ 
            「精神的苦痛ね・・・聞きがよいが、じゃ、具体的な例を挙げてね。⇨私なりの具体例は挙げたんですが」について

            ではあなたが挙げた例であれば“自殺してもいいよ”と判断するんですか?

            要するに「例えどのような災難が降りかかろうと、“でさえ”、“自殺してもいいよ”と僕は言えない。」
            なぜなら解決する方法はある。「自殺の回避について2021年3月26日 2:20 PMのコメント」
            だが、以前こうも書いた、“慈悲”、“博愛”などは根本的な解決策にならないと言っている。なぜなら“やさしさ”の“渇き”は本人が満足しなければ底なしである。
            要するに自分が惨めと思えば幾らでも惨めになれるし、それを打開するのも自分しかない。

          9. 自分の意志で生まれていないのに自分の意志で死ぬのは勝手では・・・
            ⇨全くもって逆!!
            自分の意志で“意識的に”生まれて来たのであれば自分の意志で自殺するのは身勝手ですが、自分の意志で生まれていないのに勝手に苦しい状況に追い込まれるから死ぬ権利もあると言っているのです。

            “楽しい時”は“生きる”、“苦しい時”は“死ぬ”、身勝手と思うが・・・
            ⇨そういう考え方もあるとは思いますが、あなたや私が想像もつかない程の精神的苦痛は無数に存在します。文字通り“死んだほうがまし”と言えるほどの苦痛がね。ウクライナ情勢等、ニュース検索すれば自分でいくらでも探せると思いますよ。

            これも以前2021年9月17日 1:14 PMのコメント抜粋

            この間のコメントは長文のため勝手ながら省略

            以上の再スタートを死なずに同じ人生で出来ればどれだけ凄いことか。
            ⇨確かに凄い事ではありますね。ただし全員がそのような強い心を持てるわけではありません。

            “自殺は身勝手で来世に悪影響がある”などといった根拠のない脅し文句ではなく弱者を慮った思いやりのある言葉遣いを心がけたほうがいいですよ。

          10. ムックン777 への返信。

            あらら・・・ タイミングが合わない時はとことん合わない様だね・・・
            まあまあ、物事と言うのはタイミングがあるのでそう焦らず。

            先ず、理解してもらいたいのはこのブログの
            目的は自殺を考えている人に“自殺は為にならなく、生きる、例えどうあろう、の方が遥かに為になると”。なぜなら、死んだら、“楽になれる”などの根拠・証拠もないからである。そうであれば取り返しのつかない“死”を選択するよりは“生”を選択するべし。それに対して反論があれば、僕なりに建設的に再反論するスタンスである。
            だが、自分こそが正しいと思う人は自分でブログを起し自分の自殺擁護の自分の正義感、自分の感受性の高さ、自分の慈悲深さを披露すればよい。それは信仰・思想の自由、日本憲法で守られている権利であり、あなたもあるし僕にもある。

            ではコメントに戻る

            勝手に苦しい状況に追い込まれるから死ぬ権利もあるについて

            “ウクライナ”が初めての戦争ではないよ、
            “ウクライナ”、戦争に追い込まれた人たちは皆自殺しているか?違う、皆必死に生きようとしている、国を守ろうとしている。以前2020年11月8日 1:51 PMのコメントに書いてたが、むしろ平和で豊かな先進国の方が自殺は多い。その要因も幾たび理論的に書いた、よく読んでね。

            “自殺は身勝手で来世に悪影響がある”などといった根拠のない脅し文句について
            “苦しいから自殺したら楽になれる”も根拠はなく無責任であり、弱者を惑わし、自殺へ追い込む。

            思いやりのある言葉遣いを心がけたほうがいいですよについて
            自分だけが“感受性”があるみたいな驕る気持ちはよくないと思わないと・・・
            前コメントにも書いた
            “慈悲”、“博愛”などは根本的な解決策にならないと言っている。なぜなら“やさしさ”の“渇き”は本人が満足しなければ底なしである。
            要するに自分が惨めと思えば幾らでも惨めになれるし、それを打開するのも自分しかない。

          11. でさえ①
            「個人の意志のみで自殺を容認する国は滅びる」について
              
            「安楽死寛容な国、“でさえ”、個人の意志のみで自殺は容認していない」、つまり個人に意志のみで自殺を容認する国は存在しないよと。それを否定するなら「ある」を探さないと。
            それは別に「悪魔の証明」でも何もなく、ネット、教科書などで虱潰しに調べればよい。歴史の“ある”、“なし”は悪魔の証明ではない。

            ⇨あなたは「滅びる」という言い方で断言しているんですよ。それを「存在する」「存在しない」という話にすり替えて話を誤魔化していますね。

            でさえ②
            「錯乱状態」について

            「(人間の)法廷、“でさえ”、「錯乱状態」の殺人はなかなか無罪にならないのに、まして「あの世」を誤魔化すのはできない。」要するに自殺は(人間の)法廷では裁けないが、「錯乱状態」よる自殺、かどうかは「あの世」で分かると。 
            法律の専門家ではないが、例えば、介護殺人:激しい悲観による「錯乱状態」で親を殺したとしても無罪にはならない。同じく「錯乱状態」で自殺をしても、この世では裁けないがあの世で分かるよと。
            ⇨そもそも私の質問の回答になっていませんよ。殺人の錯乱状態が簡単には認められない話で誤魔化してますが、私の質問は「あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”をした本人が一番わかると思うが・・」というあなたの主張に対して「自殺してしまった人のほとんどは錯乱状態だったと思いますよ」です。

            でさえ③
            「この世の国が決めた法律や判断基準で現世や来世が不利にはならないと断言するあなたの物言いに対してですよ。」につて

            「この世の法律や判断基準、“でさえ”、自殺を安易に容認しないのにどうしてあの世で安易になるか?」
            ⇨この世の法律や判断基準は調べれば誰でも分かりますが、あの世の判断基準なんて誰にも証明のしようがありません。にも関わらず、この世の判断基準で来世が不利にはならないと断言する物言いは曖昧極まるといっています。

            でさえ④ 
            「精神的苦痛ね・・・聞きがよいが、じゃ、具体的な例を挙げてね。⇨私なりの具体例は挙げたんですが」について

            ではあなたが挙げた例であれば“自殺してもいいよ”と判断するんですか?

            ⇨前述の通り、自殺を積極的に推奨しているわけではないですが一方的に否定も出来ないと判断しています。
            あなたの自殺回避のコメントを見ても曖昧模糊でよくわからないですね。

            総評すると流石は新興宗教の教祖様ですね。「文法的な定義」やら「それっぽい言い回し」でよく誤魔化しています。
            これ以上は平行線のままなのでもう終わりにします。
            くれぐれも「来世が良くなる壺や水晶」のようなものを販売したりしないでくださいね。
            さようなら。

          12. ムックン777 への返信。

            意見の相違があるコメントはすべて“誤魔化しだ”と言われても・・・建設的と思わないが・・・

            あげくに捨て台詞を吐いて・・・

      2. 逆に
         1.自殺して苦しんだと直接聞いた事はない。
         2.死んだら苦しみ続ける(またはさらに苦しむ)科学的な根拠もない。
         3.苦しいからこそ死なないで頑張れともいえない。
         来世を苦しませる指示をするのは神様?
         来世は苦しみなさいと指示する場所は
         あの世?
         そもそも、何故苦しむ何てわかるの? 
         

        1. キッド への返信。

          来世を苦しませる指示をするのは神様?について
          信仰を持たない人には理解しにくいと思うが、
          信仰は神様、または人を超えた何かが伴う。その信仰が提言する善悪の行いにはその信仰に見合う報いがあるとの考え。これは信仰の大前提であり、そう思わなければそれも自由なので・・・
          自殺を思い止めるためであれば宗教も一つの手段と僕は思う。

          来世は苦しみなさいと指示する場所はあの世?について
          あの世に対して様々の見方はあるが、道教はあの世はあくまでも調整所であり、またこの世でしか“苦”、“楽”を感じえなく、いわゆる“天国”、“地獄”のような“永楽”、“永苦”はない。

          2022年8月21日 2:47 PMコメントの抜粋

          よって死んでから親族、神仏職に救い・供養されることはない。また祖先の行いは霊的に現生の我々を苦しめたり、反面、現生の我々の行為が霊的に先祖を苦しめたり、癒されたりすることも無い(強調)。
          ・・・
          道教には輪廻転生の考えはあるので、永楽・永苦はなく、よって供養でその人の霊が根本的の癒されることはできない、だってもうこの世に戻っているから。
          これは信仰の自由なので・・・

          追伸:亡くなった親・先祖が残した借金・因縁などで子供が苦しまれるのは法的・情的であり霊的ではない。

          そもそも、何故苦しむ何てわかるの? 
          これも信仰なので・・・自分で自分の命を絶つのは“悪い”行いなのでそれに見合う罰を受ける。“苦しいから自殺をすれば楽になれる”のは安易と言っている。

          1. キッド への返信。

            正しくそう。

            以前は善悪の報いでこれを論じた。2021年8月4日 7:28 PMコメント
            道教には以下の様な考えがある。
            道(タオ)をいわゆる“真理“として、”道の法“から”天の法“から”地の法“から”人の法“と言った段階がある。

            宗教・信仰は“天の法”を“人の法”に当てはめようとしている。
            残念ながら人は恣意が多く “人の法”でさえマスター出来ないのに “地の法”、ましては“天の法”を理解・実践するのは難しい、不可能かも。

            宗教・信仰は“博愛”と思う人に対して僕は言う。
            2022年1月8日 6:03 PMコメント
            “博愛”について
            博愛を履き違えている。 “博愛” これは“神の行為”、みんな同じく愛している、返すと皆平等であり、平等なルールがあるということ。金持ち、貧乏、貴族、平民、信仰のあるなしとは関係なく、皆、同じルールに従うこと、これは“神の行為”。しかし、“人の行為”には “博愛”は無いため、だから善悪に伴う報いがあるのでは・・・
            道教は摂理を説く宗教、信仰といわゆる“博愛”を結びつけない、これこそ”みんなが平等”な”真の博愛”と思うが・・・

  2. 私には自殺願望があります。スピリチュアルカウンセラーの方のセッションを受けたところ、私は前世を自殺で終えていることが分かりました。今、本来なら健康な子供が私のお腹の中で障害を負ってしまい(妊娠中の薬と胎病ダブルの障害)自殺したくなるような窮地に陥っていますが、それも自分で決めて生まれて来ている、これはチャンスなんですよ。と、言われました。自殺のカルマを断ち切るためのチャンス…良く言えばそうだが、前世で自殺していれば私みたいに今世自殺したくなるほどの悲惨な状況に陥らなければならないということなのですね。(今世の)私は何も悪いことなどしてないのにと、悔しくてなりませんが、過去世のことは、変えようもありません。また、それとは別に私は自分の母親を過去世で殺しており、同時にそのカルマも背負っています。年金のほとんどない母親と将来同居を余儀なくさせられるかもしれない状況に陥っています。前世の自分は今世で、今世の自分は来世に影響するということを痛いほど思い知らされています。今世の自分は、自殺したくてもなかなか出来ないという状況です。夫も子どもも、私が死ねば生きていけないかもしれないからです。親が亡くなっても生きていけるようにしておいてやらなければならないからです。私という自殺者は、来世結婚して子や孫に恵まれて生きるという人として普通に望む幸せも当然得られませんでした。自殺なんて出来る事ならしない方がいい!と書きながらも、あまりに悲惨な自分の境遇ですから、今後耐えられず自殺してしまうかもしれないと悩んでいる自分がいます。また、私のように今世自殺したいと苦しんでいる人は既に前世で自殺しているかもしれないとも思います。

  3. 人は生まれた時、自分の将来を悲観して自殺することはない。
    あの5歳で実の父に虐待死された女の子でさえ必死に生きようとしていた。
    決して特別に意志が強い子と思わない。

    では人は何時から自殺を考えるようになるのかを考えてもらいたい。
    世界はひろし、例えば、内戦のため、難民キャンプに強いられる人達とかも生きようとしている。
    他人と比べたり、以前の自分と比べたりとかしているから悔しい気持になる。こんなもんかと思って生きていけばよい。
    自分の考え方一つで変われるはず。
    前世自殺したから、また困難があるから必ず自殺に陥るわけではない。

    前世について
    以前も以下を投稿しました。
    ”前世の行いは過ぎたことなので今から何か出来るわけではないので無意味・・・全ての前世が具現化して現世になっているので、”現世を頑張ればよい”、(道教)は現世利益の強い宗教です。

    来世について
    よって、道教の考えでは日々、刻々生きていくだけで徳積みになり来世のプラスになる(注釈:頑張っていれば、願わくば現生で好転するかもしれない)。辛いけど、是非、無い所から気力を振り絞って、人に助けを求めてください。
    世間は世知辛いと思うかもしれないが、世間は社会として手を差し伸べる公的機関は多々あります、例えば親は介護保険、子ともは児童福祉などがあり、フルに活用してください。生きることをあきらめないこそが現生・来世を良くする唯一の方法です。

    これだけの人(夫、子、親)があなたを頼りにしているので、あなたが一日でも長く生きると人の何倍も徳を積んたことになる。
    来世の徳積みを信じなくても、最後まで自分の人生を見届けるのを生きる目標にしてもらいたい。

  4. 苦しんだ人を救わず自殺させておいてもっと不幸にするとかどんだけ
    サタンの宗教じゃん

    1. 悪魔では への返信。

      救いについて

      事故で足を無くし、アスリートなのでその足を戻せば救いになるでしょうか。
      病気で妻を亡くし、孤独だからその妻を生き返らせれば救いになるでしょうか。
      全の願いを叶えればそれが救いになるでしょうか。
      サタンに魂を売れば叶ってくれるかも知れませんが、道教はそう甘くない。
      道教は摂理を説く宗教、人気取りではない、あしからず。

      道教の自殺について
      人生の苦しみに耐えて生きている人も多く、そう考えると自殺はよい行えとは思えない。
      自分の苦しみは特別と思わないで苦しみを何とか乗り越え、
      現世での好転を信じ、最悪その頑張りは来世に繋がるとしている。

      平等と道徳を説き、絶望に希望を与え、
      盲信を要しないこの考え方は至って健全と思うが。

  5. どう努力しても常に孤独。常に寂しく惨めでもう生きたくない。持てる人は何でも持っていて、私は何一つ手に入らなかった。努力してもいつも人に好かれず上手く行かないのかわからない。親には虐待されてきた影響からまだ抜け出せない。自分より何十年も若い人達がみな結婚していく。私だけ何も変わらない。何をやってもやらなくてもモテないし友達もできない。こんな人生もう嫌だと拒否する自由すらないなら、ただの嫌がらせじゃないか!

    1. なは への返信。

      虐待をされ、虐待が連鎖を続ける人もいるし優しくなる人もいる。
      結婚に嫌気がさし蒸発、また家族を殺す人もいる。
      物があってもその物が親戚、家政婦に盗まれる心配をする人もいる。
      モテてモテてモテるために拒食、またカッコいいから麻薬に手を出す学生もいる。

      不幸、幸も含め、主観的な所が多く、
      あんまり回りとか自分の過去とかと比べない方が良い。
      自分の苦しみは特別と思わないで、一人ではなく社会の様様な仕組みも使い、この苦しみを何とか乗り越える努力をして現世での好転を信じ、最悪その頑張りは来世に繋がるとしているのが道教。
      同じ苦しみに耐えて生きている人も多くいるので
      やはり自分の命を自分で絶つのは良い行えではない。

    1. なは への返信。

      思想、政治、宗教を目的とした”死”。
      その思想、政治、宗教内には価値あるでしょう。

      以上の死と悲観死を比べると、前者は”陽”の自殺に属し、
      後者は”陰”の自殺に属す。

        1. みき への返信。

          道徳経に書かれている、”妙”と”徼”の違いだね。
          ”妙”・と思えば、”くだらない”。他人の苦しみは共感しにくい。
          ”徼”・と思えば、”区別あり”。自分の苦しみは特別に思う。
          余裕のある人はもう少し細かく見て
          余裕のない人はもう少し広く見て欲しい。

  6. 生きて行くのも苦しいし、自殺することもできない。どうすればよいのかわからない。

  7. もしも自殺できたとしても、痛いし苦しいし、今以上に苦しみが永遠に続くなんて、来世でもっと苦しむなんて耐えられないです。

    1. 川村安希 への返信。

      前世の記憶がないので、来世の自分が頑張れば負のサイクルを絶つことが出来る、永遠ではない。来世が今より不利を被らないため今、少しでも頑張ってもらいたい。親が子のために頑張るようにと。記憶は無いから意味がない、来世を信じないとしても苦しさから逃れるための自殺は良くない。

  8. 自殺を考えるほど苦しんでる人や大切な人を自殺で亡くした人への当てつけのような内容ですね。

  9. 幸福度の高い国ほど安楽死制度が整ってますね。暗く恐ろしい沼に頭を押さえられ沈められているような生を生きている人が大勢います。この地獄は誰にも救えない。救えないのに死ぬことを許さないなんて、人殺しと同じくらい残酷な行いです。本当に魂を救いたいと願う方なら、安心して死ねる世の中を作ることが絶対に必要だと理解できるはずです。

    1. 小林富美 への返信。

      ネットの情報、
      2016年10万人あたりの自殺者率・・・幸福度ランキング、
      上位をよくしめるフィンランド15.9人、下位をよくしめるアフガニスタン
      4.7人。ちなみに日本18.5人。

      幸福度と自殺率は関係ないと思うが・・・
      安楽死制度は政治・医学なので幸福度とは関係ないと思うが・・・

      道教的に幸福度を考えると、
      幸福度は”陽”を測る指標、
      ”陰”に生きる人たちは測れない。

      ”生きているのが地獄だから死ぬと楽になる”
      と言えない以上頑張ってもらうしかない。
      自分の苦しみは特別と思わないで、一人ではなく社会の様様な仕組みも使い、
      この苦しみを何とか乗り越える努力をして現世での好転を信じ、
      最悪その頑張りは来世に繋がるとしているのが道教。
      同じ苦しみに耐えて生きている人も多くいるので
      やはり自分の命を自分で絶つのは良い行えとは言えない。

  10. 現状から逃げても逃げても逃げ切れない。自殺は卑怯な行いですか?自分勝手だよね本当に。それでも死にたいとなれば、救いようも無い。永遠に続く、そう堂々廻りだ。

    1. のっちゃん への返信。

      何から逃げているのは分からないが、他人から逃げている、
      自分から逃げている、社会から逃げている。

      他人から逃げることはない、警察と相談する、もしくは相手を説得する。
      自分から逃げることはない、自分を変える、もしくは考え方を変える。
      社会から逃げることはない、社会は受け入れる、もしくは一票を投じる。

      逃げる事は悪いと言ってない、死に逃げるのは良くないと言っている。
      何故なら、唯一逃げられないのは死、死から逃げる志しが大事。

  11. 明日、生きたくても生きられない人の事を考えると自殺はどうなんだろう。生きてればなんとかなるかもしれないし。そして東日本大震災で、お亡くなりになった方の気持を考えると、命とはなんだろうと真剣に考えてしまう。自殺して後悔するより、生きて後悔した方がましだよ!と言うでしょうね?

    1. こば への返信。

      死んでからは後悔できない、やり直せない。
      後悔は生きている証し、臆することはない。
      また後悔は良くなりたい証し、同じ轍を踏まないことが大事。

      東日本大震災について
      正しくそう、以前も書きました。
      ”死にたくない人、また死んでもらいたくない人も
      簡単に死ぬこの世の中。
      自分で自分の命を断つのは贅沢と思ってもらいたい。”

      また、こうも書きました。
      自殺は自分の意思、殺人は他人の意思、寿命は所謂“天”の意思、
      せめて自分の意思で死ぬのは止めた方がよいと思う。

  12. 死ぬ以前に、この宇宙から消えてなくなりたいです。私という存在を存在していなかったことにしてもらいたいというか、宇宙に綺麗さっぱり消去してもらいたい。生きることがしんどい、何もしたくない。希望も無い。生まれてきたくなかった。私という意識体、魂をつくった存在にものすごく腹が立つ。

    1. ぶす川ブス江 への返信。

      人類はただの星屑、偶然の産物と思うなら、
      だれ一人、意義は無く、希望もない。

      道教的、人は他と違い意志があり、
      その意志を詳細に理解する能力もある。
      ”しんどい、何もしたくない”と謂った気持ちを持つのも人の証。
      だが、これらは生まれ持った考えではない。
      例えば、障害もつ子供は生きようとする、親は悲観的だが子供の
      生きたい気持ちを思い起こし奮闘する。
      上手くいく行かないかもしれないが生き様は残る。
      生きるのはやはり自分が主導しないと。
      自分と自分の存在を成り立つ60兆の細胞と共に生きていくのみである。

      以前の投稿
      ”自分の苦しみは特別と思わないで、一人ではなく社会の様様な仕組みも使い、
      この苦しみを何とか乗り越える努力をして現世での好転を信じ、
      最悪その頑張りは来世に繋がるとしているのが道教。
      同じ苦しみに耐えて生きている人も多くいるので
      やはり自分の命を自分で絶つのは良い行えとは言えない。”

  13. この説得の仕方は寧ろ逆効果

    人間社会全体の事を考えれば正論ですが、死にたい状態になってしまった弱き個人の心には響かない言説だと思います。

    自殺を諌める論拠は大別して2つだと思います。
    美醜論と損得論。
     本来は、前者一本で行くべきなんです。
    (生存競争で劣位にある人が)最期まで生き抜くのは大変だ。だけどそれが人としては美しい。ただ、勇気も要る。
    そして、それを伝えるのは骨が折れる。
     だから安直に「自殺してもリセット出来ない。やるだけ無駄。得しない。」と言う損得論が出て来るのですが、全文の流れから、「あ、ここの箇所後付だな」と気付かれてしまうのです。

    後付でも、自殺さえ止められたら、それでも良いとお考えかもしれませんが、思想に一生の身を捧げられているのならば、もう一段の思想深耕を期待いたします
     

    1. 2021 への返信。

      理論はなるべく”個”にも”全”にも当てはめるのは理想的、頑張る!

      美醜論は”生前”に軸足、損得論は”死後”に軸足。

      自殺に追い込まれている人は後者の方が該当すると思うが・・・

      「あ、ここの箇所後付だな」のは何処を指すのは不明だが、
      コメントの美醜論として”人としては美しい。ただ、勇気も要る”も
      結構後付けと思うが・・・

  14. 自殺が逃げの選択肢であること、悪手であるのは物質主義的にも理解できますが、宗教としてあなたの言説を見るときに疑問が残ります。
    あなたがどう人間を、他者を認識しているかはわかりませんが、基本的に人間とは弱い生き物だと思います。他人にとっては些事とされる理由で死を選んでしまう人間も多いです。それでも、崇高とは呼べないまでも彼らなりの絶対的な意思決定の果てに選択したはずのことです。
    さて、もし神や超次元的な理が私たちを管理、監督しているのなら。
    なぜ苦しみから逃げた人に、さらなる苦しみを与えようとするのでしょうか?
    それを罰として与えるのならあまりに人間的だとは思えないでしょうか。だって現時点で越えれなかった壁を、さらに高くするんですよ。
    その壁を越えれる因果がない。
    となれば、これは自殺をしてしまう弱い人間とそうでない強い人間の振り分けなのでは?とも考えてしまいます。言うなれば選民思想ですよね。
    もちろん宗教の興りから考えれば、選民思想から完全に脱却した教えは少ないと思います。それをあげつらうつもりは一切ありません。
    しかし、そういった側面を無視、気づかずに一辺倒に自殺を悪と説くあなたの徳はいかほどでしょうか。

    自殺を考えている皆さん。
    私にも、きっと多くの人にもあなたの苦しみを正確に理解するのは難しいと思います。それでも少しおすそわけしてもらえれば、本当に少しくらいは寄り添えるものです。
    極端な話ではありますが、苦しみの多くは自身の執着から生まれるものだと私は思っています。
    見えぬ世界への旅立ち、肉体への加害への恐れすらも乗り越えれる方々なのですから、今少し、自分が何に囚われているのか考える時間を与えてあげても良いのではないでしょうか?
    自死という選択肢まで見出だしているのですから、皆さんに定められたことなどなにもないし、自由になっていいと思うのです。
    自分を対象にするのであれば、死ぬのは好き勝手した後でも遅くないと思います。

    1. リアリスト への返信。

      ”苦しみから逃げるな”とは言っていない、”死を以て苦しみから
      逃げるのは無駄、逆効果”と言っている。

      苦しいから”死に逃げていいよ”と言えない以上、宗教も自殺を防ぐ
      一つの手段。

      コメントの前半は弱い人が自殺すると。
      コメントの後半は強い人が自殺すると。
      どっち?

      まず、弱さ、強さと自殺は関係ない、
      弱くても一生懸命生きている人は多い。
      生き続けるのも勇気が必要、強いのである。
      ちなみに、人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さと自分に対しての弱さ。

      神は公平であるが、人は短命な存在なのでそうは感じない。
      神が“管理、監督”している以上フェアでないと。
      コメントに“現時点で越えられなかった壁を、さらに高くするのですよ。その壁を越えられる因果がない。”は以下で説明できる。

      コメントに“他人にとっては些事とされる理由で死を選んでしまう人間も多いです”と。まさしく、その通り、自分が感じるこの苦しみは“些細”と思っている人が多くいると。もし、同じ苦しみで大半の人が死を選ぶのであればそれは初めて“些細”ではなくなる、なぜなら“些細”と言われなくなるから。

      コメントの後半は死ぬ行為を美徳している、また、最後のコメントは的はずれ、犯罪を誘発するので注意。

      当初2016から以下をブログの最後に書いている(最後めで読んでね。)
      “・・・・辛いけど、是非、無い所から気力を振り絞って、人に助けを求めるなど、プライドを捨てるなど、生きることをあきらめないこそが唯一の方法・・・現世(残された周りの人の迷惑)、来世(自分の迷惑)を考えると自殺だけは絶対にやめてもらいたい・・・”
      は宗教抜きでも健全な考えと思うが・・・

    1. 刹那 への返信。

      人がどう生と死と関わればよいのかを述べたい。

      道教は生死を陰と陽に結びつける。

      万物万象は陽から陰に移りゆく、川が流れるようだ。
      陽を常に生み出さなければ陰へと移りゆく。

      自然は太陽、熱などで陽を生み出す。
      人間は陽を生み出すためには陽の行動が必用。

      人が住むこの陽から陰に移りゆく世界、陰の行動、“自殺”、“壊す”などは陰のバイアスが掛かっているので簡単、人の陰の行動を加えなくても陰へ移りゆく。逆に陽の行動、“生る”または“作る”などは努力が必要、水の流れに逆らう人の陽の行動は道教からすると陰の行動よりは道徳的。

  15. コメントを以下要約

    要約
    ① 他人と過去の自分と比べ、悲観した自殺することは無いと。
    ② 自殺する人は病気の苦痛に耐えかね、絶望の末に自殺を選ぶと。
    ③ ブロブはそもそも自殺を語るとしては不適切な媒体と。

    1. 本人削除希望により匿名 への返信。

      参議院が出しているデータを参照
      https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2007pdf/20070907079.pdf
      ※古いかもしれないが、ネットにあるデータ、プロが集計したものだと思う。

      以上、中の図を参照しながらコメントに答えたい。

      人の弱さは自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、疫病、老いなど、
      自殺のみに絞ると60歳以上の自殺の最大要因は健康問題、つまり病気・老い。
      60歳以下の最大要因、経済・生活問題なのは若いほうが病気から治る可能性が高いのであろう。注。図表8 年齢及び原因・動機別自殺者数
      コメントを書いた方の年齢は不明だが自殺せずに自殺志願・病気を克服したことは喜ばしい事。

      では自殺の第2要因経済・生活問題を述べる。
      コメントに“他人や過去の自分と比べて惨めになるなんて理由で自殺する人はほとんどいませんよ。”は間違いである。何故なら、自殺率は景気が悪くなると高くなるからである。
      注。図表6 経済・生活問題による自殺者数と完全失業者数の推移。
      自殺者数と完全失業率の推移は酷似しているのが分かる。
      例えば、職を失い収入が激減、ローンが払えなくなり、生活水準を変えざるをえない。当初払えると思って組んだローンは払えなくなり、当初維持ができると思って生活水準は維持できなくなる。つまり以前の自分、世間体と比べ惨めと思い“精神や体の健康を失い”自殺をするのである。日本の様に絶対的貧困ではなく相対的貧困であれば容易の起こることそれがデーターで示されている。
      ですが、世間は世知辛いと思うかもしれないが、世間は社会として手を差し伸べる公的機関は多々あり、フルに活用してください。一日で長く生きてもらいたいからである。
      もちらん公的機関なので社会に戻れる努力は要求されるし、戻れる努力をしてもらいたい。

      コメント:“ブログでは自殺志願者の苦しみにこたえるなんてことはそもそも出来ないことだと思います。ツールとしてブログでは不可能です。”
      “自殺志願者”の家族でさえ応えるのが困難なのに、当ブログに対しての意見は重々甘んじるが、人として言葉が唯一の伝達方法なので“苦しいだから自殺してもいいよ”と言えない以上、努力し続けるしかない。ブログを見て“無理”と思えばそれは私の力不足、言葉の力不足であるが、自殺する人も、私の意見を読んで自殺をしない努力をしてもらいたい。苦しみを何とか乗り越える努力をして現世での好転を信じ、最悪その頑張りは来世に繋がるのを伝えたい。

  16. 私の実名は非公開にしといてください。入力プロセスがよくわからず送信しました。

  17. コメントを以下要約

    インターネットのブログの数十行で自殺を語るのは不謹慎。アンチコメントがつくのは当然です。

    1. 本人削除希望により匿名 への返信。

      自殺は病かどうかは論じてない、自殺をする人の診断はプロでさえ100%ではない。

      “自殺が,ある日突然起こることはまずない.傍
      から見ると突然に見えるような自殺でも,その人
      なりのプロセスが進行して自殺に至る.そして,
      自殺時には,約 90%の人が何らかの精神科診断
      がつく状態であったことがよく知られている“
      日本精神神経学会 精神経誌(2012)114巻 5号
      特集 張:精神医療と自殺対策 553pg

      診断がつく90%の人にも語りたいし、診断がつかない10%の人にも語りたい。
      アンチコメントはあるから話題にしてはいけない話題ではない。

  18. コメントを以下要約

    ① 心身の病気で“希死念慮”を持つので本当は死にたくない。
    ② 自殺が多いことは社会の問題でもあり、個人だけの責任ではない。
    ③ 自殺についてブログに書くならその要因をもっと正確に知るべき。
    ④ アンチコメントはあるのは当ブログの内容は不正確でその言葉に傷つけられている人がいると。

  19. 本当は自殺しても天国に行けますよね?
    コロナ渦で緊急事態宣言解除もあやふやな中、思う様に事が運ばす、唯一の生き甲斐を失い、人生の運が尽き、守護霊から死になさいと聞こえられたら不治の病に掛からなくても寿命が来たと言う事では。
    そうなったら自殺しかないです。それが寿命です。
    追い詰められた末の自殺は確実に天国に行けます。
    西郷隆盛さんと乃木希典さんと小説家の有島武郎さんと三島由紀夫さんは自殺しても天国に行けましたよ。
    もしかしたら、昨年自殺した俳優の三浦春馬君も天国に行けるかもです。
    只、一昨年の登戸の通り魔事件の犯人の自殺は確実に地獄行きですがね。

    1. E235-1002 への返信。

      そもそも道教と言う宗教は“天国”の概念はない、所謂“天国”は無いからである。
      これについて以前に書き込みあり。

      “自殺”の行為は“寿命”ではない。
      寿命は自分の意志によらない死、自殺は文字通り自分の意志による死、一緒ではない。

      追い詰められても自殺を選ぶのは良くない。
      志しを以って生き続けることはとても大切であり、一日で長く生き現世の好転を信じ、最悪、来世の糧になる。

      “人生の運が尽き守護霊から死になさいと聞こえられたら”について
      聞こえているのは“思考”・“理性”、所謂“霊”ではない。
      生きるとは“霊”と“魄”は一体であり、霊は別人格として捉えるのは間違いである。しかも“霊”は生きる原動力なので、“霊”の方から死を選ぶことはない。人は、死を選ぶのは、人の“思考・志し”とそれを具現化する“行い”。
      因みに、別人格の霊はその人の霊ではなく“陰”に属する別モノであり、人を“守護”することなく、むしろ人を“死”に追いやるであろう。よって“守護霊”は間違いである。

  20. コロナ渦の影響で自殺が多くなるのは仕方ないかも。
    どうしても生きていても無理なら自殺してもやむを得まい。
    自殺すれば楽になれない事は無いですよ。
    その時は来世でもう一度やり直してもいいかも。

    1. E235-1002 への返信。

      コメントは極めて無責任である。自殺はただのリセットボタンではない、どれだけ来世への悪影響があるのを軽視してはならない。
      コロナ渦の自殺は経済的が主であるのであれば、日本の様に絶対的貧困ではなく相対的貧困であれば、世間は世知辛いと思うかもしれないが、世間は社会として手を差し伸べる公的機関は多々あり、フルに活用してもらいたい。一日で長く生き現世の好転を信じ、最悪、来世の糧になる。

    1. せぇとぅん への返信。

      希望がないのも多種多様なので、子供が巣立っての廃人、伴侶を無くしての廃人、裕福でも無気力の廃人もある。

      廃人から出来れば脱却してもらいたいが、例え廃人生活になっても、生きるためには最低限の食事、衛生に気負配らないと長く続かない。廃人は自殺よりは糧になる、何故なら自分の意志でその体を維持しているその事実はあるから。

      因みに、2016年11月15日の投稿

      以前も話した、生きるのは自分を構成する34億の細胞に対しての責任と、来世を信じるのであれば、徳積みをして来世のためにある。

      具代的に例をあげてみましょう。
      陰陽で考えると、先ず平均寿命の真ん中として、人生前半と後半と分け、それに加えて自分に対しての意欲の有無と4つに分類が出来る。

      一番向いている生き方はこうなる。
      ①人生前半で意欲が有る人は意欲にまっしぐらに進めばよい。特にアドバイスは無いが、ペースを上げすぎるとまた、周りの人に気を配らないと挫折をしやすい。
      ②人生前半で意欲が無い人は人と向き合うより自然と向き合あうことがよい。とくに物作り、研究がよい。なぜなら、自然は正直であり、そこから①になるように目標を見つけるでしょう。
      ③人生後半で意欲のある人は人間関係をよくするとよい。例えば、後世、子孫、後輩の育成に努める。何故なら、身体と精神にギャップがあり、無理をすると病気、怪我に繋がる。物理的に弱くなったことを認識する。
      ④人生後半で意欲の無い人は介護、また人の後始末に関わる仕事がよい。なぜなら、来世を信じなくても、無理なく来世の徳積みがで来る。目標がどうしても見つけなく、どうしても③になれなければこれが一番よい。

      1. 人生の前半、後半とはどこからなのでしょうか?

        無職、無気力、39歳、体力なし。
        介護は厳しい。人の後始末の仕事は具体的には、葬式屋とかでしょうか?

        1. マナブ への返信

          先ず平均寿命の真ん中として、人生前半と後半と分ける。
          https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life09/01.html
          よるとH21年男性の平均寿命は79.59歳、半分は39.80歳。
          39歳か・・・十分“陽の気”があると思うが。

          “意欲は無い”、“無気力”でも
          お仕事をする以上、与えられた仕事に対して、下手でも、善意を持って
          しないと給金をもらう資格はない。

          葬儀屋、特殊清掃もよいが、
          思い浮かぶ人の後始末に関わる受けだけでできる仕事。
          リサイクルセンター分別作業員、
          夜間・閉店後店舗清掃、
          コールセンターのクレーム対応
          お仕事なのでもちろん丁寧・礼儀よくしなければならない。

  21. 前世は天明の大飢饉で飢餓に耐えられずに自殺、前前世は応仁の乱で戦乱の状況に耐えられずに自殺、今世はコロナ渦の影響で自殺を検討中。
    来世でもう一度やり直すしかないな。
    早い所自殺して天国に行きたいな。

    1. E235-1002 への返信。

      例え前世が“殺人鬼”、“王族の末裔”であったとしても全ての前世が具現化した現世なので、
      ”現世・今世を頑張ればよい”、道教は現世利益の強い宗教。

      “来世でもう一度やり直す”ことは出来るが、自殺の場合+-セロのリセットとはいかない。

  22. 逃げるのは悪くないのでならば死に逃げるのは悪くないのではないでしょうか?
    逃げていいと言う事は生きる事から逃げていいと言う事と同じです。
    そして来世で再スタートすればいいんです。
    前々世と前世と今世が自殺ならばさすがに来世はいい方向に行けるはずです。

    1. E235-1002 への返信。

      以前の返事

      逃げる事は悪いと言ってない、死に逃げるのは良くないと言っている。
      何故なら、唯一逃げられないのは死、死から逃げる志しが大事。

  23. 因みに自殺はリセットボタンです。
    だからコロナ渦で自殺数は確実に増えているんです。
    日本では自殺数が多いのは自殺がリセットボタンだからなんです。

    1. E235-1002 への返信

      自殺はリセットボタンじゃない、リスタートボタンだ。

      リスタートは、今状をベースに再度試みる。
      リセットは、初期状態から、
      全然違う。

      日本の自殺数多いのは高い教育水準、高度な経済、相対的貧困など。

  24. 死に追いやるであろう陰に属する別モノは何ですか?
    そんなもん居ない気がしますがね。
    神様と守護霊に来世で良いところにいけるから早いとこ死になさいと聞こえられているんですから。

    1. E235-1002 への返信。

      神様は“早いとこ死になさい”とは言わない、何故ならそれはもはや神ではなく“邪鬼”である。
      守護霊はもしあれば“早いとこ死になさい”とは言わない、何故ならそれはもはやあなたを“守護”しない“怨霊”である。

      陽に属する今世に生まれた人を来世に誘う(いざなう)のは陰に属するモノであり、聞いてはならない。

  25. “1日でも長く生き好転を信じ、最悪来世の糧である”
    絶対信じません。
    そんなのインチキじゃないかと。
    それなら1日でも早く死んだ方がましです。
    不治の病に掛からなくても寿命が来ているので。

    1. E235-1002 への返信。

      急の様なのでこのコメントを先に答えて、先のコメントは後に答える。

      死ぬと“行い”は止まるのでそれ以上“糧”にならない、生きるこそ“糧”になる。
      自分の意志で死ぬのは自殺、他の要因で死ぬのは寿命。全然違う。
      寿命は何時、死ぬのかはかわからない、自殺は分かる。全然違う。
      何時、死ぬのか分からないからコツコツと生活する。
      何時、死ぬのが分かれば逆算できるので全然違う。

  26.  自殺について。
     私も以前(約10年前)自殺を真剣に考えたことがあります。
     いのちの電話や精神科医の助けを借りて、なんとか生き延びられました。
     その時の経験から申し上げますと、自殺すると死後苦しむという考えは、あまり役に立たなかったような気がします。
     少しだけ歯止めになったような気がしますが。。。
     もちろん全ての人に効果がないと言う気はありませんが。
     私が自殺したくなったのは、理屈で考えたことではなくて自殺衝動なので、死後苦しむから自殺をやめようという考えすらも、歯が立たないことを、私が体験しました。
     自殺することへの罪悪感(周りが悲しむ)より、生きていることへの罪悪感(人に迷惑がかかる)が上回れば、罪悪感で自殺を阻止するのは困難だと思いました。
     自殺しないことで人に迷惑をかけることをある程度許容することも、自殺防止には、いいのではないかと私個人的に思いました。
     個人的な意見ですみませんが。。。

    1. 光秀(ハンドルネーム) への返信

      自殺をすれば楽になる、天国にいける、リセットになる、に対してそれは違うよと言いたい。論理的に考えても、死ねば楽になるのは安易だよと言いたい。

      生きるためには人に迷惑を掛けてもいい。あなたの迷惑を受けてくれるその行為はその人の“行え”であり、あなたが罪悪感を持つ必要はない。社会制度を利用するのもそうと思ってもらいたい。

      迷惑を掛けているその気持ちに真に報いるのであれば生き続けるのみ、自殺したらそれは出来ない。

  27. 自殺だろうが死んだらそこで終わりで前世も来世もないし輪廻転生とかいうのもないよハゲ

    1. 613 への返信。

      信仰は自由なのでどっちでもよいが、だが自殺を突き放す、または助長するコメントは良くない。

      剃髪、または薄毛に対してのコメントでしょうか?両方?
      データーはとってないが、輪廻転生を信じる人の薄毛の割合は一般人口と同じぐらいと思う、また道教の聖職者は剃髪をしない。

      1. ハゲってただお前に対して言っただけだけど
        メインの回答より長々書いてどうした?ハゲてるジジイ
        ドンマイw

        1. 613 への返信

          そっちか、個人か・・まじめにコメントした損。
          個人的な内容は答えられないのごめんね・・・
          こちらの勝手な制約なのでドンマイw(あ、長い・・)

  28. コメント欄拝見しました。自殺を考えており身につまされる内容でした。
    それでも、例え罪だと言われようとも私の希死念慮が変わりません。
    幼少期より父母、年の離れた兄に虐待されました。(まだ殺されていない私が虐待だと口にするのは自分自身気がひける思いがありますが。)毎日3~12時間、1年中、罵詈雑言を浴びながら殴られました。私はおかしくなりました。8才の時には自殺するつもりで遺書を書いていました。当時は分かりませんでしたが、兄は精神障害があったんだと思います。私の事を汚い、汚いと言って毎日何時間も殴り続けるし、外に触れたものは全て汚いと言ってシャワーを頻繁に浴び、手を洗い、それを私にも強要しました。母親は私を殴っている兄を止めることをせず「もっとやれー」と殴る事を応援していたし、「お前は不幸の根源だ」「国語のテストで100点取れない奴は日本語を話すな」と言われ首をしめられました。両親は2人とも高校教師をしており、祖父母も教師でした。成績が良くなければ人間とみなしてもらえません。兄はIQが120以上、私はIQ104です。母が笑いながら悪口を言うんです、兄に比べて智子はIQが低いと。IQの数値まで兄妹間で比べられ悪口言われました。私は凡人ですが学年1番を取りオール5を取れるよう必死で努力しなんとか達成しましたが、結局人間として見てもらう事はできませんでした。何をしても人間として扱ってもらえません。お風呂にも満足に入れてもらえず、ごはんももらえず、学校の給食の残りを袋で持って帰って食べました。父からはナイフで刺されそうになりました。兄からは、今日は1日殴ってあげるから学校行かなくていいよ、と言われる事もありました。
    まだ13才だった私は殺されたくありませんでした、生きたかったです。大人になるまで生き延びれば、きっと幸せになれるはずだ。でも、このままだといずれ殺されるんだろうな、と思うほど日々の暴力が酷くこの人たちが死ぬか、または私が死ななくてはいけないか、どちらかという所にまでになっていました。私は何も悪いことをしていないのに、毎日何時間も殴られ、この汚い家で本当は守ってくれるはずの実の家族に殴り殺される、それだけの人生は嫌だと思いました。実の家族に殴り殺される為、その痛み、体だけでなく精神的な痛みを味わって殺される為だけの命、人生だとは受け入れられなかったです。私が死なない為に、先に一番暴力をふるう兄に死んでもらおうと思いました。夜、兄が寝ている所に包丁を持って忍び寄ります。兄の上で包丁を構えた時、どうやって刺せばいいのか、どんな向きにして、どんな力で?分かりませんでした。すやすや眠っている兄の、寝込みを襲う罪悪感もありました。怖くなってそれ以上はできませんでした。私は訳も分からず、薬を大量に飲んだり、車道に飛び出してトラックに引かれようとしたり、学校には行かずにふらっと20キロくらい離れた場所まで自転車でいったり、柔軟剤を飲もうとしたり、一酸化炭素を吸おうと家で火を起こしたりしました。死にたいとも明確には思っていないけど体が勝手に死にむかっているみたいでした。ある朝起きると、スズメが鳴いているのですが、いつもならチュンチュンといっているのに、その日は「お前は生きている価値がないから死ね」といわれました。私の頭の1%程は、まだまともで、スズメが日本語を話すわけない、私は幻聴を聞いているのだと思いました。起き上がって歩こうとすると、床が私に「生きている価値のないお前が私の事を踏むな!」と怒ってきました。私は立って歩くことができなくなり、寝たきりになりました。家の外は大通りで、人々が楽しそうに声をあげて笑いながら歩いていました。15才で生育歴からも視野が狭かった私は、この世の苦痛のほとんどを自分が負わされ、その変わりにあの人たちは笑っていられるんだ、と、憎さと殺意をおぼえました。見ず知らずの通行人全員に対して。ちょうどその頃、無差別連続殺人が起きて新聞に関連記事が載っていました。私は、クラスメートが話すジャニーズの誰々が格好いい等の気持ちが全く分からず、新聞に載っている無差別殺人犯の言うことのほうが、良く分かってしまいました。これはやばい、私はおかしいと焦りました。自分のおかしさを物凄く認識しました。
    一番辛かった時期はこんな状況でした。
    そこから寮のある高校に進学し努力し、周りの温かい人たちと出会い、私の考えも人間性も変化しました。
    しかし、高校を卒業して家に戻るとまた地獄でした。
    一人で生きていく為に、家を出ました。通っていた大学を続ける為には風俗で働くしか、勉強時間と金銭面を両立させる事はできないだろうと思い、見学に行きましたが、私には無理でした。色々なことがあり、精神状況にも波があり、今、金銭的にも追い詰められています。私自身も辛い時期が長く続いていてしんどく、余命があと50年とするとクラクラします。行政にも迷惑をかけますし、蔑んだ目で見られます。綺麗事抜きに生きていても税金を食い潰すだけ、だれも私が生きる事を望んでいない、私自身も。人は追い詰められると理性をなくします。お金がなくなったら盗みをするかもしれないし、オレオレ詐欺で年配者からお金を奪うかもしれない。近所の生活保護受給者が、担当の市役所の職員を刺した事件もありました。自分の生に固執して人を傷つけるより、自死を選ぶほうが私自身は素晴らしいと思っています。人間の心が失くなって、人の形をした獣としていきるよりも、人の心を持っている間に死にたいと思っているのです。これは私が自分自身の場合で思っている事であって、決して他の人に薦めている訳ではありませんが、個人的なご相談として、これは間違っているでしょうか?
    生きて恥をさらす前に死にたいのです。人のものを奪うような醜い自分になりたくないのです。死ぬのがどうして悪い事なのでしょう。私自身、死ぬ瞬間には、誰も恨まず何も恨まず、無理やりにでも笑顔でいようと思っています。
    上手く死ねたら、臓器を病気で苦しんでいる人に提供できるかもしれませんし。

    1. ともこ への返信

      想像もできないほど悲惨な人生はある一方、想像もできないほど恵まれている人生もある。これは偶然の産物でしょうか。
      恵まれているほど驕り(おごり)、恵まれていないほど羨む(うらやむ)それを少しでも“個別に”、または“共に”減らすのが“道徳的”であると、は道教の教えである。

  29. こんにちは。
    自殺について何度も真剣に考えたことがある者です。

    聖天宮法師のお話にたいして、自殺を考える人をさらに追い込んでいる、逆効果だという書き込みが見受けられますが、これを書き込んだ方々が実際に「自殺しよう」と心の底から思ったことのある人々であるのか、私にはいささか疑問に感じました。

    これは完全に個人的な意見でありますが、自殺をしよう、どうやって?どこで?と具体的に考えるようになった人に、「自殺しても楽にはならない」と、伝えることは決して、追い込んでいるというわけではないのだと思います。(本人がすでに自分自身を追い込めるところのギリギリまで追い込んでいる。)

    少なくとも、私はこの考えに出会ったとき「救われ」ました。崖の端に立って、この崖の上での生活は辛すぎるからと、飛び降りてやろうと思って下を覗いてこの先に何があるだろう?と考えていたときに、「この先により大きな苦しみが待っている」と言われたことで、ええ、たとえそれが、”科学的根拠のない、ただの可能性の話し”であったとしても、、それならばと、飛び降りても地獄、ここにいても地獄…。状況は変わらないのだから、ここで足掻く他ないのだと思えたのです。
    結局どこかで向き合わねばならぬ。それがあとになるか、今か。

    そうして、私は崖に背を向け、初めて”本当の意味で”人生に対峙したのです。この先で、千の矢が降ってこようと、真っ向から受け止めてやる。そう、思えたのです。

    人間、落ちるところまで落ちると笑えてくるんですね。比喩ではなく、人は絶望すると笑う。脳科学的な原因は分かりませんが、一因としては安心するんですかね、心の底から。落ちるところまで落ちると、もう落ちるところがない。そう思うと、自分の状況、考え、全てが心の底から可笑しくって、楽しくてしかたがないというふうに笑えるから不思議です。

    一度、不思議な経験をいたしました。苦しみ、嘆いて悲壮的な思いになったとき、空(くう)に向かって叫んだことがあります。「こんな不平等な世界を作ったのが、神ってんなら、私が死んだらぶん殴りに行ってやる!!」って(お恥ずかしい)
    そうしたら、笑われた気がしたんです。誰かに。そうして頭のなかに返事?のような声のような、いいえあれは「思考」でしたね、それが返ってきました。

    その声はとても優しく、慈愛に満ちていました。(当時の私は慈愛という言葉もまだ知らぬ子供でした)
    「いいよ、いいよ。何時でも来なさい。いつまでも待ってるからね。一発と言わず気がすむまで殴れば良いさ。ただ、それまでは”ちゃんと”、生きて。生きてそれから、ゆっくりと来なさい」
    その返事を聞き、体から力が抜けるのが分かりました。責める気持ちが急速にしぼんでいきました。

    それから暫くして、「公平、不公平」というのは人間の作った価値観で、神はこの世界を、別にわざと人が苦しむように創ったわけではなく。
    世界も自分という存在も、ただ、そこに在るだけなのだということがわかり、神にたいして不満?は失くなりました。人は現実を観て幸・不幸を判断し、喜んだり苦しんだりしている。けれど、実際は幸福なことも不幸なことも起こってはいなかった。
    幸・不幸を判断することを辞めたとき、世界は「静か」だと気がつきました。

    この世に人を裁く存在は、実際には居ないのだと、思います。ただ、学ぼう、成長しようと生まれることを自ら選択し、その先で待っていた試練に苦しみ、受け入れられず、結果的に自殺をして人生を辞めたとき、一番後悔するのは誰だと思いますか?そうなったとき、人は誰を責めるでしょう。自分がいなくなって心の底から苦しみ、嘆いている生前の親しかった人々の姿を見て、誰を責めるでしょう。
    そう考えたとき、結局のところ自分を裁くのは自分自身になるのではないかと推測出来るかと思います。
    だから、宗教では「死ぬと苦しいよ」と伝えているのではないかと今では考えています。

    長く拙い文章を読んで下さり、有り難うございました。

    1. 通りすがりの異邦人 への返信。

      色々な捉え方もあると思うが死の淵からもう少し何かできないのかを考えてほしい。

      自分の意志で死を選ぶのなら、生を選んでも同じではないか。
      今まで出来たことを捨て、今できることだけをすればよいではないか。

      死の淵から引き返す根拠について
      貧困の国より裕福の国の自殺率が高い(以前コメントした)。
      障害をもって生まれ来た子、毒親のもとで生まれた子は悲観して自殺はしない(以前コメントした)。これがリスタートボタンのカラクリ。
      ※リセットとリスタートの違いについては前コメントで話した。

      死ねば今の辛い記憶はなくなるが自殺することにより来世はより不利になる、例えば貧困な国で生まれる、肢に患持ち、毒親の元で生まれるなど。
      死んでからではなく生きているうちに自分でリスタートボタンを探してもらいた、この行為こそ道徳的と言いたい。来世の自分を自分の子供として思うように頑張ってもらいたい。
      今は“底だ”と思っても世界は広いので底のよりさらに底もあるのでなるべく自殺を避けてもらいたい。

      平等について
      また、パンドラの箱をあけるようであまりコメントはしたくないが、“平等じゃないと生きていられない?”

      以前コメントした、“神は公平(平等)であるが、人は短命な存在なのでそうは感じない。”

      “平等”は短命な人が作った社会の概念、主観の塊、教育の弊害。
      教育は“平等”を教えてくれるが、構造上、“不平等”は教えない。残念ながら“不平等”は世間から学ぶことが多く、特に苦しんでいる人ほど。では“不平等”はなぜ起きるか、これも短命な人がゆえ(投稿2017・1・8)(投稿2016・1・7)、基本的に誰が悪い訳ではない・・・

  30. 今世で辛い人生を送っている人は前世での業が悪く、その罰を受けていると思っているのですがどうなのでしょうか。
    自身、自分の存在をなかったことにして新しい生命体で人生をやり直したくて死にたいとずっと思ってます。辛いことを乗り越えて耐えて天誅を全うした人も、耐えて耐えて耐えて、限界を迎えて自ら死を選んだ人も対等に褒め称えられるべきだと思うのは間違いなのでしょうか。

    1. そのか への返信。

      辛いはさまざまがあり、“耐えて耐えて耐えて”もさまざまある。
      限界もさまざまがあり、“褒め称え”る内容もさまざまある。

      これだけは自殺する人に考えてもらいたい。
      ①衝動ですか?今先、受けた辛さか?
      ②夜ですか?夜は心細い、陰が多い時間帯か?
      ③知り合いと話したか?これはもろ刃の剣と思ってもらいたい。余裕のある人は受け止めてくれるかも、余裕のない人は逆に引かれる。試す価値ある。
      ④公的窓口と相談したか?これは難しいのは相手は他人、よって1回だけでは諦めない。
      コロナけれど3回足を運んだか?
      1回は事務的にあしらわされる、
      2回は印象に残る、3回でやっと共感してもらえる。願わくば1回で共感してくれるかも、
      特に今はコロナだから可能性はたかい。

      以上の行動は修行と思うこと、設定された所で“滝行”だけが修行ではない、人生はそう綺麗ではないから。
      以上の行動は自分への徳積みと思うこと、設定された所で“ボランティア”だけが徳積みではない、人生はそう悠長ではないから。

  31. 人は皆、平等ではない。
    産まれたときから死をむかえるまで。
    壁にあたるとき不平等を受け入れるのか不平等に嘆くのか。
    大きな差が生まれるのは言うまでもない。
    ポジティブネガティブ・前向き後ろ向き・表裏一体。言葉は必要だけれど意味を成さない時もある。
    自身に不幸が訪れたとき誰の言葉も受け入れることが出来ない。
    時間だけが解決してくれる。
    それが1週間なのか半世紀なのかは自身次第。
    その後は後悔との戦いもまっている。
    楽しいことは忘れてしまうが不幸な出来事は時間がかかる。
    前世など皆無であり言葉にも不信感を感じる。

    1. ナカハラカズジ への返信。

      カッコいいコメントかもしれないが・・・

      時間は必要かもしれないが時間だけでは何も解決しない、そう甘くない。
      納得(法律手段)、許し、あきらめ、開き直り、自分で意識と行動をもって前へ進むしかない。
      “後悔をする必要はない”、後悔より同じ轍(てつ)を踏まないこと。

  32. 来世頑張ればえぇんちゃう?
    ドンドン苦しくなるっていうてもリスタートできるんなら自殺しまくればえぇやん!

    そんな今!に拘らずにさ
    来世があるさ!って思えば自殺も気楽にできるもんになるよな!!

    今より辛い状態になる?
    辛いの概念は今の自分やからやん
    来世の自分には辛く無い物かもしらんし
    なんなら今の意識は無いんやろ?
    そんなら今の自分には関係無いやんw

    来世の俺(私)後は任せたぜっ!て軽い感じで自殺してけばえぇんやと思うで!!

    1. 坊主丸儲け への返信。

      リスタートね・・・ゲームで例えると1ライフ減る、何処かまでに辿り着かないと大幅に戻される。人が作ったモノでさえペナルティーと言った概念があるんたよ・・・

      確かに死ねばもともとのベースラインは何処かを忘れるのでペナルティーはないと等しい。果たしてそう簡単でしょうか、記憶は無くなるが人の魂の様な俯瞰的にモノ観る・感じる要素があるとすればどうでしょうか・・・
      いずれにせよ、自殺を助長するコメントはよくない、止めて欲しい。

      1. 聖天宮法師 への返信。

        全然、話は違うがこちらのブログにコメントをするのはよいが、掲示板ではないのでコメントし合うのは承認しないので、あしからず。

  33. お聞きします。
    検査結果異常なし。胃痛、吐き気や食欲不振が毎日続く。
    病院に行っても特効薬なし。
    考えを変えた所で胃は動かない。
    この場合も頑張って生きなければいけないのか。何も食べるなという意思表示なのだろうか。それとも野暮やマネをしないように気持ち悪さを精神病院あたりに入って薬漬けのまま寿命まで耐えろというのか。そうなった時を想像してどうしたらよいか返答お願い申し上げます。

    1. FD への返信。

      風薬を飲まないと風邪をこじらせ肺炎で亡くなる人も一昔まではいた。
      よってくすり、風邪薬から抗がん剤まで、多かれ少なかれ全て延命。
      効き目の善し悪しは長年人類が試行錯誤で蓄積した文明の利器。
      勿論、所詮人が作ったモノ、直せない病もあるし、キツイ副作用のモノもある、だがクスリは善意で作られていると信じて欲しい、使い続けて欲しい。クスリを使い続ける選択は明確な生きる意思表示である。

      1. 2件質問します。
        ・自分の意志ではなく薬の副作用による自死はどうなりますか?
        ・食べられない状態が続き、摂食障害で餓死した場合も自死なのか?

        1. fd への返信。

          以前もコメントしたが“自殺を意とした行為”は “自殺”である。

          薬の副作用について
          薬の副作用で死ぬのは自殺ではない。だが副作用をもって自殺をするのは自殺である。

          ワクチンを打って自殺をする人に対してのコメント
          2021年7月5日 5:24 PM コメント抜粋
          ワクチンを打って自殺をする人に対してのコメント

          あなたがワクチンを“①有害と信じ”、“②死ねると思い”、“③自分の意志で”接種し、
          “④副作用が出て何もしなく、接種所の医師に何もさせなくて”死んだ場合、それは“自殺”である。

          2022年7月9日 2:16 PM コメント抜粋
          始皇帝が大量の水銀を摂取して死んだ、自殺ではない。自殺の意志はない。
          貴方が水銀は有害と知って自殺の意志をもって摂取したらそれは自殺である。

          摂食障害で餓死について
          拒食症・摂食障害、は精神疾患・病気なので適切な治療、サポートを受けること。
          治療の甲斐もなく死んだ場合はそれは自殺じゃない。よって自殺する必要はない。

          2021年7月8日 4:37 PM コメント抜粋に類似例
          錯乱状態の自殺について
          法律の専門家ではないが理論的に考えると、
          “錯乱状態”で“他人”を殺した場合、第三者でその責任能力の有無を測り、“錯乱状態”とされた場合、犯罪としては成立しない。

          では自殺について考えると、自殺はこの世では罪にないがあの世で罪にる。道教では他人を殺すと同様、自分を殺すのも罪である。
          よってあの世で“錯乱状態”とされた場合(強調)は、いわゆる“自殺”ではなく“病死・寿命”あつかいになる。あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”をした本人が一番わかると思うが・・・

  34. 自殺を助長?
    現実コロナ渦で思う様に事が運ばないんだから仕方がないんじゃないかと。
    現世で出来なかったら来世に託せばいい事ですし。
    神様と守護霊に死になさいと聞こえられたら死ななければならないのです。寿命なんです。
    不治の病に掛かっていなければ自殺しかないんです。
    死になさいと囁いているのは邪鬼と怨霊でなく神様と守護霊です。
    前々世と前世で自殺して辛い状況であれば現世で自殺しても今度こそいい事がありますよ。

    1. E235-1002 への返信。

      論理的に考える
      ①神様と守護霊(いれば)が死を促すのであれば、不治の病を授けるなり、不慮の死を案配するなりすればよいではないか。善意で自殺をする人の事を思っているのであればいちいち囁くような傍観者的な態度は取らないでしょう。

      ②陽で生きている人間に対して陰の邪鬼と怨霊は力が及ばないため囁くことしかできない。もし邪鬼と怨霊に力があり、死を促すのであれば別に弱っている人だけではなく元気な人にも死を勧めるのではないか。あんまり聞かないね・・・

  35. 大変為になりました。自分もかつて死のうと考えた事もあります。衝動的な行動をとった事もありますが生きています。
    今は、死にたい人や悩んでいる人に対峙する事をしています。

    旭川の悲しい事件からご冥福を祈り調べていたところ此処へ辿り着きました。
    死ぬ自由もあるかもしれないけど、プライドも要らないし、周りに迷惑をかけたっていいし、辛い事や悲惨な事も記憶でしかない。
    脳の記憶が自分を作っているなら
    自分の人生は自分が握っていると思うんです。妄想にとらわれたり、フラッシュバックや病んでしまっている方も多いと思いますが、図太くなっていいと思います。

    生まれてきてすみません、や
    トラ●プさんみたいに‥。(好き好きありますね)
    脳の記憶を書き換えてでも(リセット)
    命を経ってリセットを図ろうとする自死は勧めたくないです。
    聖天宮法師さんの影響で道教に興味を持ちました。
    私の周りには霊能者や臨死体験をされた方がいて死後の世界のエピソードも聞いています。
    例えるならほんの1%くらいの死後の辛さの極々稀な例外ケースもあるようです。(死を許される‥というのでしょうか‥)
    でも聖天宮法師さんのいうように自死後はほとんど辛い目にあうようです。

    私ももしまた自死を考えたらこのサイトを思い出したいと思います。

    聖天宮法師さんのお陰で道教に興味が湧きました。

    1. 自分の人生変な奴らに汚されてたまるか への返信。

      旭川の悲しい事件について

      子供は残酷である、未熟である。
      自分の痛みの限界を知らず、人の痛みの限界も知らない。
      自分を守る手段を知らず、人に助けを求める手段も知らない。

      文化・慣習の名の下で更新しない法律、犠牲が伴わないと更新しない法律。
      想像力のなさ、やる気のなさを露呈している。

  36. 初めまして
    非営利で霊能を生業としているものです。

    本当に自殺者は救えないのだろうか?
    救ったことがある人はいるのではないだろうか?
    人間として、もし救うことができるのであれば救いたい。

    そのような疑問を持ちつつ調べていたら、こちらに行き着きましたのでコメントを残させてもらいました。

    これは私だけかもしれませんが、自殺者には温和に対処する方法がありません。

    自殺者の霊達を見ている限りでは、理として自殺=罪である事は間違い無いと思います。

    自殺した霊にどれだけ救いを懇願されても、助けることができません。
    (救いを懇願してくる自殺者の霊はかなり多いです。ほぼ全ての懇願者が自殺を心底後悔しています。この事からも、自殺は生前以上に苦しいんだろうなと想像できました)

    根負けして救いの手を伸ばしたとしても、必要な場所までたどり着けず、結局救う事はできないのです。

    自殺者に次はありません。
    私が知る限りでは、その時が来るまで彷徨い続け、その時が来た時に存在が消えるという事だけです。

    自殺は、生前の苦しみの経緯は、どんなに頑張って生きてきても評価されない。

    感情論は飽くまで人間の考えの中でしかない。

    それは事象で判断され、罪として処理される。

    その罪は、生まれ変わりを許さず、罪が消えるまで彷徨い続け、やがて存在事消える。
    これが自殺者の末路です。 

     私も定期的に自殺したいと考える時期がありますので、自殺者の苦しみや気持ちはわかっているつもりです。ですので今、自殺を悩み苦しんでる方に自殺するなとは言えませんし、止めるつもりもありません。

    ただ、自殺後の末路を知っている事と、自殺した人と話したり見ている限りでは、どんなに苦しくても、自殺する気にはなれません。

    ですので、私は自殺をしたいと言っている人にはいつもこの話をしています。

    1. 縁 への返信。

      “自殺する人を救う”の意味が分からない。
      スーパーヒーロー的な、飛び降りた瞬間をキャッチ、また、自殺しないように欲しいものを与えるでしょうか。

      自殺をする人は救えない。
      自殺をしないように説得をするしかない、なぜなら自殺をしないようにするのは自殺する本人しか出来ない。

      自殺をする人に対して言いたい。
      “自殺をしたらリセットになる”のような安易な発言には耳を傾けてもらいたくない、生死にはルールがあるので不利な死に方をしてもらいたくない。

      1. リセットボタンなんて思った事はありません。電源の強制終了ボタンだと思っています。
        また生まれ変わりたいなんて人は苦しみが比較的少なかった人なんでは?

        1. abc への返信。

          強制終了ボタンは自分で押すものではない。
          苦しみは様々なので、受け止め方も様々、“比較的に少なかった”は主観なので安易な発言。

          苦しむと自殺をして、苦しみから逃れ、生まれ変わってやり直したい気持ちは分かるが、ですが自殺は決して根本的な解決策にはならない。
          根本的な解決策は今でも遅くないので勇気を持ってその苦しみに自分の意志で例え解消できなくても向き合う事。そしてその行為は現世で好転しなくても必ず生まれ変わった来世の為に絶対になると信じてもらいたい。

  37. 逃げとしての自死ではなく、もう充分に生きたと感じた時点で自分の人生には自分で幕を降ろしたい願望があります。

    まあ別に生きることにも頑張ることにも意味は無いので基本的にいつでも良いのですけど、さすがに今いる肉親の人生に影響を及ぼす訳にもいかず…

    私の現在生きるモチベーションはそれ位ですね、本当に意味の無い人生です。

    1. 私 への返信。

      人生は千差万別、満足を不満として感じる人もいるし、不足を乗り越える使命と感じる人もいる。
      それぞれ今の状況をどう感じ、どう行動していくのが大事。

      それはハッキリした目的のあった面白い人生は一番理想ではあるが、
      目的が無いと生きていけない?
      面白くないと生きていけない?
      人生はモチベーションと関係ないし、面白いための人生でもない。
      同じ状況でも面白くも感じ得るし、無意味と感じ得ることもできる。
      モチベーションが無く“意味の無い人生”であっても、その意味の無い状況とどう向き合うのかを最後まで見届けるのをモチベーションにしてはどうでしょうか。

      因みに、2016年11月15日の投稿
      コメントの方は②か④に該当すると思うので参考にしてもらいたい。
      抜粋
      ①人生前半で意欲が有る人は意欲にまっしぐらに進めばよい。特にアドバイスは無いが、ペースを上げすぎるとまた、周りの人に気を配らないと挫折をしやすい。
      ②人生前半で意欲が無い人は人と向き合うより自然と向き合あうことがよい。とくに物作り、研究がよい。なぜなら、自然は正直であり、そこから①になるように目標を見つけるでしょう。
      ③人生後半で意欲のある人は人間関係をよくするとよい。例えば、後世、子孫、後輩の育成に努める。
      何故なら、身体と精神にギャップがあり、無理をすると病気、怪我に繋がる。物理的に弱くなったことを認識する。
      ④人生後半で意欲の無い人は介護、また人の後始末に関わる仕事がよい。なぜなら、来世を信じなくても、無理なく来世の徳積みがで来る。目標がどうしても見つけなく、どうしても③になれなければこれが一番よい。

  38. 人生はいわばRPGゲームみたいですな。ゲームの世界であれば、手詰まり感があればリセットボタンを押して最初からやり直しが出来る。
    人生の場合は、手詰まり感があれば最初からやり直すには自殺しかない。
    自殺と言うリセットボタンで来世でやり直す事になる。

    1. E235-1002 への返信。

      RPGね・・・
      簡単な役を選ぶとサクサク行けるし、飽きると敢えて難しい役を選ぶ。
      上手くいかないと、リセットしてやり直す、娯楽なのでどうせ時間つぶし、
      実損は電気代だけ(1kwhr約28円)安いものだね。

      それを踏まえて自殺はどうしてリセットボタンと思うでしょうか?
      もっと公平で理論的に考えてもらいたい。
      いずれにせよ自殺を助長するコメントはよくない、止めて欲しい。

      2021年3月26日 3:08 PM
      E235-1002 への返信
      抜粋
      自殺はリセットボタンじゃない、リスタートボタンだ。
      リスタートは、今状をベースに再度試みる。
      リセットは、初期状態から、
      全然違う。

      2021年4月27日 8:01 PM
      坊主丸儲け への返信。
      抜粋
      (自殺とゲームの比喩にたいしてのコメント)

      リスタートね・・・ゲームで例えると1ライフ減る、何処かまでに辿り着かないと大幅に戻される。人が作ったモノでさえペナルティーと言った概念があるんたよ・・・

  39. 自分の人生に納得いきません。
    来世は、自分の思い通りに産まれたいです。
    そうでなければ、生きてても何も楽しくもない。人生なんてクソです。
    最低でも、自分がこのように生まれたいという設定をちゃんと自分で考えて決めて産まれることが出来るようにして下さい。
    生きてて思います。不平等うんぬんとかではなく、明らかに生まれてきた時点で欠損してるとか障害があるとかおかしいだろ。努力する以前の問題で、ただ死ぬまで生き続けるという苦行でしか無いんですが?
    別に死にたいという気持ちは、堆肥になって死にたいという訳ではなく、こんな人生に納得いってないという意味のしにたいです。死にたいくらい割に合わない人生です。
    他人と比較するから不満が生まれるのでは無く、既に不満がある訳で、感謝して生きる気持ちにもなれません。
    あと、苦しむことが魂の成長に繋がるというなら、それは間違ってると思います。成長に繋がるんなら、生き抜いて死んで、来世に生れ変わる時に特典を付けるべきだ。

    1. 人生は生まれた時点で決まってるとしか思えない への返信。

      苦しんだ人ほど生まれ変わった時、“特典”と言うか有利な立場に生まれ変わるのは間違いない、但し何処で産まれ変わるのか、何処か有利になるのかは残念ながら選べられない。

      “明らかに生まれてきた時点で欠損してる・・・”のであれは“明らかに”生まれ変わった時に
      優位になる。また、簡単な思いをして“生き抜いて死ぬ”人と大変な思いをして“生き抜いて死ぬ”人を比べると、後者の方が“魂”の成長につながるのも間違いない。
      とは言いつつ、“簡単な思い”をして生きている人は必ず、満足・納得しているとは限らず、大変な思いをして生きている人は必ず不満しているとは限らない。
      以下を信じて“クソ”と思う人生と前向きに生き抜いてもらいたい。

      ジャンプをする前はしゃがむ、しゃがまないとジャンプは出来ない。しゃがめばしゃがむほど高く飛べる、生き抜く行為こそ、今世の為にならなくても来世のために貯めることは出来る。しゃがみの苦しみに耐えられず、非道徳的な行為、安易なあきらめ・自殺などは今世、来世の為にはならない。

      1. なぜ来世が有るって分かるんですか?
        来世って何? そんなの分かるわけ無いんじゃ無いですか?
        もし、来世と言うものがあって自殺したら悪くなるって、物理的に科学的に立証されてるなら誰も自殺なんてしないですよ。誰だって悪い人生は送りたくないでしょうから!
        でなきゃ、なぜ有名芸能人が自殺する??? あんなにお金稼げて、人々に尊敬され、人前に出れるメンタルを持ち合わせて居るのに。少なくとも自分より社会に出て、成功していたのに。それでもなお「自殺」をする。
        と言うことは、人生がどれだけ良かろうが悪かろうが死にたい人は死んでいく。それだけじゃ無いんですか!?
        来世もクソも無いんじゃ無いですか?
        そんなに自殺が悪と言うなら、自殺して行った人達にどうやって言うのか教えて下さい!

        1. 質問します。 への返信。

          来世と自殺について
          昨今、想像を絶するほどの化学の進歩をもっても試験管でいわゆる“生命”、はいまだ出来ない。もう時間の問題かもしれないが、物理・科学が早く生命は何か、また人はなぜ高度な思考を持つのかを証明・解明してもらいたい。
          いずれにせよ多くの宗教が解く“自殺は来世に良くない”は科学的に証明されていないのを理由に”苦しいと思えば自殺していいよ”は今の段階では安易・無責任すぎる、何故なら“自殺はいい“と証明も出来ていないからである。

          タレントの自殺について
          報道は全てと思わない方がいい、タレントと言っても所詮人の子、一般人と同様、悩み・苦しむ。また、人生は相対的なので、あなたが羨むタレントの特性とする、多くのお金を稼ぎ、多くの尊敬を集め、はもろ刃の剣いで欠けてくると一般人の何倍も負担になり、強いメンタルも砕く程。

          自殺して行った人達にどうやって言うのかについて
          道教は輪廻転生を信じ、故人の霊を呼び起こすことは不可能とも信じているので、だから僕は生きている人に自殺は良くないよと訴える、なぜなら死んだらもう話せないから。

  40. 自分は安らかに死ねるなら死にたいと考えている者です。
    母はとてもいい人でした、ですが他の人のために頑張り、体を壊し癌で亡くなってしまいました。親戚は祖父母の面倒は母に押し付け、祖父母は家事は何もしませんでした、そらに母のものをもらっていいとか聞いてくるような人です。
    母に優しい子でありなさいと言われ生きてきましたが、自分が損することが多く、辛くて死にたくなる時もありました。この世はいい人には優しくないのでしょうか、この先にいいことが起こると考えることもできません。
    自殺はダメなのでしょうか?長々とすいません

    1. 世の中に向いてない への返信。

      残念ながら世間に置ける“利他”・“善意”の行為は“志し”・“お気持ち”に属するのでお返しを期待しない方がよい。施す側の善意から始まる行為ではあるが受け止める側の善意も必要になる。双方の善意は高め合うとよいが、なかなかそう上手く行かない。

      最終的に双方の善意は輪廻で来世のプラスと評価されるので、二つを比べると施しをする側の善意が起点なので評価は断然高い。
      お母さんはされたことはとっても立派ではあるがお母さんの回りにその善意を理解する人はいなかっただけで誰が悪い訳でもない。

      ①善意はこの世で評価されなくても来世の為にはなる、決してマイナスと思ってもらいたくない
      ②善意は必ずしなければいけないことではない、何故なら施す側の善意の起点が無ければそもそも無いもの。
      ③善意は“志し”なので無理しないこと。物理的、心理的に余裕、がなければ直ぐに止めること。

  41. 私は自殺をすると来世で今世よりも苦しいという考え方についてあまり理解できません。

    この考えが正しいのならば、前世での業によって今世が苦しくなるはずです。

    私は旭川よりも酷いいじめに遭いましたが、それに耐えながらも今まで何とか頑張ってきたつもりでした。しかし、加害者達は私よりも幸せに暮らしています。
    しかも、その加害者達は私が知っている限り、組織的なストーカー犯罪を行い、自殺に追い込んでいます。

    加害者達は数世代前からそのような悪行に手を染めているそうです。それならば、前世での業(間接的殺生)が今世に来て、その人達は今世で前世よりも不幸になるはずだと思うのです。それにも関わらず、加害者達は被害者よりも今の所は幸せに暮らしています。

    纏まりのない文章ですが、どのように考えていけば良いか教えてください。

    1. 抹茶 への返信

      二つを分けてもらいたい。
      家系は家系、生まれ変わる所は生まれ変わる所、全く関係ない。
      その家系で死んだからその家系で生まれ変わるわけではない。

      家系について
      家系は物理的現象なので、物事と同じように家系には惰性があり、例えば貧乏の家庭は余程の転回が無ければ裕福にならない、裕福の家庭は余程の転回が無ければ貧乏にならない。
      勿論例外はある、渋沢栄一、マイケル・ジャクソンかな・・・・
      この世は陰にバイアスが掛かっているのを考慮すると、貧乏から抜け出すのは強い意志が必要、裕福は怠慢していると散財する。

      生れ変わる場所について
      善いことをすれば必ず有利な立場で生まれる。
      悪いことをすれば必ず不利な立場で生まれる。
      生まれ変わる所は本人たちを含めて誰も分からない、立場は真逆で生まれ変わるかもしれない、輪廻のみと知る。

      幸せについて
      幸せは人と比べるものではない、幸せそうな人を参考にしてもよいが、羨む・妬むことではない。
      現世の有利不利な立場は前世で行った善悪の行為を起因としているは間違いないが、それを変えるのは現世の自分以外はない。全ての前世が具現化した現世なので前世を振り返る必要は全くなく、そもそも前世を悔やむことは無意味である。

  42. 自殺予防は、とても難しい問題だと私は思います。 
     自殺すると死後苦しむのは、どうやら本当かもしれませんが、やり直すチャンスは、欲しいと思います。

     他の霊能者の話はプライバシーのため省略。

     自殺を本気で考えている(この書き方は適切でないかもしれませんが)というより、自殺衝動が襲ってきたら、理性が働かなくなるので、自殺すると死後苦しむからやめておこうという考えすらも、歯が立たないことが、私の経験では、ありました。
     衝動をなんとかやり過ごすしかないと思いました。
     なお、私は、自殺を推奨しているわけではありません。(念のため)
     過労状態なら、休むしかないと思います。周囲に迷惑をかけるかもしれませんが。。。

    1. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

      まず道教には死後はあるが、苦しむ、楽しむ死後はない、ありえない。
      2016年2月4日 @ 15:02 の投稿を参照
      よって”自殺をすると死後”、苦しむのではなく、生まれ変わったとき、より不利な立場になり苦しむと言っている。生死にはルールがあるので自死行為はためにはならないと強く言いたい。

      自殺と衝動と理性について
      自殺は第3者からすると“衝動的”かもしれないが、
      自殺は積み重ねた思いからなので一回の衝動を回避しただけでは根本な解決にはならない。
      若い人の自殺は衝動的と感じるが、それは若い人の時間軸は短いため、また未熟なため、大人がそう感じるだけで、本人からすると多いに悩んだ結果の行為、衝動的ではない。

      “悩む”行為は理性なので、悩んでも乗り越えない理不尽、不合理があるから自殺を選ぶのである。自殺を思いとどめには本人の理性に働くしかない。
      以下自殺する人に多いに繰り返したい、
      ①“自殺は損、現世も来世も。”
      ②世間は理不尽かもしれないが、社会はそれを補う制度はあるので、多いに利用してもらいたい。
      とは言いつつ社会制度は期待の1/3しか及ばないであろう。
      ※人の善意はMAX1/3、善意の限界の説明  2017年2月24日 @ 12:04

      過労状態について
      社会はそれを補う制度はある。
      厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoujouken02/jikan.html 労働時間・休憩・休日関係

      労働者と経営者は相反する考えがあるので労働者は自分の権利を勉強しないと。
      労働の権利は社会が決めた1/3の善意なので迷惑ではない。

  43.  私は、以前から陰謀論を信じていました関係で、ワクチンが有害かもしれないと多少思っています。
     ただし、最近のQアノンやトランプ前大統領の『不正選挙』などの話は、絶対に間違っているとは、私には証明できませんが、少しついていかれないところがあります。
    ※ニュースでも大体的に取り上げられているのでOK。

     ところで、例えば死んでも構わないと思ってコロナワクチンを接種して、死んでしまった場合、あの世で『自殺』扱いされるのでしょうか?
     私は、自殺衝動をなんとかやり過ごし、今はあまり精神症状がないのですが、ワクチンを打つことで、『自殺』とみなされたら、たまりません。
     馬鹿げた質問で大変申し訳ないのですが、私に自殺衝動があったときに相談にのってくれていた人が、陰謀論を信じているので(私は少しついていけなくなった)何か、気持ちの整理がつかないです。
     ワクチン接種は、あくまで健康のためのワクチン接種で、死んでも構わないと思って受けたとしても、それが『自殺』とみなされるのは、おかしいと私は思いました。
     馬鹿げた質問で、申し訳ありませんが。。。

    1. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

      先ず、ワクチンは予防のためなので、よって“コロナワクチンで自殺”は“形容矛盾”なので意味不明。

      あなたの意志でワクチンを打ち死んだ場合、これは自殺ではない、”医療ミス”と言う”寿命”
      対策:https://www.mhlw.go.jp/content/000770985.pdf。
      2021年3月7日 2:40 PMのコメント 自殺と寿命の違いについて

      あなたがワクチンを“①有害と信じ”、“②死ねると思い”、“③自分の意志で”接種し、“④副作用が出て何もしなく、接種所の医師に何もさせなくて”死んだ場合、それは“自殺”である。
      この度のワクチンであれば“未遂”になる可能性は高いと思うが・・・

      陰謀論について
      一番自由を謳歌する国にして一番陰謀論が蔓延るのも“形容矛盾”なのでは・・・

      1.  コロナワクチンを打って死んでも、『自殺』ではないと言い切って欲しかったです。
         今回のワクチンは、多分副反応は出ると思いますが、すぐに死ぬことはないと思います。
         私は、メンタルクリニックに、週4〜5日通っているので、ワクチンで何かあれば、報告せざるを得ないので、副反応が出ても何もしないということは、ないです。
         私の愚問に答えて下さり、ありがとうございました。

        1. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

          コロナワクチンを打って自殺をしようとしても自殺未遂になるので『自殺』にはならない。
          自殺を繰り返す人も、成功するまで、“自殺未遂”なので“自殺”とはならない。

          1.  今日、コロナワクチン1回目を打ちました。17時頃に打ったのですが、今のところ、大丈夫です。
             明日以降、どうなるかまだわかりません。

          2. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

            よかったね。打ちたくても打てない人まだ何千万人もいる。

            大丈夫・・・害はないよ、何故なら
            この度のワクチンの特徴、
            ①mRNAワクチンは不安定だから-70度で保管する。人の体に入ったら免疫に直ぐに攻撃され、なくなると共に免疫がそれを覚えるのが目的。
            ②ウィルスの突起物を模写したワクチンなので別にウィルスそのものではない。ウィルスの突起物はウィルスのほんの一部なのでいわゆる生きている訳ではない。例えばあなたの特徴の一つ、鼻を作っても生きているあなたではない。
            ③あんなぶっ太い注射針は細胞の核に入れる訳ではないので別に遺伝子が書き換えられることは100%ない。
            ④量が少ない。発がん物質に多く、長く晒すことではない。不妊になることはない。

            2回目、反応が出るかもしれないが、それは体の免疫が機能している証なので大丈夫勇気を出して打ちましょう。

  44. 自殺者の霊も成仏できます。

    コメントの一部、他の霊能者の話はプライバシーのため省略。

    身近に自殺をした人を知っていますが

    錯乱状態で自殺は悪いことなんて考える

    余裕はなく発作的に自ら頸動脈を切って

    しまいました。

    1. 5 への返信

      成仏について
      まず道教は仏教ではないので、“成仏”、またはそれに似た概念はない、不可能、必要ないとの考え。
      道教では死ぬと神様に近づける考えはない。神様と我々との次元があまりにも違いすぎるので、例え高徳で輪廻(りんね)転生(てんせい)を抜けたとしても“土地(とち)公(こう)”、文字通り土着の神様になるのに過ぎない。死ぬだけでは神様がいる所謂“天国”に近づけるのはとうてい不可能である。

      錯乱状態の自殺について
      法律の専門家ではないが理論的に考えると、
      “錯乱状態”で“他人”を殺した場合、第三者でその責任能力の有無を測り、“錯乱状態”とされた場合、犯罪としては成立しない。

      では自殺について考えると、自殺はこの世では罪にないがあの世で罪にる。道教では他人を殺すと同様、自分を殺すのも罪である。
      よってあの世で“錯乱状態”とされた場合(強調)は、いわゆる“自殺”ではなく“病死・寿命”あつかいになる。あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”をした本人が一番わかると思うが・・・

      1. あなたは統合失調症という

        心の病気を知ってますか?

        この病気にかかり自殺をした家族が

        死んでも成仏できないと嘆いてました

        仏教では、自殺は勧めてませんが 、

        お釈迦様はみな平等に成仏をしてくれます。

        1. 5 への返信。

          ①仏教を信じる家族、②お釈迦様は平等
          ではなぜ成仏できないことを嘆いているでしょうか・・・不明。
          逆に僕がききたい。

          仏教を信じれば自殺しても成仏はできるのであればその仏教を信じるとよい。
          信仰の自由は日本憲法で保障されているので成仏は出来るでは・・・

          僕は道教なので主に道教の事しか言えないが、確かキリスト教もイスラム教と仏教以外のほとんどの宗教は“成仏”はない、何故なら仏(ほとけ)・お釈迦様の信仰はないからでは・・・

          1. 申し遅れましたが、私は
            ※個人が特定できるかもしれない内容を一部省略※
            を研究してる者です。特定の宗教には入ってません
            あなたが疑問にされてる 何故成仏されないと家族が嘆くかについては、本人は現世が苦しく自殺をし、死後もまた苦しんでるとしたら残され家族はいたたまれないでしょう。
            自殺を勧める訳ではないが、少し勉強不足で、この教えは自殺された方に失礼です。
            もう少し暖かく包み込むような
            メッセージを下さい。

            もう少し暖かく包み込むような
            メッセージを下さい。

          2. 5 への返信。

            違います、
            “私の質問は何故成仏されないと家族が嘆く”ではなく、
            “何故成仏ができないと思い込んでいるのか。”
            コメントの様に “お釈迦様はみな平等に成仏をしてくれます。”
            を信じるのであれば自殺をしても成仏できるので嘆く必要はないよ、と論理的に説明しただけ、“暖かい“メッセージと思うが・・・
            勿論、コメントを信じる前提は必要、またお釈迦様の慈悲なので他の人はそれに便乗しないのを願うが・・・

            この教えは自殺された方に失礼です。について
            あなたが重きを持つお釈迦様にはこの様な逸話がある。
            簡単に“釈迦と自殺”ネットで検索すると、釈迦の“牛と荷車”の逸話がある。
            自殺する娘を助けるため挙げた例えかもしれないが自殺に対してめちゃくちゃキツイではないか。今の時代なら結構叩かれると思うが・・・

  45. 今日東京で4度目の緊急事態宣言、また酒類を出す飲食店は死活問題、政府は国民に対して死ねと思っている事でしょう?
    自殺と言う人生のリセットボタンいや人生の強制終了ボタンを押すしか無いんだろうな。
    自殺してもう一度来世で頑張るしか方法が無いんだよな。
    現世に逃げてもいいんですよ。自殺は来世で人生をやり直しが出来るボタンでもあるのです。

    1. E235-1002 への返信。

      文明は5000年あり、今の日本より大変な時期は多々ある、地震、戦争、飢饉。
      今は社会制度の充実・災害後の援助、流通の発達・飢餓にはならない、核の抑止力・戦争にはならない。

      2020年11月12日 4:42 PM のコメント
      逃げる事は悪いと言ってない、死に逃げるのは良くないと言っている。
      何故なら、唯一逃げられないのは死、死から逃げる志しが大事。

  46. これから先、政府には何も充てにする事は出来ません。
    後は生き続けるのを諦めて自殺して何事にも来世に託せばいいんやなと。
    もう無理して生きる必要はないと。
    自殺して楽になってそして来世に向けてリセットすればいいんやな。
    時に自殺して良かったと思う事は有りますよ。

    1. E235-1002 への返信。

      文句を言うのは簡単、政府に文句があれは一票を投じよう、また仲間を集めて声を上がよう、それが民主主義。政府に届かなければ市議につてえよう。思い通りにいかないから自殺をするのはやめよう。

  47. このご時世、自殺の防止は最早手遅れだろうな。
    どうにもならないから自殺者が増えるのです。
    仕方がないですね。
    不治の病に掛からず、不慮の事故に遭わなくても寿命が来たからか?
    それなら寿命は自分で決められるからそれはそれだが?

    1. E235-1002 への返信

      自殺防止は最早手遅れであっても防止行為を蔑む、命を軽視するコメントは必要でしょうか。

      何度も言うが自殺は寿命ではない。
      自殺は寿命ではないについて
      2021年3月7日 2:40 PMのコメント
      一部
      自分の意志で死ぬのは自殺、他の要因で死ぬのは寿命。全然違う。
      寿命は何時、死ぬのかはかわからない、自殺は分かる。全然違う。
      何時、死ぬのか分からないからコツコツと生活する。
      何時、死ぬのが分かれば逆算できるので全然違う。

  48. しゃがむ暇が有ったら自殺した方が今世、来世の為になります。
    思い通りに事が運ばなかったらそれは人間の寿命なんです。
    神様と守護霊に死になさいと聞こえられたと言う事になります。
    そのほうが来世でやり直しが利きます。

    1. E235-1002 への返信

      神と守護霊(居れば)は“死になさい”とは言わない何故ならその神はもはや邪神、その守護霊(居れば)はもはや怨霊。
      詳しくは 2021年5月5日 4:02 PMのコメントを参照。

      会社が嫌になれば辞めればいい、結婚が嫌になれば離婚すればいい、子供が嫌になれば捨てればいい・・・結果、人生が嫌になれば自殺、これでやり直したい?!

      嫌な会社を辞めればもっといい会社に入るかもしれない、嫌な結婚は離婚すればもっといい伴侶と結ばれるかもしれない、言うこと聞かない子供を捨てまた産めばいい・・・結果、人生が嫌になれば自殺してやり直す。

      おかしく感じるのは僕だけかな・・・

      しゃがむ行為は今の自分を見つめ直し、少し下げてやり直すこと。
      自殺防止行為を蔑む、命を軽視するコメントは必要でしょうか。

  49. 神様も仏様も幽霊も悪魔もおらんよ
    それは全部弱い人間が作り出した幻想

    人は死ねば肉体はただの化学物質になり脳の生態電気信号が止まりニューロン回路の連係が出来なくなるだけ

    魂だの霊体だのが命を保ってる訳ではない血液の循環が肉体と生命を保ってるんやからさ

    仮に神や仏がおったとして
    ならば何故?産まれたばかりの赤子を病や災害で殺すのか?罪も無ければ徳も無い存在を殺す理由は何?

    こじつけではなく明確な理由
    1+1=2の様に100人が100人とも同じ様に理解し納得する理由を教えてくれ

    そんな訳のわからん存在をあたかも信じて風を装って困ってる人、悩んでる人を騙して金儲けを考え弱者を洗脳する詐欺師でしかない!

    霊だの何だのを信用してるオカルト信者に聞きたい!地球が誕生して数億年、その果てしない時の中無念で死んだ生物は幾億?幾兆?いあ幾京とおる思う

    それらの生物の魂や霊がこの地球に溢れかえってる筈やのに霊媒師だの住職だのは必ずしも学んで知ってる歴史までの存在の霊体しか見られへん、しかも言語が通じる

    日本と言う国が確立され日本語が誕生する前のこの大陸で自害や無念で死んだ生物の霊体は何故見られへん?

    それは都合の良い(自分が想像出来るまでの物)しか話されへんからやろ!

    地球が誕生したのも化学反応
    生物が誕生したのも化学反応
    生物が生きてるのも化学反応

    霊だの神だのが本当に存在してれば
    地球は化学では無くオカルトが発展していってるはず!

    廃れていってる理由は
    全部嘘であり金儲けの為やから
    騙される人が減ってきたからである

    自殺は良くない!これは同意する
    だがしかし、理由は簡単
    その遺体の後始末する人が迷惑やし
    後味悪いからやめとけ!!

    生きてる時ですら人は周りに迷惑かけてんのに死んでまで迷惑かけるな!ちゃんと寿命、天災、病まで生を全うしろ!

    死ぬのに勇気も覚悟もいらん
    生きる方が勇気も覚悟もいるから
    自殺は覚悟でも勇気でも無く諦め
    諦めの先に見える救いが死!なのかな?とも俺は思う事もある。

    本当に自殺を止めたい!という意思が世の中の住職や神主にあるならば!溜め込んでるお金を貧困で困ってる身近な人に分け与えてみろ

    人間は金銭に余裕が出来るとな?
    少なからず生きる希望は持てる

    しょぉもない言葉で励ますより
    先ずは目に見える行動で示してみろ

    金は出されへん!逆に金使いに来て!
    そのお礼にマニュアル通りのお喋りしたるから!って住職や神主が大嫌い

    世の中 金が全て!とは言わんが
    全ての事にお金が必要なのは事実

    住職や神主もご飯食べるのや
    PCや携帯、交通手段、HP見るのも
    電気ガス水道全部お金払ってるんやろ?

    それとも神様が無料でしてくれるんか?
    んな事無いやろ?全部金儲けの為にしてる事やろ?このHPも結局は広告や宣伝の為やんか?

    自分と言う存在を知って興味を持ってもらい商売に繋がる可能性が1ミリでもあるからしてる訳やん

    これがマーケティングやん

    俺が間違えてるのであれば
    面と向かって一度対談でもしましょ

    1. 事務所所属ライバー への返信。

      最後を最初にお答えする。
      先ず、これはブログでしか成り立たない対話、熟慮した上で答えたい。
      せっかくこのようなテクノロジーがあるので
      文字で残せるのは一番。また、このような内容は言ったとか言わないのをなるべく避けたほうがよい。不備を指摘してくれれば時間が許す限り答えていきたいと思う・・・

      では、僕が信じる宗教は道教、仏教ではない、基本的に仏(ほとけ)を信じてないのであしからず。
      道教は摂理を語る宗教、他の宗教と違い、慈悲のみで人を救おうとしてないし、逆にしてはいけない。
      自然から受ける理不尽、例えば疫病、災害は罪の有無、老若男女を問わず命を奪う、神の意向を起源するとは言えない(あんな傾斜に許可を出し、家を建て、盛り土をしたのは人の業)。天災、疫病を含め、自然の摂理がゆえ、全くの未知なものではなく、人間の英知の蓄積で避ける・乗り越えることしかない。たかが100年前まで天災は神の怒りと思われ、いま、台風はひまわり、疫病はワクチン、飢饉はクロネコで概ね回避は出来ている。とは言いつつやはり自然の威力・創意工夫は人知を遥かに超越しているので謙虚に望まなければいけない。

      結論、天災は自然の摂理、神の意向は信仰、別物。あなたが思う1+1=2になったでしょうか・・・

      “神様も仏様も幽霊も悪魔もおらんよ
      それは全部弱い人間が作り出した幻想”について
      人は苦難・死に直面したとき、それを自分の意志で回避をし、納得をして受け止めればよいところを金がある人は免罪符、お金は無い人は慈悲・自殺などのようなものに頼ろうとする。残念ながら、強い人間はそれらをカモにする。
      不安に乗じた詐欺は人の業、信仰に限らないと思うが・・・
      ハッキリ言いたい、困難を乗り越えるのは生きているうちしかできない。
      ショートカットもないし、リセットボタンもないただ日々の道徳しかない。
      2021年6月30日 5:59 AMのコメント
      抜粋
      根本的な解決策は今でも遅くないので勇気を持ってその苦しみを自分の意志で例え解消できなくても向き合う事。そしてその行為は現世で好転しなくても必ず生まれ変わった来世の為に絶対になると信じてもらいたい。

      道教は輪廻転生を信じ、魂はリサイクルされるので溢れることもないし、故人の霊を呼び起こすことも不可能。よってあまりお金にはならない宗教かも・・・

      地球は人間がいなくても発達すると思う。ミトコンドリア、光合成、酸素、オゾンなど・・・
      とはいいつつ化学反応は人を作り、思考回路を作り、オカルト的思考回路を作ったのも化学反応では・・・
      地球の歴史は億年、オカルトは長くても5千年・・・

      物事は全て化学反応であれば自殺も必然なので肯定はしないと・・・
      一人もので、葬儀屋を頼んで、棺の中で自殺をすればよいと思わないが・・・
      コメントは多岐に及ぶため、答えは順番通り、またすべたを網羅でないのであしからず。

  50. 自殺こそが最大の悪ですか?それとも道徳や規律、世間の平和を守る為に自分を抑えこまざるおえないのですか?その結果、自分を犠牲にして鬱になって自殺したらなんのこっちゃ有りませんよね。
    教えて下さい。自殺こそが最大の悪ですか?自殺しなけりゃなんだって良いんですか!!
    中途半端じゃ駄目です。自殺するな、だけど規律は守れ、迷惑かけるな、など何でも抑制されたら、心が折れた時に死にたくなる。自殺したくなる。
    最大限100%生きることだけに重きを置くなら、自分を出して行かなければならない!例え迷惑をかけることになっても。 よろしいですか?答え待ってます。

    1. 質問します。 への返信。

      ・“自殺は最大な悪”と言ったことはない。
      ・“自殺しなけりゃなんだって良い”と言ったことはない。
      ・“最大限100%生きることだけに重きを置く”と言ったことはない。

      自殺は最大な悪について
      自殺は最大の悪ではない、他殺、しかも大量に、は最大の悪である。

      自殺しなけりゃなんだって良いんですか!!について
      道徳や規律、世間の平和を守るのはそんなに負担?その上で生活していると思わないと。
      多数派が守る“道徳や規律、世間の平和”がよくないと思うなら、その人達を説得しないと。
      それは出来ないから“面白くない”、“犠牲だ”、“抑圧されている”、“死んでやる”のも一方的な考えではないか。
      社会が支える“道徳や規律、世間の平和を守る”を無くして生きていくのはもっと大変とおもうが・・・

      最大限100%生きることだけに重きを置くについて
      自殺をする人に対して、100%生きることに重きをおくのではなく、死なないことに100%の重きを置いてもらいたいと言っている。
      生きるのは泥臭い、やりたくないこともやらなければならない。
      こころが折れたとき、自殺をしないで、他人に頼る、社会に頼る、勇気をもってもらいたい。
      何度も訴えてきた
      “世間は世知辛いと思うかもしれないが、世間は社会として手を差し伸べる公的機関は多々あり、フルに活用してもらいたい。一日でも長く生き現世の好転を信じ、最悪、来世の糧になる。”

      1. 結局どっち付かずですか。
        あなたの言う理想論(忍耐とか、徳とかだけで世の中成り立っていないんですよ。現実そうなっていないから自殺者が出る、殺人が出る、戦争が起きる。
        精神が極限に追い込まれ何をしていいのか分からなくなった人間は最終的に感情に走ると思う。
        最大限自殺抑止しない癖に、自殺の無い誰にも迷惑の掛からない完璧な人生を世間が求め続けるから、人生に絶望した人が、死ぬことすら出来ない大量殺人犯に変わったりするんじゃ無いんですか!
        それでもなお自殺抑止する立場に立つつもりなら、どれだけ治安が悪くなっても文句言わないでくださいよ。
        「自殺者は地獄行き」と言う言葉がどれだけ真っ当に生きれず恨みを募らせる人間をこの世に残すか。

        1. 質問します。 への返信。

          少し話を整理したい。

          理想論(忍耐、道徳)について
          忍耐、道徳は世の中の“正”を担う一方“負”も担う。
          “正”は文字通りなので説明はしないが、“負”の例えは“社会福祉、年金、介護、生活保護、労災など”も担う。忍耐、徳は寛容を生み、平等を生み、これらは自殺、殺人、戦争を防ぐ、決してあなたが思う対極的ではない。
          では何故、自殺、殺人、戦争はあるのでしょうか。
          それは理想論の限界よりは人の物理的限界,人は人の全ての不満を解消するのは難しい。

          自殺の攻撃性について
          道教には陰の自殺と陽の自殺がある。
          陰の自殺:協調的な性格、社会についていけず、社会の理不尽に負い目を感じ、社会に頼れず、追い詰められて自殺。特徴:攻撃性は低く、他人には直接的に害は及ばない。
          陽の自殺:独善的で、社会が付いていけず、社会の理不尽は正すべき悪と思い、追い詰められて自殺。特徴:攻撃性が高く治安の悪化を招く。社会に屈する位なら自殺をする。

          この2つはまるで違う。
          陽の自殺を防ぐには世の中の理不尽は誰のせいでもなく、善悪でも関係なく、高度な社会が機能するため、必然であると説得するしかない。例えば、コンビニが24時間営業、蛇口を捻ると水がでる、電車が分刻みで乗れるなど、これらは理想論を具現化した人々の努力、世の中の忍耐、徳であり、ないと遥かに不便にある。19世紀以前の暮らしには戻りたくないと思うが。

          陰の自殺を防ぐには“社会は寛容であり、救いの手を差し伸べてくれる公的機関も多くあり、それを活用することは良い”と分かってもらうこと。“公的機関は世の中の徳、善意が法律化したものなので、利用するには、負い目を感じることは無い”と分かってもらえること。

          いずれにせよ、自殺をしたら“楽になれる”、“やり直せる”考えは安易で無責任と思う。

          最後に「自殺者は地獄行き」と言っていない。
          道教はまず所謂、地獄はない。
          言いたいのは“自殺をしたら、楽になるのは安易で、逆に来世はより不利になるよ”と。
          もちろん来世があると信じる前提は必要だが・・・

  51. 私の数々の愚問そしてよろしくない発言に付き合って下さりありがとうございました。
    去年の相次ぐ芸能人の自殺、数年前の事ですが、に某バイプレーヤーが某バラエティー(ゴチ)で2回連続ピタリ賞を当てた半年弱後に急性心不全で逝去が有り、後者の場合は、人生の運を使い果たしたからでは無いかと思います。(他の芸能人でもその様な事は全く無いかもです。)
    あまりにもいい事が有り過ぎると人生の運を使い果たしてしまいかねず、そうなると心臓、不慮の事故、自殺で亡くなる事もあり得ます。
    これらを目の当たりにした私は、自殺を考えようかと思っていました。人生の運を使い果たしたら無理に生き抜く必要無いかなと思った事も有ります。
    この先、心臓、不慮の事故で亡くなるか分かりません。
    その間、徳を積めたらと思います。
    駄文、長文失礼しました。

    1. E235-1002 への返信。

      あなたが挙げた例は見つからないが、逆にとんでもない九死に一生を得る例も同じ位の確実で起こると思うが。

      あまりにもいい事が有り過ぎると人生の運を使い果たしてしまいかねず、について
      謙虚・慎重な心構えはとってもよいと思うが人はどれだけの“運”はあるのかは誰にも知らない。
      当たりの様な運が不気味と思うのであれば、コツコツと仕事をして自分の実力で拓けて(ひらけて)いく運に尽力すればよいではないか。頑張ってね。

  52. 他人を虐めて自殺へ追いやったがそれを忘れ終生全力で幸せを目指し生き抜いたA
    Aからの虐めに心を病み若くして自殺してしまったB
    来世において、どちらの方がよりマイナスからのスタートとなりますか?
    やはり自殺してしまったBなのでしょうか?

    1. めん への返信。

      輪生転生を信じるのを前提として、道教は現生の善悪の報いはプラスマイナスゼロの考えはない。不徳を行った分の来世の不利を生き、徳を行った分の来世の有利を生きる。一人の人生と言ってもよい時もあるし悪い時もある、平坦ではない。また、善悪の報いの内容、度合いによっては一つの人生の一時で完結する場合もあるが幾つの人生をまたがる場合もある。この善悪の報いを図ることは人知を遥か、遥か(強調)に超えているため理解することは無理と思うが、もちろん占いなどで解こうとする試みもあるが果たして可能でしょうか・・・

      以上を踏まえると、不服と感じるかもしれないが、今、人生に置かれる理不尽は前世の行いの因果かもしれないため、臆すことなく立ち向かってもらいたい。逆に今の優位性も同じ因果なので驕ることなく謙虚な姿勢をもつべきである。

      あなたの例えA、Bのマイナスの度合いについて
      道教には道(タオ)の法→天の法→地の法→人の法との考えがある。
      他の法より完璧ではないが、人が人を裁く唯一使える人の法は他の法の試行錯誤の蓄積より派生しているため、低レベルではあるが他の法の推計にはなる。
      “人の法”は人の心情、文化、慣習、法律などを含むのでA、Bを考えると、Aの場合は虐めの期間、執拗性、得の具合、衝動性など。Bの場合は自殺に至るまでの虐めを受けた期間、自尊心、忍耐力、損の具合、衝動性などのことも考慮されるでは・・・
      また先ほど述べた善悪の報いは平坦ではないので”位置について・よーい・ドン”とゆう訳ではない。人生のスタートは分かりやすいが、フィニッシュは分からないのでやはり自分で終わらせるのは良くない。

      最後にAが自分の負の行為を忘れないで、改心をしてもっと良いことをするかも・・・
      逆にBが生き延びてのちに他人を虐めるかも・・・
      プラスマイナスゼロの考えにはならないはず。

  53. 貴方が周りの人に自殺して欲しくないのはよく分かりました。
    貴方なりの誠意が込められていて、一種の必死さのようなものも感じ取れました。
    しかし貴方の言っている事が全て正しいとしても、私の友人がもし「死にたい」と零した時、正直この文章を読ませたくはないです。
    私も弱い人間ですし、世の中の厳しさを諭された時、それが正しいと分かっていても、挫けてしまったことは何度もありますし、死んでしまおうと思ったことも何度もあります。
    実際に手首を切って湯につけて、死ねるかと試したこともあります。
    大切な人に自殺して欲しくないのは分かりますが、厳しさを諭すだけで動けるほど、強くない人もいるのです。
    どれだけ貴方が誠心誠意を込めて世の厳しさを説いて、生きていかなきゃならない理由を述べても、それでも死ぬことを選んでしまう人もいるのです。
    貴方からすればそんな人は理解できないのかもしれませんが、そういう人もいるのです。
    死はそれほど魅力に満ちていて、惹きつけられるものでもあるのです。

    このコメントが貴方のお目を汚すようなら、消してしまって構いません。

    1. ひろ への返信。

      今一話は嚙み合わなく、誤解されているようだ。
      ① “世の厳しさ”を説いている訳ではない。
      来世の厳しさは現世の行動にかかっているので、自殺をしたら楽になるのは安易な考えであるよと。自殺をしたあとの話、この世の厳しさの話ではない。
      ② 自殺は強さ、弱さと関係ない。
      まず、弱さ、強さと自殺は関係ない、
      弱くても一生懸命生きている人は多い。
      強い人も自殺をする。
      2021年7月30日 8:47 PMコメントに例を挙げている。
      ③ 自殺の良し悪しは大切とか大切じゃないとかと関係ない。
      あなたのように、大切な友人に自殺を勧める人もいるし、勧めない人もいる。
      また、大切にされていない人、天涯孤独の人に対しても“自殺をすれば楽になる”
      考えは安易である。

      死の魅力について
      “自殺をすれば楽になれる”の信ぴょう性は“自殺をすれば来世、苦しむ”と同等、またそれ以下。
      理由
      ① 死んだら“ただ地に帰る”のであれば、それは死んだほうが楽になると思うかもしれないが、長い人生、苦難の度に自殺をしていたら幾ら命があっても足りない。
      また、苦しんでいる人、全員に自殺を薦めていたらどのような世の中になるでしょうか。
      ② “死”の先はいまだに未知なので自殺しだら必ず楽になれるとの結論は出ていない。
      2021年7月19日 5:48 PMコメントに以下を書いた
      人は苦難・死に直面したとき、それを自分の意志で回避をし、納得をして受け止めればよいところを金がある人は免罪符、お金は無い人は慈悲・自殺などのようなものに頼ろうとする。残念ながら、強い人間はそれらをカモにする。
      不安に乗じた詐欺は人の業、信仰に限らないと思うが・・・

      自殺をしたら“楽になれる”、“楽になれない”をお金と結び付ける輩がいればそれは信じない方が良い。

  54. 死んでもいいからもう生まれ変わりたくない

    この世に生まれてきたくない

    もう完全に宇宙から消えたい

    こういう人間もいるんですよ

    生半可な気持ちで上っ面だけ書いても意味ねーんだよ

    1. すこ への返信。

      “存在したくない人も存在する”のは特に難しい概念ではないので、普通に理解していると思うが。

      一歩踏み込んで、以前にも同じようなコメントを述べたが、
      あなたがどの段階で“消えたい”気持ちを持ち始めたのは分からないが、
      根本的に人は生まれた時から自分の将来を悲観視し“消えたい”・“自殺をしたい”気持ちは持たない。

      では人は何時から“消えたい”・“自殺をしたい”を考えるようになるのでしょうか?
      それは他人と比べ始めた時、また自分の過去と比べ始めた時。
      他人と比べた時(若い人が陥りやすい):情報で溢れている昨今、ニュースになるのは両極端、極端に良いか極端に悪いか、人は陽の存在なのでどうしても良い方良い方と比べる。向上心を持つのはよいが、他人の情報は参考にする位にしてあんまり真に受けない方がよい。
      自分と比べた時(年配の人が陥りやすい):主に時間軸と関係ある、人は陽の存在のなどでどうしても若い時の活発的で健康な状態を切望する。若い時の尺と年取った時の尺を一緒にしないこと。また昔、使った尺は参考にして、今は今の尺で行わないと。これらの尺は混用すると“消えたい”または“自殺したい”気持ちに陥る。

  55.  私ごとで恐縮ですが、昨日(8月25日)に、2回目のコロナワクチンを接種しました。接種から約24時間経過しましたが、接種したところが痛むだけで、だるさや発熱は、今のところありません。
     ワクチンでは、自殺できないと思いました。
     ありがとうございました。

    1. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

      良かった,僕も2回目のワクチンを接種した。
      1回目は腕が軽く腫れて痛く、約20時間後だるさもあったが一晩寝たらケロッと治りました。
      2回目は1回目と同じく腕が軽く腫れて痛く、20時間過ぎると強い倦怠感に襲われ、体温は37.2度、少し咳もあり、まるで風邪を引いたよう。次の日は少し疲れが残りその次の日は普通に戻った。

      私の見解
      ファイザーで出来る抗体は2回目のほうが1回目より最大25倍増えるので、一回目より倦怠感が増すのも納得。
      https://www.fujita-hu.ac.jp/news/j93sdv000000b3zd.html
      図2参照。
      以上を踏まえると、いわゆる“副作用”はワクチンとの相性の悪さより抗体が多くできるため、僕みたいに強い倦怠感を感じる人もいると推測できる。
      体はそれだけ大量の抗体を作って、それが血液を介して全身に廻り体も疲れるであろう。
      もちろん僕が経験して”副作用”は一例であるが、まあ、ともかくワクチンを打ててよかった。

      因みに女性は男性より多く抗体できるので女性はいわゆる“副作用”
      を強く感じるかもしれない。

      上と同じリンク https://www.fujita-hu.ac.jp/news/j93sdv000000b3zd.html
      図3参照。

  56. いきなり失礼しますよって。
    これ来世がキツくなるから自殺は良くない、実際救われるかわからないって言ってるけど
    来世に記憶が持ち込まれないんだし、人格も変わるだろうし今現在の自分は消滅するだけなんじゃ?
    来世が酷くなろうと今の自分自身からしたら知ったこっちゃないしね、来世の自分が多少可哀想とは思うけど。
    苦痛に対して鈍感な人格に育つか、善意に満ちた世界になるまで自殺リセマラスタートですな。
    まぁ、自殺する奴の気持ちなんかわからんけどね

    1. dd への返信。

      コメントの前半に対して
      記憶も人格も消滅するから“来世がキツくなる”のは“知ったこっちゃない“は乱暴と思う。
      道教の考えでは現生と来世は一つの流れなので両方大事にしてもらいたい。
      親がまだ見ぬ子の行き末を案じるように。
      その子のために少しでも有利になるようにと努め、願わくは現世も好転する。

      記憶について
      死んでからではなく、生きている内に“記憶”をすり替えればよいではないか。過ぎた苦は苦と思わず、また後悔ととらえず、耐性・教訓として同じ轍を踏むのをさける。
      すべての記憶をなくすと逆に良くなるのは困難、なぜなら教訓はなく同じ間違いを起こす可能性あり。

      コメントの後半に対して
      “苦痛に対して鈍感”は“忍耐”として。
      “善意に満ちた世”は“徳”として。

      以前のコメントにも書いたが、忍耐は寛容を生み、善意・徳は平等を生む。
      問題は忍耐・平等ではなく、“不当”な忍耐、“過剰”な善意が忍び難い。
      “不当”は話し合い・法で是正すればよいし、“過剰”は自分にも他人にも切望しなければ是正はできる。

  57. 以前も書きましたがこちらのブログにコメントをするのはよいが、掲示板ではないのでコメントし合うのは承認しないので、あしからず。

  58. 愚問ですみません。
    自爆テロって自殺扱いになるのでしょうか?
    海外(特に中東アジア、アフリカ)だと、自爆テロを起こせば確実に来世にいい事があるでしょうか?(道教は天国地獄は無いからどうだろうか?)
    これを参照を。
    日本では自爆テロが無いのは何故だか?
    https://www.afpbb.com/articles/-/3085922?cx_amp=all&act=all

    1. E235-1002 への返信。

      以前もコメントしたが、
      思想、政治、宗教などを目的とした”死”は”陽”の自殺に属する。
      その思想、政治、宗教内には価値あるでしょう。
      ※因みに、悲観死は”陰”の自殺に属する。
      道教には思想に伴う“陽”の“自殺”はない。
      あくまでも(強調)道教の考えてはあるが“自殺”1人だけでも来世は不利なのに、自爆テロはもっと不利になると推定できる。
      日本では自爆テロが無いのは何故だか?について
      あくまでも(強調)客観的な分析ですが、今の日本にはないが、かつてはあった。
      よく教育はテロを防ぐと言われるが、その教育が“陽”の自殺を教えていたら・・・

  59. 他人と比べなくても生きてて苦痛が多ければ、死による終了を考えるのは自然ですよ。
    ただ、残していく人間がいる間は死ねない。(気が正常ならば)

    自殺してはいけない方便を色々な人が述べてくれますが、しっくり来るものは無いですね。。

    1. noname への返信。

      以前も書きました、2021年1月20日 4:56 PM
      ・・・人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さと自分に対しての弱さ。
      ※自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、疫病、老いなど

      生きていくあなたの言う“苦痛”はどっち?
      自然に対して弱さであれば共感する人は多いが、自分に対しての弱さは“些細”と思われる。
      自殺は些細かどうかは2021年1月20日 4:56 PMでコメント。

      自殺は残している人が“いるか”“いないか”とは関係ない。家族・子供を残して自殺をする人も多い、天涯孤独だから自殺していいという訳でもない。

      “いない”から“いる”からと言った定義はあいまい。“気が正常ならば”のコメントも偏見で曖昧。

  60. 以前も書きましたがこちらのブログにコメントをするのはよいが、掲示板ではないのでコメントし合うのは承認しないので、あしからず。3

  61. 私の知人が介護施設で働いています。
    ほとんどの入居者はこんな年取って
    死にたいと嘆きます

    認知症で排泄食事ができない人も沢山いるそうです。

    こんな状態で長生きして幸せですか❗

    安楽死制度が認められれば、少子高齢

    や財源不足など社会問題は解消し若い人に税金を廻せると思う。

    私は某疾病がありこのままでは、あと10位の寿命と医師に宣告されてます。

    10年生きたら70才位、これくらいいきれば年に不足はありません。

    だから疾病は放置し自然死を待ちます。

    1. 5 への返信。

      コメントを載せるのを忘れた、本当は10月18日ごろに載せる予定でした、あしからず。

      まず、“死にたい”、と“死なせて下さい”のは別。
      入居者の嘆きは鵜呑みにしない方がよい。
      相模原の様な変な正義感は持たない方がよい。

      安楽死について
      外国では
      https://www.theweek.co.uk/102978/countries-where-euthanasia-is-legal
      ①“安楽死”は第三者の意図で別の第三者(医師)が執行する“死”。
      厳しい法的精査より当該する第三者に利益があれば違法、利益がない場合も慎重。
      ②“尊重死”は本人の意図で別の第三者(医師)が執行する“死”
      色んな観念から複数の専門家による、不治の病、心身の耐え難い苦痛の承認が必要。

      ①はコメントの“認知症で排泄食事ができない人”に該当。
      ②はコメントの“死にたいと嘆く入居者”に該当。

      今の日本ではどちら①、②も“積極的安楽死”として違法。
      日本で唯一、合法なのは“慎重な消極的安楽死”。
      “消極的安楽死”は延命治療をしないこと、“慎重”付きと言うのは、一度、延命を始めると“やっぱり、やーめた”と簡単には止められない。

      ではあなたのコメントについて
      あなたが進めたいのは“積極的安楽死”しかも財源不足と結びつける、これはとっても危険である。安楽死に寛容で制度は多くある外国の国々も“本人の苦しみ”の解消のためであり、財源不足を理由とした訳ではない。

      あなたが持つ考えは果てしてどれぐらい共有されているのでしょうか、
      少なく現行の法律・制度を見ると少数派である。安楽死も財源不足は “政治”の責任、その政治家を選ぶのは国民。
      日本は民主主義の法治国家、自分が正しいと思う事に変えたければもっとそう思う人と結集して一票を投じるしかない。
      日本の財源不足が進み“おば、おじ捨て”的な機運が高まるのを待つしかないでは。
      それよりは国の他の出資を減らす訴えの方が早くて共感を持たれるでは・・・

      疾病は放置し自然死を待ちますについて
      風邪も放置すれば肺炎になり死ぬ。
      拒食症は進めば死ぬ。
      疾病、医師に宣告されなくても、人が生きようとする志しが無ければ死ぬ。

      2021年1月28日 8:27 AMコメントにこう書いた。
      人がどう生と死と関わればよいのかを述べたい。
      道教は生死を陰と陽に結びつける。
      万物万象は陽から陰に移りゆく、川が流れるようだ。
      陽を常に生み出さなければ陰へと移りゆく。
      自然は太陽、熱などで陽を生み出す。
      人間は陽を生み出すためには陽の行動が必用。
      人が住むこの陽から陰に移りゆく世界、陰の行動、“自殺”、“壊す”などは陰のバイアスが掛かっているので簡単、人の陰の行動を加えなくても陰へ移りゆく。逆に陽の行動、“生る”または“作る”などは努力が必要、水の流れに逆らう人の陽の行動は道教からすると陰の行動よりは道徳的(遥かに)。

  62. 今現在自殺を考えています。
    今がとんでもなく苦しくて悲しくて辛くて堪らないのに来世の自分のことを考える余裕など正直ないですし、あなたの言って居ることは理解は出来ても納得は出来ません。
    来世不幸になる 、そんな事ではなく大切な人に 「生きてて欲しい」って言って抱きしめて貰えるだけで少しは心が楽になるのかも知れませんが 、私にはそれを頼み迷惑を掛けられるような人はそばに居ません。
    自殺は本当はダメなこと だなんて私も分かっているし自殺してしまったり自殺したいと考えている人も本当は分かっている筈ですが、逃げ場所がなく頼れる人も居なければそう考え、実行してしまうことも仕方ないのではないのでしょうか。

    1. かおる への返信。

      残念ながら人生と言う奴は“納得できる”、“納得できない”とは関係ない。
      大切されている、されていないとも関係ない。
      “逃げ場がなければ”そこで守りを固める、“頼れる人も居なければ”人に頼る必要としない人間になる。

      逃げについて
      2020年11月12日 4:42 PMのコメント
      何から逃げているのは分からないが、他人から逃げている、
      自分から逃げている、社会から逃げている。
      他人から逃げることはない、警察と相談する、もしくは相手を説得する。
      自分から逃げることはない、自分を変える、もしくは考え方を変える。
      社会から逃げることはない、社会は受け入れる、もしくは一票を投じる。
      逃げる事は悪いと言ってない、死に逃げるのは良くないと言っている。
      何故なら、唯一逃げられないのは死、死から逃げる志しが大事。

      “頼れる人も居なければ”について
      まず、“頼る”のは他人が施す志し、求めてはいけない(少なくとも精神的に)。見返りを求める人間関係は所詮、失望する、何故なら節度がなくなるからである。物も、特に感情も”満足とか、納得とか”は難い。

  63. 自殺者がリセットしたいだとか生まれ変わりたいと思っているっていう前提で語ってる時点で色々勘違いしてる。
    本当に追い込まれてる人はただただ全てを終わらせたいだけ。
    もちろん遺された者がいる場合(もちろん悲しんでくれる人がいない場合もある)、その人たちに迷惑がかかります。ただ、その人たちの負の感情が自殺者に死後降りかかるとか、自殺者が負の感情に囚われて救われることはないと説いている人たちのソースはやはり確認する必要がありますね。情報の信憑性は大事ですから。大抵は宗教家からの受け売りだったり或いは霊や、神から聞いたなど…まぁ確認するまでもなかったですね。
    自殺を考えるほど追い込まれていれば、こう言う人たちの言葉にも耳を傾けるほど判断力が低下しています。
    でも安心してください。僕たちは、この世に生を受けて、脳が機能し始めてから意識を持ちましたよね?感情などを司る機能も脳にあると科学的に証明されています。
    脳が機能を停止すると、意識が閉じ、それ以降感情などに囚われることはありません。生まれてくる前の何もない状態に戻るだけです。(ただ、死戦期に脳が一時的に活動を強め、色々な感情や体験が起こるみたいですが)
    まぁ死後の世界がない事を証明するのはある種の悪魔の証明ですから、絶対にないとは言い切れないです。ただ先程述べたように意識、感情、思考というものは脳の機能であることからまぁ考えにくいですよね。
    証明できないからあると言い張るのもちょっと無理がありますよね。
    自殺を考えている方は以上のことを冷静に考えてみてください。
    信憑性がない情報に惑わされて、苦しみを長引かせないようにご注意ください。

    1. sanali への返信。

      幾たび言うが、僕が信じる“道教”はいわゆる“天国”、“地獄”、“永楽”、“永苦”の死後の世界はない。また、“自殺をしたら“楽になれる”、“楽になれない”のをお金と結び付けることはない。信仰は自由なので・・・

      また、幾たび言うが、自殺は良くないのは残されている、残されていない、愛されている、愛されていない、迷惑をける他人がいる、他人がいない、とは全く関係ない。それはさておき・・・

      コメントに戻るが、
      コメントの“人が死ぬと生体機能は止まる”のは大昔から分かっていることで別に現代科学をもって説明するまでのものではないと思うが・・・
      “死ぬと生体反応が止まるから楽になれる” 、死ぬと“感情などに囚われることはありません。”、のを理由に自殺を擁護するようなコメントは安易であると言いたい、何故なら以前もコメントしたが科学の研究は飛躍しているが未だに解明できないことも多く、“死”に対して化学至上主義的な考は時期尚早であり、信憑性はコメントが否定する宗教と同等と思う。

      自殺をしたい人に自殺を促すのは簡単、させないのが難しい。
      “本当に追い込まれてる人”の“本当”の定義はあいまいで、それは本人からすると“本当”かもしれないが、じゃあ“本当”と思った時点で自殺はOKと思わない、何故なら自殺をしたい気持ちは日々(天候、時間、気分)揺らぐので慎重に考えた方がよい。

      以前もコメントしたが、人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さ(絶対的)と自分に対しての弱さ(相対的)。自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、病、老いなどはまだしも、せめて自分にたいしての弱さを何とか回避してもらいたい。

      これだけは分かってもらいたい、①人は生まれた時から自殺をしたい人はいない、②人は“陽”の存在なので、人は根底に“生きたい”のである。
      例え“感情を司る”脳の全の細胞が “自殺をしたい”と思っても、脳には860億の細胞、体には37兆個、“脳”は僅か0.23%。(細胞の数:ネット情報)

      もし、相対的な困難に直面したとき、まず、自分に対してのハードルを下げて、人の助けを求める、残り99.77%の細胞が頼りにしているから。

      以前コメントした2021年3月26日 2:20 PM
      辛いはさまざまがあり、“耐えて耐えて耐えて”もさまざまある。
      限界もさまざまがあり、“褒め称え”る内容もさまざまある。
      これだけは自殺する人に考えてもらいたい。
      ①衝動ですか?今先、受けた辛さか?
      ②夜ですか?夜は心細い、陰が多い時間帯か?
      ③知り合いと話したか?これはもろ刃の剣と思ってもらいたい。余裕のある人は受け止めてくれるかも、余裕のない人は逆に引かれる。試す価値ある。
      ④公的窓口と相談したか?これは難しいのは相手は他人、よって1回だけでは諦めない。
      コロナけれど3回足を運んだか?
      1回は事務的にあしらわされる、
      2回は印象に残る、3回でやっと共感してもらえる。願わくば1回で共感してくれるかも、
      特に今はコロナだから可能性はたかい。
      以上の行動は修行と思うこと、設定された所で“滝行”だけが修行ではない、人生はそう綺麗ではないから。
      以上の行動は自分への徳積みと思うこと、設定された所で“ボランティア”だけが徳積みではない、人生はそう悠長ではないから。

  64. どんなに辛い日々でも、どんなに苦しい日々でも、どんなに怖い日々でも、今回生まれた課題だからしかたないと思います。その日々から何かを気付き、何かを受け入れる事それが生まれてから死ぬまでの時間だと。だから、その苦しみが早く終わりますように。痛みも苦しみも早く終わりますように。自殺はやはり駄目だ。耐えて今世をのりきろう。来世は今よりきっと楽に感じられる生き方が出来るから。と、願ってます。
    おじいさんが、首吊り自殺してます。なんとなく、私はその生まれ代わりなのかな?と思う時があります。根拠はないのですが。53才で死んだらしいので、私は来年53になります。絶対に今世は何があっても自殺はしないと、考えています。
    根拠はありませんが、自殺は繰り返すと言う考えに違和感をかんじません。

    1. 山田 への返信。

      苦しみに対してただ惨めと思い、死期を待つだけでは “非能動的”。
      “能動的”にしよう、苦しみを受け入れ、乗り越えるようと努力しよう。
      その努力は“天”で評価され、現世に好転は無くても、最悪来世の糧になる。
      ”能動的“の最低限の行動。
      ①体のリズムを取り戻す:まず3食を食べる、最低5時間置き。
      ②体を清潔に保つ:体を洗う、拭くのでもよい、最低、夏2日に1回、冬5日に1回。
      これらは自分の体に敬意を示し自尊心が保てられる。

      おじいさんの生まれ代わりについて
      これは道教の考え(強調)、近いところの生まれ代わりは確率的にない。
      世界人口78億人、 1/78億 X 1/78億の確率。(78億、ネット情報)
      同じ環境、一部同じDNAがあるので似ることはあるが生まれ代わりではない。
      ※あくまでも道教の考え。
      自殺は繰り返されるについて
      これも道教の考え(強調)、人が死ぬと記憶をなくなるので、自殺は繰り返すことない。
      例え自殺により来世が不利な人生に堕ちいっても、自殺は繰り返すことない。
      何故なら、新な人生は不利からスタートするので不利と思わないから。
      これも以前、幾ともコメントしたが、『人は生まれた時から自分の将来を悲観視し“消えたい”・“自殺をしたい”気持ちは持たない。』比べて初めてその様な気持ちが起きる。

      これも以前2021年9月17日 1:14 PMのコメントした、比べるについて、一部、抜粋。

      では人は何時から“消えたい”・“自殺をしたい”を考えるようになるのでしょうか?
      それは他人と比べ始めた時、また自分の過去と比べ始めた時。
      他人と比べた時(若い人が陥りやすい):情報で溢れている昨今、ニュースになるのは両極端、極端に良いか極端に悪いか、人は陽の存在なのでどうしても良い方良い方と比べる。向上心を持つのはよいが、他人の情報は参考にする位にして、あんまり真に受けない方がよい。
      自分と比べた時(年配の人が陥りやすい):主に時間軸と関係ある、人は陽の存在のなどでどうしても若い時の活発的で健康な状態を切望する。若い時の尺と年取った時の尺を一緒にしないこと。また昔、使った尺は参考にして、今は今の尺で行わないと。これらの尺は混用すると“消えたい”または“自殺したい”気持ちに陥る。

      以上の再スタートを死なずに同じ人生で出来ればどれだけ凄いことか。

  65. コメントを以下要約

    ①自殺は確かによくないが本格的な病人はこういう記事でうつ状態がひどくなるのです。
    ②リスクを抱えた人にとって危険なことなのです。
    ③自殺について語ることはデリケートな話題、空気を読むことは必要です。

    1. 本人の希望により匿名 への返信。

      以下のディスクレーマーを付ける。
      当ブログは“非能動的”ではあるが、内容を見て辛くなる、不快になるなどと感じる人は見ないように。
      精神疾患のある人は先ず、治療をうけ、主治医と相談してから見るように。当ブログの情報の閲覧は自己責任で。

      では、
      自殺する人はもう生死の境に近いので、まずその境からある程度、離れる必要がある。
      自殺をしたい気持ちは日々(天候、時間、気分)揺らぐので、常に境に近いとそれを越える確率も上がる、そこから離れるようにと。色んな支援、慰めの言葉があっても、最終的に自殺を防ぐには自殺をしない行動を自殺する本人がするしかない。ただ、ただ、なんとかその境から離れてもらいたい。

  66. コメントを以下要約

    ①自殺は確かによくないが本格的な病人はこういう記事でうつ状態がひどくなるのです。
    ②リスクを抱えた人にとって危険なことなのです。
    ③触れない方がよい話題はこの世界に存在します。人の考え、言葉では正確に伝わりません。

  67.  今現在、私は自殺する気はありません。しかし、これから社会がどんどん『右傾化』して、働けないやつは死ね、社会の役立たずは死ねという世論が出来上がっていき、そのような人が自殺することを誰も悲しまず、『当然』だという風潮になった場合、それでも自殺することは、罪なのでしょうか?
     私自身も、いまは無職で病気治療中です。

     話は変わりますが、昔、某知事が、いじめを訴えてきた子どもに対して、『やる(自殺する)ならさっさとやれ』と言って、その子を自殺に追いやったという事がありました。
     その知事にしてみれば、自分(知事)のところに持ってこないで親や警察などに相談して欲しいということだったのかもしれません。その気持ち自体はわからなくもないのですが、自殺を奨励するのは、私は間違いだったと思います。
     
     しかし、これから社会が右傾化し、権力者が自殺を奨励した場合には、その自殺は江戸時代の『武士の切腹』や『特攻隊』のような扱いが霊界でなされるのでしょうか?
     『武士の切腹』や『特攻隊』は、いわゆる一般の自殺と異なり、霊界でのペナルティ(罰)はないと言った霊能者がいます。
     ちょっと難しい質問かもしれませんが。。

     今度の選挙誰に投票するか迷っています。

    1. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

      本題に入る前にまず”右傾化”、”左傾化”を整理したい。
      社会が成熟すると左傾化する。社会福祉の拡充、資本の分配、格差の是正、一見よいが、結局、福祉、分配だけではパイ(資本)は大きくならない、内向き。
      左傾化がさらに進むと右傾化が台頭する、何故ならパイ(資本)を大きくしている人達は不満になる。資本拡大は外向きなので、外からモノ稼ぐ、それが奪い始めると戦争をする。その戦争を継続するにはマンパワーがいる、忠誠心がいる、差別化が始まる。
      とは言いつつ、右傾化した社会も成熟するのでいずれかは止まる、もちろん戦争で負ければ破壊的に止まる。

      ではあなたのコメントに戻る。
      心配しなくてもよい、今の日本では、散発的な右傾化はあるが、戦争を起こするほど攻撃的な右傾化は当面はない。

      “働けない・・・役に立たないやつは死ね”について
      これは右傾、左傾と関係ない。お金がない時点で右傾も左傾もそれを求める、そもそも配るものが無いから。年金支給年齢の引き上げが一例。

       『武士の切腹』や『特攻隊』について
      以前もコメントしたが、
      思想、政治、宗教などを目的とした”死”は”陽”の自殺に属する。
      その思想、政治、宗教内には価値あるでしょう。
      それ以上は思想、信仰の自由なので・・・
      これだけは言えると思う、今は切腹も特攻もない、何故・・・そこに真理があるのでは・・・

      投票について
      2017年10月20日 @ 17:42に以下を投稿。

      台風が来ようか、やりが降ろうか選挙に行くべき。
      選挙に行かないと、民主主義の一員としての義務と権利を放棄
      した以上に政治家を悪くする。
      間違っているのであればただし、合っていると思えば褒める。
      暴力を使わなければ政治家は民意の一票で教育するしかない。

      昔は政治を変えるには一揆しかなく、まさに命をかけた1回切りの一票。
      それと比べたら、台風が来ようか、やりが降ろうか選挙に行くべき。

      1.  まずは、ご回答ありがとうございました。
         申し訳ありませんが、どうしても、私は日本社会の『右傾化』が気になってしまいます。

         ところで、自殺を推奨した某知事や、昨年自殺した女子プロレスラーをSNSで『いつ死ぬの』などと書き込んで誹謗中傷した人も、自殺の原因を作ったということで、来世で不利なスタートになるのでしょうか?
         自分が自殺しなくても、人を自殺に追いやったことが許されるとしたなら、何かおかしいと思います。

         あと選挙は行ってきました。最高裁判所のある判事の出した判決に、疑問があったので、その裁判官に『✖️』をつけてきました。ただし、最初に『✖️』を書き損じて鉛筆で消したため、もしかすると無効票になったかもしれません。
         小選挙区は『棄権』し、比例代表は、どちらかというと『左』側の政党に投票しました。ただしこれも字を上手く書けず、鉛筆で文字を消したために、もしかすると無効票になったかもしれません。
         ちょっと悔いが残ります。

        1. 光秀(ハンドルネーム) への返信。

          コメントの上側について
          右も左も奪い始めると、攻撃的になるので注意。

          コメントの中側について
          以前も話したがこの世は陰のバイアスが掛かっているので、“悪意”・陰の行動はやりやすいし、達成感も感じやすい。これは虐める側も虐められる側も言える。
          ・悪意を施した側の悪意はあの世では量的に評価される、また他人の陰の行動の引き金となったのでその分も量的に評価される。
          ・悪意を受けた側はその悪意を増幅し自殺したのであればそれも良くないので量的に評価される。
          ですが、悪意を施した側は生きているので、更に悪意を重ねる、自ら改心する可能性もある、たたかれて悪意を受ける側になるなどなどあるが、自殺をした人はそこで止まる、挽回するよちはない。
          悪意を受ける側は自分の中でその悪意を増幅すること無く、自分を守る術をつけてもらいたい。

          コメントの下側について
          一回で成功すれは一番よいが、次回は同じ轍を踏まないように。
          何であろう選挙は行くべきである。

  68. では人に殺してもらうのはどうだろうか(安楽死、治安の悪い国に行くなど)。私が死にたいと思うのは、自分のために肉や植物を消費したくないと思うからだ。彼らも命なわけで、その命を奪ってまで生きたくない。空想上の話だが、全人類とその他動植物が苦もなく幸せに暮らせるのと代償に、私の死を授けないといけないのならばわたしは死ぬ。これで自殺をしたら来世が悪くなると言われるんだったらこんな世界とっとと去りたいし生きる気力なんか湧くはずもない。そもそも前世の行いが悪いから今辛い状況に置かれるってのはおかしくないか?と感じる。虐待されて生死をさまよっている動物や人間に対し前世を持ち出して、虐待されるのを正当化しているように感じる。見えないものに責任転嫁をして現世に生きてる生身の生き物を無視した一種の侮辱行為だと感じる。その侮辱をする者こそ死より罪深いのでは。そして神がいるとしたら、神々は相当頭の悪い方たちなのでは。生きてるものたちの命を尊重し病む時が来るまで生きるつもりではあるが、神を慕うつもりは無いし、それで悪とされるなら神は悟ってなく横柄な方たちだとおもう。

    1. 肉器 への返信。

      命を奪わない食について
      今も可能だよ、あなたがめちゃくちゃ金持ちで、しかもグルメでなければ。
      https://www.azolifesciences.com/article/Synthetic-Food-An-Overview.aspx
      NASAは1950代から宇宙探査のため合成食品の研究はしているが、残念ながら現時点、合成食品をスーパーの値段で買えそうなのは“酢”しかない。https://www.kolabtree.com/blog/innovations-synthetic-foods/

      肉や植物を消費したくないについて
      食べる行為は有機生物の物理的なルール(神・信仰と無関係)。
      食べないことは、例えばサッカーで“足だけを使うのはおかしい、おれは手でやりたい、”みたいな感じ・・・

      動・植物の苦について
      生きるのは食べるだけではない。身体を清潔にするも必要。
      例えば虫よけを使うのも排除、苦しい?
      クスリを飲む、体を清潔にするのは微生物(ばい菌)の排除・殺し?

      他人に殺してもらう、安楽死について
      2021年9月24日 10:36 PMの安楽死のコメントに対して
      本当は10月18日に載せる予定であったが、忘れて2021年11月6日 3:43 PMやっと載せた。そこに世界の“安楽死”の現状を書いている。

      結論、現在、世界中どの国でも“安楽死”は違法である、理由をつぶさに書いてあるので読んでね。

      治安の悪い国に行って殺してもらうなどについて
      2021年7月8日 4:37 PMのコメントは類似している。
      錯乱状態の自殺について (錯乱状態の他殺も該当する)
      ・・・あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”をした本人が一番わかると思うが・・・
      早く言えば、自殺を意とした行為はあの世ではバレル。

      代替案を勧める
      戦場カメラマン、国境なき医師団の医師・スタッフ(野戦医療)、紛争国でNGO(井戸掘りなど)、スラムで布教(あなたのモノを食べない教え)、傭兵(外人部隊)どれも立派な仕事、いかがでしょうか・・・

      空想上の話について
      どこかの宗教ぽいね、1人の死により“人類は罪の許しと終わりのない命を受けられる”。その宗教に該当する誰かの2000年前の死により可能と信じられているようだが、少なくても“あなたの“死”はそれを達成するにはこれより2000年以上かかるのでは・・・

      理不尽の正当化について
      理不尽の正当化よりは理不尽を説明している。
      では現世の理不尽は何が起因するでしょうか?以下の例を、あなたが言う見えるもので説明しよう。
      例えば、奇形を持って生まれた人、水俣病が起因、虐待より1歳で殺された子供、悪親が起因、虐待される動物、悪い飼い主が起因、などなど。
      では何故?何故、水俣に住んだ、何故悪親の下で生まれた、何故悪い飼い主に飼われた、
      あなたはどう説明する?ランダムなラッキー・アンラッキー?
      そこに住んだ人がアンラッキー、その親のもとで生まれたのがアンラッキー、その虐待する飼い主に飼われたアンラッキー。ランダムチャンスで説明するのも、それもそれで無責任、侮辱的と思うが・・・
      前世を持ち出して現世の理不尽を正当化している訳ではなく、その理不尽とどう向き合い、前へ進むことを“する”、“しない”かが肝心では。

      神を慕うつもりは無いし、それで悪とされるについて
      他の宗教のことは言えないが、道教は“摂理”を語る宗教なのでそれは“信じる”“信じない”、“慕う”“慕わない”と関係ない。陽の気が豊富な太陽は明日も昇り、陽の行動をとる人は道徳的である、それを心のより所にして前へ向いてもらいたい。

  69. 1度生まれてしまったら老化、病気などの避けられない苦しみがある人生を永遠に繰り返さないといけなくなるのかな。酷いね

    1. 産まないで への返信。

      1度生まれてしまったらについて
      生まれている前提がないとこの話はできない。

      老化、病気などの避けられない苦しみがある人生について
      物理的な体を持つモノの定だね。物理的にモノを動かすため、物理的な存在が必要と。モノの消耗、老朽化は信仰と関係なく“物理”の話では・・・

      避けられない苦しみがある人生を永遠に繰り返すについて
      輪廻転生を信じるのを前提として、新な人生を始めるとき、新な体からのスタートなので少なくとも若い時の体は苦しくないと思うが。要するに全部が苦しい訳ではない。

      酷いねについて
      元気のありがたさは大体、老い、病をしたときと知る。
      若い時からなるべく体をいたわることだね、1個しかないから、これは皆平等である。

  70. コメントを以下要約

    以前、投稿したコメントは削除できませんか?

  71. 要は自殺するくらいなら、逃げが勝ちってことですね。

    ただ自殺をしたいという気持ちの時って、そこまで考えるのも意外と難しいものです。そういう方には、自殺はしてはダメとは言わないから、とりあえずご自身の心をどうか大切にしてくださいと言いたいです。

    1. れいこ への返信。

      そう、死から“逃げるのは勝ち”、“死に逃げるな”と言っている。
      自殺をして、“楽になれる”、”リセットになる”、はない。
      自分の意志で生きるこそは“勝ち”。

      ご自身の心をどうか大切にしてくださいについて
      聞きは良いが、自殺の境でさ迷う人は自身の心を大切にしたいため自殺をするので、
      よって当コメントは“突き放し気味”的では・・・

      自殺を回避する方法は自殺したい本人が死の境から離れる行為しかない。
      考え方を変え、一人で背負わず、自殺をする要因を第3者と相談する。
      問題を一旦回避して、立て直す、これは逃げではない。

      自殺の回避について2021年3月26日 2:20 PMのコメント

      辛いはさまざまがあり、“耐えて耐えて耐えて”もさまざまある。
      限界もさまざまがあり、“褒め称え”る内容もさまざまある。
      これだけは自殺する人に考えてもらいたい。
      ①衝動ですか?今先、受けた辛さか?
      ②夜ですか?夜は心細い、陰が多い時間帯か?
      ③知り合いと話したか?これはもろ刃の剣と思ってもらいたい。余裕のある人は受け止めてくれるかも、余裕のない人は逆に引かれる。試す価値ある。
      ④公的窓口と相談したか?これは難しいのは相手は他人、よって1回だけでは諦めない。
      コロナけれど3回足を運んだか?
      1回は事務的にあしらわされる、
      2回は印象に残る、3回でやっと共感してもらえる。願わくば1回で共感してくれるかも、
      特に今はコロナだから可能性はたかい。
      以上の行動は修行と思うこと、設定された所で“滝行”だけが修行ではない、人生はそう綺麗ではないから。
      以上の行動は自分への徳積みと思うこと、設定された所で“ボランティア”だけが徳積みではない、人生はそう悠長ではないから。

  72. 自殺を考えるほど苦しんでる人に自殺をしたらどうなるとかは言ってはいけないと思う。
    なぜなら自殺する人は本当は生きたいと思って、誰よりも1分、1時間、1日を大切に生きてるはずだから、生きようとしてるはずだから。
    そして、悩み苦しみさまざまな問題、を解決しようと努力してるはず。努力してきたはず…
    それは、うわべではなく本当に心のそこから。
    そんな人に自殺はよくないとか、こうしたら、ああしたらとか簡単に言えないと思う。だって今まで耐えて必死で生きようと頑張ったんだから。
    まずよく頑張ったね、今まで本当に頑張ったね。
    自殺する人は、きっと長い時をかけ悩んで苦しんで乗り越えようとしたんだと思います。
    だから、簡単には言えない。

    …よく頑張ったね…

    1. 祈り への返信。

      自殺の性善説的ですか・・・ そうであればそもそも社会問題にはならないでは・・・
      年間2万人が自殺をしているのに話題にしてはいけない話題ではないでは・・・

      自殺をしたらどうなるとかは言ってはいけないについて
      そうだね、自殺をしたら“楽になれる”、“苦しみから解放される”、“リセットボタンだ”、
      と言われるのであれば “違うよ”と言ってもよいではないか・・・・

      また、コメントについて
      大切に生きてるはずだから・・・はず、とか
      努力してきたはず・・・はず、とか、
      自殺する人は、きっと・・・きっと、とか

      主観のまんさい・・・
      そのような主観だから、自殺をする、自殺は本人の問題、自己責任ではと感じる。
      個人の問題でもあるが社会の問題の要因も多い、客観性を入れないと。

      若年層の自殺が増えている昨今(注2)。本人は考えぬいているでしょうか、フルに人生を生き、頑張ったでしょうか?客観性をいれないと“考えぬいていた”から“頑張った”からといって“よし、自殺してよい”とでも言いたいでしょうか?

      注1・https://www.mhlw.go.jp/content/R2kakutei-01.pdf 表1。
      注2・https://www.mhlw.go.jp/content/R2kakutei-01.pdf 表5。

  73. 自分の人生に責任を持ち自立して生きるよう社会は他人は促します。

    その結果抱えているものがあまりに辛かったので死にますという選択肢はありだと思います。

    死んではいけないと否定する人は、一体その人の何を背負ってあげられるのですか?

    人は自分の人生を自分で選んで生まれたのだと思います。
    ならばいけると思ったけれど、今回の人生ハードモードすぎて辛かったので、一旦やめますと去るのはそれほどに罪なことなのでしょうか。

    よく考え、死という選択を取ることが悪いこととはあまり思えません。

    また病に苦しむペットに、安楽死を与えることは悪でしょうか?
    苦しむ様子を横目に見当違いの処置を施し続け、延命するならときには死を与えることは愛ではないでしょうか?

    人が自分を慈しみ死を選ぶことは悪でしょうか?

    今もこの瞬間多くの人が亡くなっています。虫もねずみも犬も牛もバタバタとたくさんの命が消えています。

    自分個人の命だけ、または身近な人の命だけとりたてて死んではダメだのと特別扱いするのはなぜですか?

    死にたい人は死んだらいいのだと思います。生きたい人は生きたらいいのだと思います。

    衝動的にだったり特別悪い気分で死ぬのでないなら、別に良いのではないかと思います。

    人はいつか死ぬものであり、それがちょっと早いか遅いかということがそれほど重大なことなのでしょうか?

    1. なな への返信。

      コメントは多岐に及ぶため、答えは順番通り、またすべてを網羅していないので、あしからず。

      よく考え、死という選択を取ることが悪いこととはあまり思えません。について
      また自殺の性善説か・・・
      聞きは良いが不適切である。
      前コメント2021年11月27日 8:19 PM
      抜粋
      若年層の自殺が増えている昨今。本人は考えぬいているでしょうか、フルに人生を生き、頑張ったでしょうか?客観性をいれないと“考えぬいていた”から“頑張った”からといって“よし、自殺してよい”とでも言いたいでしょうか?
      また、コメントの“衝動的”、“特別悪い気分”は主観的で客観性がない。

      「死んではいけないと否定する人は、一体その人の何を背負ってあげられるのですか?」について
      ことばを返すが、同じく自殺を肯定する人は “一体その人の何を背負ってあげられるのですか?”
      よく理解してもらいたいのは、現在の社会にあるセフティーネットを作ったのは自殺を否定するほうであり、肯定するほうではないので、それを逆手に取るのはいかがと思うが・・・

      自殺を考える人に対して、
      「社会」は「社会の民」を救う手だてがあるのでフルに利用しなさい。
      ただ分かってもらいたいのは“社会の手だて”は理論上、良くて善意の2/3、実施はもっと低い。これも以前コメントしたことある。

      「人は自分の人生を自分で選んで生まれたのだと思います。」について
      このコメントは不明。
      「こんな家、こんな親のもとで生まれたくなかった」はよく聞くが、生まれを敢えて自殺をするほどの辛い人生を選ぶ人はいるか?話はあべこべと思うが・・・

      「人が自分を慈しみ死を選ぶことは悪でしょうか?」について
      細かい揚げ足をするつもりはないが
      “慈しみ”は人に掛ける言葉なので自分には掛けない。

      「人はいつか死ぬものであり、それがちょっと早いか遅いかということがそれほど重大なことなのでしょうか?」について
      そうであれば、遅いほうにしようよ。
      今の辛さに瘡蓋が出来るまで待って見ようよ。

      苦しむペットについて
      “ペット”と言った時点ですでに主観満載。
      ペットと人間を一緒の論調で議論するのはどうかと思うが・・・
      僕は信じる道教はペットと人を同じ扱いはしないので、あしからず。
      また、ペットと思わらない生き物はどう位置付けるでしょうか・・・

      自分個人の命だけ、または身近な人の命だけとりたてて死んではダメだのと特別扱いするのはなぜですか?について
      自分の命は一個しかないので、少なくとも自分で“特別扱い”をしないと、これは皆平等である。
      このブログは特定の誰か、“身近な人”とかに対して書いている訳ではなく、道教が考える生死の摂理を書いているだけ。

  74. 同意です。てか単純に、自殺に妙に肯定的な人って自分の子供や親、兄弟姉妹が自殺しようとしてても同じこと言うんですかね。

    1. gero への返信。

      全ての人生には多かれ少なかれ“胸糞悪い”側面もあるので、自殺する人は自分だけが特別に悪いと思わないでもらいたい。また、悩みは1人で抱え込まないこと。

  75. 記事本文も、コメント欄のやりとりも芯が通ってないというかなんというか…
    やりとりで相手を打ち負かしたいっていう根性と意地が見え隠れして、論点がすりかわってる部分が感じられました。
    自殺って選択は百害あって一利もないことだから、しないでねってことを言いたいのはわかります。
    でも聖天宮法師さんの対話姿勢と表現には問題があるのではないでしょうか?
    ここまでのコメント、すべては読みきれていませんがそれなりに理のある反論や反感があることがその証左かと。
    ちょっと気になった部分では、1月あたりのリアリストさんの文面とか、自殺を推奨しているようには受け取れないんですよね。
    辛い状況の人にかけてあげる言葉があまりにもきっついんで、優しく接してあげる姿勢でいてほしいとか、自殺を検討していることを頭から批判せずに、時間はあるから少し考え直してみてねって温かいメッセージにも感じるのですが…
    ちょっと下の方にいくと、この記事内容を不快に思うなら見るな、自己責任だって文言もありますし、正直聖天宮法師さんのその姿勢はどうかと思います。
    言葉を表現することに責任があるからこそ、自殺を容認するような方々に無責任だとつきつけていたのに、いざ自身の表現で心身を害したらそれは自己責任だってのは酷いですよね。
    仏教徒ではないようなので持ち出すのはアレですけど、坊主の説法とかそんなきっつい言い方してないですよ。
    それが道教だー!とか、道教の土俵でしか語らないわー!とか、これが俺のスタイルじゃー!ってことならもうなにも言えないですけど。
    なんだかエセ宗教家くさいな~なんて。

    1. 老子と荘子は好きです。 への返信。

      芯が通ってないについて
      僕のブログは①“自殺をする”コメントに対しての答えと、②自殺の性善説、また安易に容認するコメントに対しての答え。①に対しては現実的な解決策、また回避をする方法を伝えと②に対しては理論的に間違いであることを諭している。②を諭すことにより①が②の間違った論点を知り、惑わされないようにするためである。なので、1人のコメント内に両方ある場合、“芯が通ってない”と感じるのはある意味、仕方ない。もし“具体的”に“芯が通ってない”ところはあるのなら“具体的にそのコメント”を指してもらい、もっと“具体的”に説明するのは僕が唯一出来ることではある。
      よって“相手を打ち負かしたい”よりは②を諭しているのでそう感じる人もいるのも仕方がないでは。だが、理論的にやっていることは信じてもらいたい。

      リアリストのコメントについて
      リアリストのコメントには
      ・“自殺が逃げの選択肢であること”
      ・“彼らなりの絶対的な意思決定の果てに選択したはずのことです。”
      ・“自死という選択肢まで見出だしているのですから、皆さんに定められたことなどなにもないし、自由になっていいと思うのです。”
      自殺の容認と自殺の性善説のため、②に分類するコメントには其れなりにコメントを返しただけである。
      また、最後の“自分を対象にするのであれば、死ぬのは好き勝手した後でも遅くないと思います。”
      は犯罪を誘引するので間違いであるのである。

      理のある反論や反感について
      僕の考えは“自殺は罪であり、よくない”、あなたの考えは“考え抜いた自殺はよい”これは相いれることは無いので、それぞれの意見を出し、選ぶのは自殺をする本人が判断すればよいではないか。

      この記事内容を不快に思うなら見るな、自己責任だって文言もありますし、正直聖天宮法師さんのその姿勢はどうかと思います。について
      このテーマから退路を作っただけ。“胸糞悪い”と思うのなら匂いが付くので離れたほうがよい、
      本当に自殺をしたい人はドッポリと入っているので“胸糞悪い”は感じないはず。自殺を“するか”、“しないか”で彷徨っているのであれば“しない”ほうを選んでほしい。
      以前も書いたがこのブログは非能動的なので、道端に転がっている石、見たいなもの。
      内容は“自殺”に関わるので、鋭利で重い石。それをもって手を切ったり、足に落としたりしてケガする恐れはあるよと。
      だが、僕の願いはこの“鋭利で重い石”を建設的に受け止め、自殺の要因を切り裂いて、未来を拓いてほしい。これは自殺したい本人しかできないので第三者の“やさしさ”、“慈悲”、“博愛”などは根本的な解決策にならないと言っている。なぜなら“やさしさ”の“渇き”は本人が満足しなければ底なしである。

      エセ宗教家くさいな~なんてについて
      甘んじる。
      オブラートに包めば“真の宗教家”になると思わないが・・・

  76. 続けてで失礼しますが、道教の考えが少し気になったので自殺に関し答えている他の人いないかな~と調べてみました。
    たぶん中国の方ですかね?
    高雄市文化院の蔡文老師という方が自殺に関し答えていました。
    別途ご確認いただければな~とは思いますが、答えとしては聖天宮法師さんと同じような内容です。
    自殺は根本的な解決にはならないよ。道教としては、自殺しようって人へ死を認めることはしないし導くよ…ってな感じで。
    ただ、自殺を罪とは考えていらっしゃらないようです。
    自殺は罪ですか?って問いに、道教の解釈では自殺は罪にあたらないと答えてます。また、博愛の教義に従い救おうとするし、罪の名でその人を責め、更に苦痛で助けのない深淵に陥入らせることはしない(罪の~からは原文ママです)と答えていましたよ。
    道教 自殺とかで検索すれば日本語訳あるのでちょっと見ていただきたいですね。

    1. 老子と荘子は好きです。 への返信。

      今の時代、意見は皆あるのでその偉い先生の考えが正しいと思うのならばそれはそれで僕が口出しをするつもりはないので、引き合いに出されても・・・

      世界4大宗教、
      ① キリスト教、自殺は許されない罪、生命の創造者、神への冒涜とも云う。
      ② イスラム教、自殺は罪であり、来世永遠に焼かれるとも云う。
      ③ ヒンズー教、自殺は他殺と同じ罪深いとも云う、
      ④ 仏教は釈迦の“牛と荷車”の逸話で自殺は何千倍の罰を受けるとも云う。

      今はそうは言わない聖職者もいるとあなたが言う。
      時空と共に変わる真理は迎合的では・・・、“真理”であれば堂々と説き続ければよいではないかと思うが・・・

      これだけは強調したい。
      “博愛”、“慈悲”を掲げて自殺を容認し、しかも美化することは間違えである。
      以前も書いたが、宗教抜きで、世俗的・理論的に考えても、“自殺の補助”は、安楽死先進国でさえ違法であり、罪である。死んだ人は罪に問えないがその死を助けた人は罪を取らされている以上自殺の行為は罪であると思わないと。

      “博愛”について
      博愛を履き違えている。 “博愛” これは“神の行為”、みんな同じく愛している、返すと皆平等であり、平等なルールがあるということ。金持ち、貧乏、貴族、平民、信仰のあるなしとは関係なく、皆、同じルールに従うこと、これは“神の行為”。しかし、“人の行為”には “博愛”は無いため、だから善悪に伴う報いがあるのでは・・・
      道教は摂理を説く宗教、信仰といわゆる“博愛”を結びつけない、これこそ”みんなが平等”な”真の博愛”と思うが・・

  77. 先程もメールいたしましたが、来週青木ケ原に、いこうと決めています。
    自らの、自殺ではなく
    迷いこんでそこで餓死、凍死等してしまうのは、自殺あつかいには、あてはまりませんよね?

    1. さー への返信。

      自殺の意志のもとで行った自殺はどう繕っても自殺である。
      自殺する本人が一番わかっているし、またあの世ももちろん分かる

  78. 匿名希望へ返信

    今苦しんで生きてます。早く楽になりたい、誰にも迷惑をかけないで。
    自殺を考えています。会社ではパワハラ、親の介護、自分の持病、借金、
    居場所がありません。早く楽になりたい。状況は悪くなるばかり。借金は依然済んでいた住宅があちこち壊れ修理するなら中古を買ったほうが良いといわれ、みんなの意見で。 それが妻は家族と一緒に住みたくない、嫁姑、どちらも我儘。親の介護、自分の病気(糖尿と狭心症)何もよくないです。ただ苦しいだけ辛いだけ、毎日苦しんで終わる一日が・・・

    それでも自殺はいけないの?

    1. 匿名希望 への返信。

      道教では人生に12の要素はあり、人と関わる要素、自分、親、兄弟、伴侶、子供、交友。“自分”以外には別の人格があり、それぞれ別行動をとり、噛みあわないのが普通、うまく行くときは感謝。よって自分の善意だけに集中し、他人の善意を要望しないのが鉄則。

      人間関係は双方向、自分を責めることはない。自分が辛いのを相手にも伝える必要がある、文書にすること。2枚を書いて、1枚は、捨てられても良いので、相手に渡し、1枚は自分で残す。なぜなら書くことにより思いは残るから。また辛くなったらまた書く、月2回(新月、満月を目安として)のペースでよいと思う。

    2. 匿名希望 への返信。

      絶望に打ちひしがれ、途方に暮れているでしょうが、今、置かれている状況でこなす、一つ一つ、命を繋げる行動は、例え些細であっても、尊いであると信じてもらいたい。

      借金を返す。借りたのは事実、返すことは自分の信頼と名誉を守る。返せないのであれば今の時代、法的手段はある。
      病気と生きる。物理的な体を持つモノの定、これは皆、平等。今からでも遅くはないので体を大切にすること。
      親の介護、介護は義務よりは志しと思ってもらいたい。一種のボランティア活動と思ってするとよい。全くの他人を介護している訳ではないので、親から生まれたのは事実であり、親との仲がよかろうが悪かろうかは厳密にいえば、関係ない、
      家族の不仲、家族と言ってもそれぞれ別の人格なので、自分の人格も大切にしてもらいたい。
      自分の気持ちも皆で共有してもらいたい。

  79. 住んでいた。毎日辛くて生きる希望、楽しみもないです。子供もいません。妻も私も45過ぎたので。
    つまらない人生。疲れました。楽になりたい。そうなると自殺を考えます。

    1. 匿名希望 への返信

      楽しさを感じるか感じないかには客観性がない。
      伴侶がないと嘆く人はあなたを羨むであろう。
      子供が居ても親不孝で悩む人はごまんといる。
      お金持ちも苦慮はあるし、例えば家政婦にものを盗まれ、
      白金のカフェもマンネリになる。

      人生は楽いと誰も保障はしてないし、してくれてもない。
      他人と比べることなく、些細のことでも幸せは感じ取れることにしよう。
      長風呂のあと、寝起きの良い日、食事後のほのぼのした会話、思わずくすっと笑った番組。
      人はどう幸せを感じるかもそれぞれであり、あなたの伴侶は意外と前向きかも。

  80. 苦しんでいても助けてくれないくせに自殺はだめとか一丁前に脅すのかあ。
    なんかうけません??

    1. あ への返信。

      2020年9月19日 1:21 PMにコメント

      救いについて
      事故で足を無くし、アスリートなのでその足を戻せば救いになるでしょうか。
      病気で妻を亡くし、孤独だからその妻を生き返らせれば救いになるでしょうか。
      全の願いを叶えればそれが救いになるでしょうか。

      人生の苦しみに耐えて生きている人も多く、そう考えると自殺はよい行えとは思えない。
      自分の苦しみは特別と思わないで苦しみを何とか乗り越え、
      現世での好転を信じ、最悪その頑張りは来世に繋がる 
      (省略)
      道教は摂理を説く宗教、人気取りではない、あしからず。

      2021年3月3日 2:10 PMにコメント
      抜粋
      世間は世知辛いと思うかもしれないが、世間は社会として手を差し伸べる公的機関は多々あり、
      フルに活用してもらいたい。一日で長く生き現世の好転を信じ、最悪、来世の糧になる。

      だが、差し伸べる手には限界はあるのでやはり最後は自分で自分を奮い立たせるしかない、
      それが”行え(志し)”である。

  81. 今よりも悪いところに行かされるって誰に?末期の癌患者が苦しむ為だけに生きるのが耐えられずに自殺したとして、神さまか何かがその人をさらに悪いところに連れていくのか?そんなものをよく信仰できるな。そもそもその人が癌になったのも神さまの仕業でも何でもない。死後も残念ながらそんなメルヘンな力は働かない。脳が意識を形成していて死んだらそれで終わり。生まれ変わりなんてない。
    なのに、余計な話を付け加えてこれから死のうと思ってる人を更に苦しめたい理由がわからん。その説法が逆効果なん気づこうな。

    1. uasshle への返信。

      2021年11月8日 7:13 PM にコメント 抜粋

      理不尽の正当化について
      理不尽の正当化よりは理不尽を説明している。
      では現世の理不尽は何が起因するでしょうか?以下の例を、あなたが言う見えるもので説明しよう。
      例えば、奇形を持って生まれた人、水俣病が起因、虐待より1歳で殺された子供、悪親が起因
      虐待される動物、悪い飼い主が起因、などなど。
      では何故?何故、水俣に住んだ、何故悪親の下で生まれた、何故悪い飼い主に飼われた、
      あなたはどう説明する?ランダムなラッキー・アンラッキー?
      そこに住んだ人がアンラッキー、その親のもとで生まれたのがアンラッキー、その虐待する
      飼い主に飼われたアンラッキー。ランダムチャンスで説明するのも、それもそれで無責任、侮辱的と思うが・・・
      前世を持ち出して現世の理不尽を正当化している訳ではなく、その理不尽とどう向き合い、前へ進むことを“する”、“しない”かが肝心では。

      神を慕うつもりは無いし、それで悪とされるについて
      他の宗教のことは言えないが、道教は“摂理”を語る宗教なのでそれは“信じる”“信じない”、“慕う”“慕わない”と関係ない。
      陽の気が豊富な太陽は明日も昇り、陽の行動をとる人は道徳的である、それを心のより所にして前へ向いてもらいたい。

  82. なーんで現代のお坊さんはこうも(一見同情してるように見せかけて)上から目線で偉そうに咎めるかね。ブッダなら絶対こんなこと言わないだろうなあ。自然に死が訪れるのを待て、そうしなきゃ来世で同じ目に会うぞ、みたいなこと、絶対言わないと思う。そもそも自殺ってなんだよ?かつて太平洋で散って行った特攻兵士は自殺か?今ウクライナで死ぬかも知れないと分かっていながら戦っている兵士は?身体に悪いと知っていながら酒を飲むのは、運動不足なのは、末期癌の患者が延命治療を拒否するのは?誰がそれを自殺と決める?ブッダは自分が死ぬときに何を説いた?それは自帰依。あらゆる他の人の価値観に惑わされるな、自分の中にある真実(誤解を恐れず、これを私は神と呼ぶ。)に素直になれと言ったんだ。そもそも彼は前世も今世も来世も全部、まとめてその輪廻から離脱しようと伝え続けたんだ。悟りは「いつでも」「誰でも」「今すぐに」開けると言った。そういう人が「あんた自殺なんて甘えたマネしてると来世でも同じ目会うぞ!」なんて言うわけがない。子どもでも分かる。嘘だと思うなら、今耐えがたい苦しみに悶え、死ぬことしか逃げ道を見出せない人に向かってこのお坊さんが説いてることをそのまま言ってみればいい。言われたその人はこんな言葉に何の救いも見出せないと断言できる。苦しみの只中にある人を救うことのできない信仰に、一体何の価値がある?あんたの自己満足か?キリスト教もそうだが、偉大な教えが担がれ、いいように利用されるうちにどんどん改竄され、真逆の教えになっているのがとても悲しい。

    1. かなた への返信。

      申し訳ないが、
      まず、僕はお坊さんではない・・・

      仏教も信じてないし、成仏そのものも信じていない。
      道教は、信仰の有り、無しと関係なく輪廻における成仏の様な例外はない、あり得ない。
      例え、自称の例外があったとしても2000年に、有名なのは1~3人ぐらいで、まずないと思って生きた方がよい。

      2021年8月4日 7:21 PM のコメント抜粋
      あなたが重きを持つお釈迦様にはこの様な逸話がある。
      簡単に“釈迦と自殺”ネットで検索すると、釈迦の“牛と荷車”の逸話がある。
      自殺する娘を助けるため挙げた例えかもしれないが自殺に対してめちゃくちゃキツイではないか。今の時代なら結構叩かれると思うが・・・

      戦争死について
      2020年9月28日 1:24 PMのコメント
      思想、政治、宗教を目的とした”死”。
      その思想、政治、宗教内には価値あるでしょう。
      以上の死と悲観死を比べると、前者は”陽”の自殺に属し、
      後者は”陰”の自殺に属す。

      陽の自殺に追い込んだ、社会はいずれ、社会として代償を払うであろう。

      延命治療について 2021年11月6日 3:43 PMコメントで延々と書いた、暇があれば見てね。

      酒を飲むのは、運動不足について
      後で痛風になり肝臓がんになり、余命を宣告され、じゃー自殺?!?!

      極論の癌を持ち出さなくても、16歳で失恋をして自殺、14歳でいじめられて自殺、順風満帆と思われる芸能人の自殺、は全部、本人の意志だからOKと片付けるの?!?!

    1. わをん への返信。

      魂がリサイクルされるかどうかの考え方の違いである。

      成仏、鎮魂すればこのサイクルか出られると信じるのであればそれは信仰の自由なので・・・

      道教の考えでは、サイクルから抜ける例外はあるがまずないと思って生きた方がよい、摂理は平等だから。
      ショートカットはない。

    1. a i への返信。

      2021年7月4日 1:22 PMのコメント 抜粋

      道教の考えでは”人”には3つの要素、魂、魄(体)、行え(志し)から出来ており、死ぬと3つに分かれる。”魂”は”輪廻転生”よりリサイクルされ、”魄”は”地”でリサイクルされ、”行え”は”天”で評価され、来世の運命を決する。

      ①生まれ変わるのを信じるであれば、②世の中のすべての不平等、理不尽を説明する摂理としては、一番ガッテンしていると僕は思う。

  83.  数年前に、友人が原因不明の全身痛で自死しました。様々な治療をしましたが、どの医師もお手上げ状態でした。
     質問ですが、余命もわからず、希望が閉ざされた中、友人のような状態になっても数十年耐えて生きる自身がありますか。私はならないとか、これも因果だではなく、彼の身になってご返答ください。
     

    1. まんたろう への返信。

      以前も書いた、2021年1月20日 4:56 PM
      ・・・人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さと自分に対しての弱さ。
      ※自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、疫病、老いなど
      生きていくあなたの言う“苦痛”はどっち?
      自然に対して弱さであれば共感する人は多いが、自分に対しての弱さは“些細”と思われる。

      以前も書いた、2021年10月21日 7:56 PM。自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、病、老いなどはまだしも、せめて自分にたいしての弱さを何とか回避してもらいたい。

      以前も書いた、22021年11月6日 3:43 PM
      風邪も放置すれば肺炎になり死ぬ。
      拒食症は進めば死ぬ。
      疾病、医師に宣告されなくても、人が生きようとする志しが無ければ死ぬ

      因果について
      “因”は過ぎたことなので同じ轍を踏まないのが大事。
      “果”は志し・行動により得るもの、死んだらそれ以上得るものはない。

      友人について
      自然に対しての圧倒的な弱さで友人が自死したとあなたは言う。
      友人が耐えた分は評価され、耐えなかった分はまた評価さうれるであろう。
      2021年8月4日 7:28 PMのコメントもヒントになるので読んでね。

      余命もわからず、希望が閉ざされた中、友人のような状態になっても数十年耐えて生きる自身(自信)がありますか。について
      “はい”と言ったらあなたは信じないし・・・“いいえ”と言ったら消化不良のまんま・・・友人の苦しみはそうやすやすとこのような質問にしないほうがよいでは・・・

        1. 因みに信仰されている輪廻が実際に起こっている実例が最初の文面でも語られていません。あくまでも信仰で話されている事でしょうか?

          1. まんたろう への返信。

            もちろん信仰、信仰は自由なので。
            ”死にたいときに死ねば楽になるよ”とした考えは間違えであると言っているだけ。

            実例について
            2018年11月20日 2:52 PMのコメント 抜粋

            ①自殺して“楽になった”と死んだ人から直接聞いたともない。
            ②死んだら苦しみが無くなる科学的な証拠もない。
            ③苦しいなら”死んでもいいよ”とは言えない。

            自殺を思い止めるためであれば宗教も一つの手段と思います。
            自殺は自分の意思、殺人は他人の意思、寿命は所謂“天”の意思、せめて自分の意思で死ぬのは止めた方がよいと思います。

            因みに、“自殺したら来世苦しむ”と言っているのは世界の主な宗教であり、・・・

            2021年7月30日 8:47 PMのコメント 抜粋

            来世と自殺について
            昨今、想像を絶するほどの化学の進歩をもっても試験管でいわゆる“生命”、はいまだ出来ない。
            もう時間の問題かもしれないが、物理・科学が早く生命は何か、また人はなぜ高度な思考を持つのかを証明・解明してもらいたい。
            いずれにせよ多くの宗教が解く“自殺は来世に良くない”は科学的に証明されていないのを理由に”苦しいと思えば自殺していいよ”は
            今の段階では安易・無責任すぎる、何故なら“自殺はいい“と証明も出来ていないからである。・・・・

            ・・・・道教は輪廻転生を信じ、故人の霊を呼び起こすことは不可能とも信じているので、だから僕は生きている人に自殺は良くないよと訴える、なぜなら死んだらもう話せないから。

        2. まんたろう への返信。

          僕の答えを基準にするわけではないでしょう?
          友人の苦しみはそうやすやすとこのような質問にしないほうがよいと言っているだけ。

  84. 自殺ほう助や
    スイスで行われている安楽死も地獄へ行くのですか?
    自殺と一緒と取られるのですか?

    もう2度と産まれてきたくないんです。
    この世界にすら触れていくもないので
    生まれるのはもうこれっきりにしたいんですよね。
    また来世まで魂をリサイクルみたいに何度も生まれ変わらせるんですかね。
    もうそう言うのリタイアしたいんですが。
    特に知りたいのは上の4行。

    1. 神も仏もいる証拠がないから信じてません への返信

      まず、僕は“地獄”があると言ったこともないし、信じてもいない。
      輪廻を信じている僕からすると“地獄”は“天国”と同様、一種のサイクルから抜け出る例外なので無いと思って生き続けてもらいたい。これは僕の信仰であり、そうと思わなければ“自殺したら天国に行ける”といった信仰をこころのよりどころにすればよいでは・・・

      安楽死について
      以前も書いた、2021年1月20日 4:56 PM
      ・・・人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さと自分に対しての弱さ。
      ※自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、疫病、老いなど

      以上を踏まえて、安楽死を容認する国々は“自然に対しての圧倒的な弱さ”を客観的なルールを以って第3者が行う行為であり“自分に対しての弱さ”は容認していない。
      安楽死に関しては2021年11月6日 3:43 PMのコメントで書いているので読んでね。

      スイスの安楽死について
      スイスの安楽死幇助も別に何でもよい訳ではなくスイスの自殺ほう助機関で自死する許可を得なければならない。つまり第3者の見解が必要。

      また以下を参考にしてもらいたい
      2021年11月25日 5:49 PM このコメントを投稿
      そう、死から“逃げるのは勝ち”、“死に逃げるな”と言っている。
      自殺をして、“楽になれる”、”リセットになる”、はない。
      自分の意志で生きるこそは“勝ち”。
      ご自身の心をどうか大切にしてくださいについて
      聞きは良いが、自殺の境でさ迷う人は自身の心を大切にしたいため自殺をするので、
      よって当コメントは“突き放し気味”的では・・・
      自殺を回避する方法は自殺したい本人が死の境から離れる行為しかない。
      考え方を変え、一人で背負わず、自殺をする要因を第3者と相談する。
      問題を一旦回避して、立て直す、これは逃げではない。
      自殺の回避について2021年3月26日 2:20 PMのコメント
      辛いはさまざまがあり、“耐えて耐えて耐えて”もさまざまある。
      限界もさまざまがあり、“褒め称え”る内容もさまざまある。
      これだけは自殺する人に考えてもらいたい。
      ①衝動ですか?今先、受けた辛さか?
      ②夜ですか?夜は心細い、陰が多い時間帯か?
      ③知り合いと話したか?これはもろ刃の剣と思ってもらいたい。余裕のある人は受け止めてくれるかも、余裕のない人は逆に引かれる。試す価値ある。
      ④公的窓口と相談したか?これは難しいのは相手は他人、よって1回だけでは諦めない。
      コロナけれど3回足を運んだか?
      1回は事務的にあしらわされる、
      2回は印象に残る、3回でやっと共感してもらえる。願わくば1回で共感してくれるかも、
      特に今はコロナだから可能性はたかい。
      以上の行動は修行と思うこと、設定された所で“滝行”だけが修行ではない、人生はそう綺麗ではないから。
      以上の行動は自分への徳積みと思うこと、設定された所で“ボランティア”だけが徳積みではない、人生はそう悠長ではないから。

      1. 11/6のコメント探しましたが見ありませんよ。
        第三者の見解が必要なのも知ってますが、最後は自分で毒が体に回るスイッチを押して死ぬでしょ?(やり方は場所によって違うかもしれんが)
        アレは自殺と変わらんのかって事です。
        それと、どのコメントが私の質問に対する返事なのかよくわかりません。
        この日のコメントを見てくださいがいくつもあって、話が脱線してて内容がわかりにくいです。

        1. 神も仏もいる証拠がないから信じていません への返信。

          コメントの前半について
          “投稿”も見みてもらいたいが、
          そもそも探している・見ている所が違う、
          “コメント”内、“投稿”内ではない。

          コメントの後半について
          “ほぼ々”・“度々”、書いていることに対しては“OOOコメントを見て” または“OOOコメントの抜粋”と。

          “わかりにくい”について
          “OOOコメントを見て”または“OOOコメントの抜粋”を順番にコピペして、一つの文章にしてから読むと分かりやすいかも。

    1. あさくみ への返信。

      煽り運転で両親を亡くした姉妹も生きている、生き続けるであろう・
      77年まえの戦争孤児も多く生きている、または天寿を全うした。
      ウクライナの戦争孤児も生き続けるであろう。

      道教は“仙人思想”があり、“絆”は買いかぶり過ぎでは・・・

  85. そもそもその人を評価する”天”とは何なのですか?
    所謂神の様なものの事を言っているのでしょうか?

    サイクル云々は共感出来ますが、私が思うにそのサイクルはもっと無機質で、温かい水は上に、冷たい水は下にというようなこの世の仕組み的なものであり、人間的な価値観を汲み取ってくれる様な生優しいものではないと思いますが。

    苦しみから逃れる為に自殺をした者は来世ではもっと苦しみを、というのが真理なのであればそれは死に至った時の精神や魂の状態に応じてそういった場所へと向かうという仕組みが存在しているだけで、そこに自殺の有無などは全く関係無く、死を強く望む程に絶望した心持ちのまま自然死を迎える事になっても同じ場所へ向かう事になると思うのですが。

    人の考える人間的な感情を持つ神が”天”ならばそれは人の生み出したご都合主義の”天”なので信ずるに値しませんし、システム的な”天”ならば生前がどうであれ問答無用で相応しい場所へと送り込むでしょう。

    1. 業 への返信。

      人はモノであれば、あなたの言う通り、ただリサイクルされ、例え違うモノにされても文句は言わない・・・
      が(強調)、人はリサイクルされ、生まれ変わるとその区別を“苦”・“楽”と思う。これもただ物理の産物と思えば人の“苦”に共感する必要もないのでこれ以上思考を巡らせる必要もない・・・
      2020年12月12日 1:47 PMのコメントを読んでね

      道教は人に3つの要素 “魄(体)”・“魂(たましい)”・“行え(志し)” を持たせ、死ぬと“魄”がリサイクルされた時、次の“魄”に前の“魄”の“行え”を“魂”で紐をつけ、その“苦”・“楽”を説明しようとする。

      以上を信じるか信じないかは別として、僕にしては、人と言う“思量深き存在”を“リサイクル”の概念をもって、説明するのには一番よい仕組みと思う。

      “天”について
      まず、“老子”は降臨した神様と道教は信じる。
      老子が説いているのは、自然には自然の摂理、人には人の摂理、その摂理に“道(タオ)”と名をつけ、
      その道(タオ)の法から天の法→天の法から地の法→地の法から人の法と説く。
      2021年8月4日 7:28 Pのコメントを読んでね。

      面白いなのはこれらの”法”を信仰と紐つけない。

  86. この記事こそ私にとっては百害あって一利なしでした。
    まさに脅し。最悪。
    燃えて、あるいは腐って、空気に、水に、土に帰るだけ。
    誰か/何かの糧になり、のどを潤し、風を運び、音を届ける。
    今よりずっといい。

    1. gropun への返信。

      2018年11月20日 2:52 PMのコメント 抜粋

      ①自殺して“楽になった”と死んだ人から直接聞いたともない。
      ②死んだら苦しみが無くなる科学的な証拠もない。
      ③苦しいなら”死んでもいいよ”とは言えない。

      自殺を思い止めるためであれば宗教も一つの手段と思います。
      自殺は自分の意思、殺人は他人の意思、寿命は所謂“天”の意思、せめて自分の意思で死ぬのは止めた方がよいと思います。

      因みに、“自殺したら来世苦しむ”と言っているのは世界の主な宗教であり、・・・

      2021年7月30日 8:47 PMのコメント 抜粋

      来世と自殺について
      昨今、想像を絶するほどの化学の進歩をもっても試験管でいわゆる“生命”、はいまだ出来ない。
      もう時間の問題かもしれないが、物理・科学が早く生命は何か、また人はなぜ高度な思考を持つのかを証明・解明してもらいたい。
      いずれにせよ多くの宗教が解く“自殺は来世に良くない”は科学的に証明されていないのを理由に”苦しいと思えば自殺していいよ”は
      今の段階では安易・無責任すぎる、何故なら“自殺はいい“と証明も出来ていないからである。・・・・

      ・・・・道教は輪廻転生を信じ、故人の霊を呼び起こすことは不可能とも信じているので、だから僕は生きている人に自殺は良くないよと訴える、なぜなら死んだらもう話せないから。

  87. 宗教というより道徳のお話ですよね?
    悪い事したら駄目と諌めている。

    自殺を思い止めるためであれば宗教も一つの手段=嘘も方便ともっとはっきり言えばいいのに。

    何か目に見えない法則があって、それを見えてない人に対して啓蒙しようとするような態度に見えるから、心に痛みを抱えながら生きている人から反感を買ってしまうんですよ。

    「そう考えたら楽になれる人だけ信じて下さい」位のスタンスで良いのではないでしょうか?証明に拘る意味は無い。

    1. やまだたろう への返信。

      諫めるについて
      先ず、“自殺”を“悪い事”か“良い事”か、で分類すると “生き続ける”よりは“悪い事”である、と僕は思う。
      それを踏まえて、“悪い事”した本人がいれば“諫める”ことは出来るが、自殺したら宗教を含めて社会も無力である。
      だが宗教は“来世”をもって自殺を抑止しようとしている、
      これは信仰の自由なので“嘘”・“方便”と思うならそれも自由である。

      方便について
      自殺をしたら“楽にられるよ”、“苦しむよ”のどちらも根拠はない以上、どちらも方便となる、が・・・前者は死なせるための“方便”、後者は生かせるための“方便”、そうであれば僕は“生かせる”ための方便を説き続けたい。

      目に見えない法則の啓蒙について
      人の生死には法則がありと道教は信じる。僕にはこれを“証明”することは出来ないが理論的に“解明”をしようとしている。

  88. 自殺の事、多くの方々の意見があり、コメント返信、お疲れ様です。自殺が良い事か悪い事か、また、自殺してその後は、どうなるのか?
    それは、誰にも分かりません。自殺した事無いですからね。自殺して幸せになるか?不幸になるか?これも、自殺してませんから、分かりません。決めるのは個人だからね。以上

    1. 喪黒福造 への返信。

      自殺してその後は、誰にも分りませんについて
      まさしく、自殺したらどうなるのか、分からない以上安易に勧めてはならない。
      2021年7月30日 8:47 PMのコメント 抜粋
      来世と自殺について
      昨今、想像を絶するほどの化学の進歩をもっても試験管でいわゆる“生命”、はいまだ出来ない。
      もう時間の問題かもしれないが、物理・科学が早く生命は何か、また人はなぜ高度な思考を持つのかを証明・解明してもらいたい。
      いずれにせよ多くの宗教が解く“自殺は来世に良くない”は科学的に証明されていないのを理由に”苦しいと思えば自殺していいよ”は
      今の段階では安易・無責任すぎる、何故なら“自殺はいい“と証明も出来ていないからである。・・・・

      決めるのは個人だからについて
      法律的安楽死に寛容な国でさえ第3者の意見を入れ、一定の期間を置いてから行うことが出来る。本人の意志、同情者の意志だけで決めるものではない。

      以前2022年5月14日 1:10 PMコメントの抜粋
      極論の癌を持ち出さなくても、16歳で失恋をして自殺、14歳でいじめられて自殺、順風満帆と思われる芸能人の自殺、は全部、本人の意志だからOKと片付けるの?!?!

      本人自由、また死んだ本人は十分に苦しんだのを理由に自殺を容認する社会は責任を放棄していると僕は思う。

  89. 来世 死後の世界
    そんなもの ありません
    人間が勝手にでっち上げたものです

    輪廻転生 それも 人間が 勝手に 考えたものです

    証拠のデータがあるのなら 見せていただきたい

  90. そもそも寿命って何?
    病気になって死んだら自分が、健康的な生活をしてこなかった所為になるの?それとも天とやらの意思になるの?
    病気じゃなかったとしても生活によって長くなるか短くなるか変わる。

    死にたい人は死ぬ。生きたい人は生きるで良いじゃん。
    なんでわざわざ止めるの?自殺を止めて、自分の徳とやらを上げる為?

    そもそもなんで天は人間を作って輪廻させてるの?

    1. ??? への返信。

      “健康的な生活”という概念はなにかについて
      栄養不足の時代は太った人が長生きする、栄養過多の時代はそうではない。

      ヘビースモーカーで80―90まで生きる人もいるし、20代、肺がんで死ぬ人もいる。

      ネット情報
      森繁久弥 96
      ウィンストン・チャーチル 90
      ジャック・ニコルソン85
      アル・パチーノ 82

      https://www.haigan-tomoni.jp/know/about_lung_cancer/patients/age.html

      そもそも寿命って何?について
      寿命は生きる長さではない。
      自殺の意志をもってその行為をすればそれは自殺とみなされる。
      それ以外は寿命。

      2021年3月7日 2:40 PMコメントの抜粋(投稿ではない)
      自分の意志で死ぬのは自殺、他の要因で死ぬのは寿命。全然違う。
      寿命は何時、死ぬのかはかわからない、自殺は分かる。全然違う。
      何時、死ぬのか分からないからコツコツと生活する。
      何時、死ぬのが分かれば逆算できるので全然違う。

      2018年11月20日 2:52 PMコメント(投稿ではない)抜粋
      自殺は自分の意思、殺人は他人の意思、寿命は所謂“天”の意思、
      せめて自分の意思で死ぬのは止めた方がよいと思う。

      輪廻させてるの?について
      “魄(体)”の物理的な限界があるからである。

  91. 私は、生きづらさに耐えられない行き場のない感情を少しでもどうにかしたくて、「自殺・死後」で検索してこのページに辿り付きました。一つ一つのコメントに対し、主様の視点でまじめに返答されているが伝わりました。コメント者とのやり取りが噛み合わない理由は、理論(主様が常に論理的だったとは思いません)と感情論が交わらない点にあると思います。
    一個人の結論として、「他者の意見を頑なに論破したいだけの手合いとわかりあう意味はない」と改めて認識することができました。主様の最初の主張自体には賛同します。

    1. リタリン への返信。

      2022年1月6日 9:05 PM コメント抜粋
      僕のブログは①“自殺をする”コメントに対しての答えと、②自殺の性善説、また安易に容認するコメントに対しての答え。①に対しては現実的な解決策、また回避をする方法を伝えと②に対しては理論的に間違いであることを諭している。②を諭すことにより①が②の間違った論点を知り、惑わされないようにするためである。

      よって②を諭しているので”論破”ではない。”論破”とは別次元である。

  92. 好きで生まれて来たわけでもないんだし、健康でも楽に死ねるような世の中になって欲しい

  93. 自殺がダメだったら、酒とかタバコ、あと不摂生、運動しない、睡眠不足、人との交流を断つとかそういうことをやって寿命縮めたら、自殺にならないからいいと思います。また、ナイフを持って暴れている人が街中にいたら、進んで止めに行って刺されて死にましょう。そうすれば、自殺を達成するとともに、英雄になれるでしょう笑笑

    1. ちんちんたまたままんまん への返信。

      ワクチンを打って自殺をする人に対してのコメント
      2021年7月5日 5:24 PM コメント抜粋
      あなたがワクチンを“①有害と信じ”、“②死ねると思い”、“③自分の意志で”接種し、“④副作用が出て何もしなく、接種所の医師に何もさせなくて”死んだ場合、それは“自殺”である。

      以上を踏まえて、自殺の意志をもって羅列した例えはすべて“自殺である”。
      自殺の意志を持たないで羅列した例えはすべて“不摂生”、“無鉄砲”、”無知”である。

      始皇帝が大量の水銀を摂取して死んだ、自殺ではない。自殺の意志はない。
      貴方が水銀は有害と知って自殺の意志をもって摂取したらそれは自殺である。

      以前もコメントしたが“自殺を意とした行為”は “自殺”である。

      暴れている人が街中にいたら、進んで止めに行って刺されて死にましょう。について
      自殺をする意志を持ち、急所を刺してもらうのであればそれは自殺である。自分で急所を晒さなければそう簡単に死なないと思うが・・・(苦笑い)。英雄になるかもしれないが死んで意味はあるか・・・(W苦笑い)

  94. 鏡でつくり笑顔

    うつ病が治らない。
    突発的に自殺してしまおうとする自分がいる。
    今までは、たまたま完遂出来なかっただけで、今後も止めれるとは思えない。
    病気が起因での自殺も悪行なら、治らない以上どうすることも出来ない。
    悲しませる人が沢山居ることも分かっての衝動的自殺。
    来世も困難なら、逃げるための自殺でも仕方ないと思う。

    1. 鏡でつくり笑顔 への返信。

      度たび話すが、
      人の”弱さ”は自然に対しての圧倒的な弱さと自分に対しての弱さ。
      ※自然に対しての圧倒的な弱さ、例えば天災、飢餓、疫病、老いなど

      ではうつ病は何にか、とネットで検察すると(Google)
      「うつ病は、気分障害の一つです。 一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しめないといった精神症状とともに、眠れない、食欲がない、疲れやすいといった身体症状が現れ、日常生活に大きな支障が生じている場合、うつ病の可能性があります。」

      承服しないと思うが、“うつ病”は文字通り、“気分障害”なので直接的な原因で死ぬわけではない。改善法としてホルモン、薬などでその“気分”を安定させるか、改善は見込めなければその “気分”と付き合うしかない。信じてもらいたい、今、一日でも長く生きることで、現世はプラスにはならないかもしれないが(実はプラスになっている)、絶対に来世の大きな“糧”になる。生きている時の行為しか来世の糧にならないのである。

      自殺は完遂しないければ“自殺”ではないので、例え、それを繰り返してもそれは“生きる”行為でありそれは“糧”になる。強制的に思うこの“心の修行”を一日でも長く行い、できれば完遂してもらいたい。

  95. 一年前、進学か就職かで両親と大喧嘩…
    結局親とは決裂したまま時間だけが経ち、研究に興味が無い私は黙って就活を始めたました。しかし、書類選考は通るのにコミュ障の私は面接の段階で全滅、同級生はもう内定を貰って就活を終えているのに…これから頑張っても内定が取れる気がしません。
    しかしそれは私の我儘が原因だと考えています。親は自分事を心配してくれて進学を主張したのだと思います。だとするならば私は勝手に我儘を押し通し、挙げ句の果てに失敗した罪人です。どんな罪に問われるでしょうか…もう親に迷惑が掛かってしまうと分かった以上、遅かれ早かれこの責任を命で払わなければならないと思います。
    自決による代償と罪もあの世で受ける覚悟です。

    1. 水漬く屍草生す屍 への返信。

      親に頼る勇気をもってもらいたい。

      2019年2月17日 @ 13:36 の投稿 抜粋

      親子の関係は親としての志しと子の善意が必要。

      親の志しを信じ、頼ってもらいたい。
      あなたは善意をもってそれに答えること。

      人の多くは失敗する、死をもって償うことはない。

  96. 横入りコメントになりますが、
    来世のために、今世で何か積み上げ行為をしておきましょうと言う提言が、もう現代人には響かないんだと思います。

    現代人の大多数は、今世中に報われたい、救われたいのだと思います。

    1. noname への返信

      今世(現生)で積み上げがもうこれ以上出来ないと思う人が自殺をするので、僕が言いたいのは人生に行き詰まっても自分の意志がある限り“死”を選ぶのではなく“生”を選んで欲しい。
      じゃあ、インセンティブは何だと聞かれるので、それは今世の糧になり、もし今世に好転は無くても、来世の糧になる。
      道教の考えでは今世で自分の意志で行った行為でしかためにならない、現世至上主義的な考え。

      よって死んでから親族、神仏職に救い・供養されることはない。また祖先の行いは霊的に現生の我々を苦しめたり、反面、現生の我々の行為が霊的に先祖を苦しめたり、癒されたりすることも無い(強調)。
      と言いながら、道教の旧暦の7月(一か月のみ)には霊を供養する祭事はあるが、ですがこれはその人の生前の穢れ、罪を根本的変えることはできない。

      道教には輪廻転生の考えはあるので、永楽・永苦はなく、よって供養でその人の霊が根本的の癒されることはできない、だってもうこの世に戻っているから。
      これは信仰の自由なので・・・

      追伸:亡くなった親・先祖が残した借金・因縁などで子供が苦しまれるのは法的・情的であり霊的ではない。

  97. 大地震のような、人間にはどうしようもない物に対する諦観なら受け入れられるけど、人間が何とか出来るはずの「気分」に対しては抵抗しようよ。

    そう言う世界観がまた現代人を苦しめているのです。

    1. nomane への返信

      文明の話し?!?
      個人の自殺はやめようの範疇と思った!!失礼。

      文明か・・・、現代人が文明の利器を享受する以上その苦しみに抵抗しないと・・・

      2021年8月15日 5:37 PM コメント 抜粋

      ・・・・世の中の理不尽は誰のせいでもなく、善悪でも関係なく、高度な社会が機能するため、必然であると説得するしかない。例えば、コンビニが24時間営業、蛇口を捻ると水がでる、電車が分刻みで乗れるなど、これらは理想論を具現化した人々の努力、世の中の忍耐、徳であり、ないと遥かに不便にある。19世紀以前の暮らしには戻りたくないと思うが。

  98. 拒食症で吐き気等で食べられなくなり、結果的に餓死した場合や、アルコール依存で飲みまくった挙げ身体を壊して亡くなったのも自死でしょうか?

    1. いち への返信。

      以前もコメントしたが“自殺を意とした行為”は “自殺”である。

      拒食症、アルコール依存は精神疾患なので適切な治療、サポートを受けること。

      治療の甲斐もなく死んだ場合はそれは自殺じゃない。よって自殺する必要はない。

      2021年7月8日 4:37 PM コメント抜粋に類似例
      錯乱状態の自殺について
      法律の専門家ではないが理論的に考えると、
      “錯乱状態”で“他人”を殺した場合、第三者でその責任能力の有無を測り、“錯乱状態”とされた場合、犯罪としては成立しない。

      では自殺について考えると、自殺はこの世では罪にないがあの世で罪にる。道教では他人を殺すと同様、自分を殺すのも罪である。
      よってあの世で“錯乱状態”とされた場合(強調)は、いわゆる“自殺”ではなく“病死・寿命”あつかいになる。あの世で“錯乱状態”として扱われるかどうかは“自殺”をした本人が一番わかると思うが・・・

        1. いち への返信。

          2022年7月9日 2:16 PM コメント抜粋
          始皇帝が大量の水銀を摂取して死んだ、自殺ではない。自殺の意志はない。
          貴方が水銀は有害と知って自殺の意志をもって摂取したらそれは自殺である。

          要するに、以前も度々コメントしたが、“自殺を意とした行為”は “自殺”である。

          狙って薬の副作用で自死するのは難しいと思うよ。何故なら薬の開発の根底には
          人を良くする善意があるから。

          1. ほとんどの精神薬の副作用欄に自殺企図とかかれております。また、自死された精神疾患の方々の約7割は何らかの精神薬を飲んでいたらしいです。

          2. いち への返信。

            精神薬・抗うつ薬はそれだけ、ぎりぎりの所を攻めているので、不完全で
            合っても今ある人の英知を結集して善意で開発しているはず。

            2021年5月5日 4:01 PMのコメントの抜粋

            効き目の善し悪しは長年人類が試行錯誤で蓄積した文明の利器。
            勿論、所詮人が作ったモノ、直せない病もあるし、キツイ副作用のモノもある、
            だがクスリは善意で作られていると信じて欲しい、使い続けて欲しい。
            クスリを使い続ける選択は明確な生きる意思表示である。

  99. 自殺し、来世ではもっと悲惨な人生が待っている。
    その来世で自殺し、そのまた来世で自殺したら?
    今の私は何番目の自殺願望者なのでしょうか。
    ここから這い上がる方法などあるのでしょうか。
    私は傍目から見て幸せ者だと思います。自分でも、幸せだと感じることも多々あります。
    しかし、些細なきっかけで死にたくなります。これはなんなんでしょう。
    本気じゃないのに死にたいとか言うなと言われそうですが、毎回、死にたいです。
    でも、周りの人に悲しまれることを思うと、思い止まります。いっそ、私のことなど記憶に残らないで欲しい。
    自分の命、魂?よくわかりませんが、なぜこんなにも生きることは煩わしいのでしょうか。
    虫のように、ただひたすらに子孫繁栄を第一に、短い命を一生懸命に生き果てたい。
    小さな命をバカにしているのではなく、本当に、心から羨ましい。

    1. さささ への返信。

      自殺は繰り返されるについて
      2021年10月22日 6:50 PM コメント抜粋
      これも道教の考え(強調)、人が死ぬと記憶をなくなるので、自殺は繰り返すことない。
      例え自殺により来世が不利な人生に堕ちいっても、自殺は繰り返すことない。
      何故なら、新な人生は不利からスタートするので不利と思わないから。
      これも以前、幾ともコメントしたが、『人は生まれた時から自分の将来を悲観視し“消えたい”・“自殺をしたい”気持ちは持たない。』比べて初めてその様な気持ちが起きる。

      これも以前2021年9月17日 1:14 PMのコメントした、比べるについて、一部、抜粋。

      では人は何時から“消えたい”・“自殺をしたい”を考えるようになるのでしょうか?
      それは他人と比べ始めた時、また自分の過去と比べ始めた時。
      他人と比べた時(若い人が陥りやすい):情報で溢れている昨今、ニュースになるのは両極端、極端に良いか極端に悪いか、人は陽の存在なのでどうしても良い方良い方と比べる。向上心を持つのはよいが、他人の情報は参考にする位にして、あんまり真に受けない方がよい。
      自分と比べた時(年配の人が陥りやすい):主に時間軸と関係ある、人は陽の存在のなどでどうしても若い時の活発的で健康な状態を切望する。若い時の尺と年取った時の尺を一緒にしないこと。また昔、使った尺は参考にして、今は今の尺で行わないと。これらの尺は混用すると“消えたい”または“自殺したい”気持ちに陥る。

      以上の再スタートを死なずに同じ人生で出来ればどれだけ凄いことか。

      自殺の境について
      2021年10月22日 10:16 PM コメント抜粋
      自殺する人はもう生死の境に近いので、まずその境からある程度、離れる必要がある。
      自殺をしたい気持ちは日々(天候、時間、気分)揺らぐので、常に境に近いとそれを越える確率も上がる、そこから離れるようにと。色んな支援、慰めの言葉があっても、最終的に自殺を防ぐには自殺をしない行動を自殺する本人がするしかない。ただ、ただ、なんとかその境から離れてもらいたい。

      幸せを感じるについて
      2022年3月21日 3:36 PM コメント抜粋
      楽しさを感じるか感じないかには客観性がない。
      伴侶がないと嘆く人はあなたを羨むであろう。
      子供が居ても親不孝で悩む人はごまんといる。
      お金持ちも苦慮はあるし、例えば家政婦にものを盗まれ、
      白金のカフェもマンネリになる。

      人生は楽いと誰も保障はしてないし、してくれてもない。
      他人と比べることなく、些細のことでも幸せは感じ取れることにしよう。
      長風呂のあと、寝起きの良い日、食事後のほのぼのした会話、思わずくすっと笑った番組。

      なぜこんなにも生きることは煩わしいのでしょうかについて
      高度な社会に生きる私たちはその煩わしさもあるがその利便さも享受している。
      2021年8月15日 5:37 PM コメント 抜粋
      ・・・・世の中の理不尽は誰のせいでもなく、善悪でも関係なく、高度な社会が機能するため、必然であると説得するしかない。例えば、コンビニが24時間営業、蛇口を捻ると水がでる、電車が分刻みで乗れるなど、これらは理想論を具現化した人々の努力、世の中の忍耐、徳であり、ないと遥かに不便にある。19世紀以前の暮らしには戻りたくないと思うが。

      虫のように生きるについて
      虫は環境の変化に生まれ持ったDNAで対応する。
      人は環境の変化に社会で培ってきた智で対応する。

      虫は主観性はない。
      人は主観性はある、何故なら社会に適用する人間は善(ぜん)の志しは必要、
      ここには大きな違いがある。人のほうが尊い。

      1. いち への返信。

        来世は人間として生まれ変わるのはほぼほぼ。

        以前書いたコメント2021年3月17日 9:08 PM、2022年8月21日 2:47 PMの抜粋と要約。

        道教は輪廻転生を信じ、しかも、永楽、永苦のようないわゆる”天国”、”地獄”もない。
        死後は一時的で前世の善悪の行為に見合った来世が始まる調整所に過ぎない。

        善いことをして神に近づけることは無い、何故なら神と人の次元はあまりも違うと道教は考える。
        すごく良い事をすると想像もできないほど恵まれている来世を送るかもしれないが、
        輪廻から抜け出し、いわゆる天国にいくことは無い。

        地獄もないので、
        すごく悪い事をすると想像もできないほど悲惨な来世を送る、
        動物になることもあるが、動物もやはりこの世で生き死にをしてまた人間となり、
        また自分の意思で善悪をする、と繰り返す。
        此れこそ生死にまつわる輪廻転生である。

  100. そこで神学者達は自殺の非認せらるべきゆえんを彼ら自身の哲学的論議の上に基礎づけねばならぬことになるわけであるが、その論議たるや甚だもって怪しげなものなのであるから、彼らは議論に迫力の欠けているところは自殺に対する憎悪の表現を強めることによって、即ち自殺を罵倒することによって補おうと努力しているのである。
    (中略
    自殺はこの悲哀の世界からの真実の救済の代りに、単なる仮象的な救済を差出すことによって、最高の倫理的目標への到達に反抗することになるものであるということ
    ショーペンハウアー「自殺について」
    ———
    この本では自殺は決して責められるべき罪ではないが、自殺はされるべきではないとショーペンハウアーは述べています。
    自分の宗教観(前世も来世もなく、脳の電気信号によって認識した世界の中でただ発生した一生命体にすぎず、生命活動が終われば自らが蓄積した記憶も意識も、ただ無に還る)に合うという理由で自分はショーペンハウアーの哲学がしっくりくるタイプです。

    生きるうえで一番の悪手ではあるが、誰もそれを罪と問えない。
    それを縁にして何とか生きながらえる人もいるはずで、選択を取った人も、その選択を取らずに生きる事を選んだ人と同様に、慈しむ事こそが真理ではと感じています。

    1. 山 への返信。

      ショーペンハウアーね、1788~1860 19世紀ドイツの哲学者ね・・・
      19世紀前半のドイツ
      ナポレオンの戦火から回復する間もなく、神聖ローマ帝国の崩壊による内戦と混乱・・・
      人口の1/4以上は殺されたとも言われ、結果、封建制度が崩壊した。
      19世紀後半のドイツ
      封建制度からの改革、開放の最中、タイミングよく産業革命の到来もありドイツはヨーロッパの強国となりアフリカ、アジアに植民地を持つようになる。V字回復、どころかV字ロケット!!!!で第一世界大戦に続く・・・
      それはさて置き、個人的にショーペンハウアーあと30年遅く生まれたら・・・時代はその時代を反映する哲学者はある。それだけである。

      さあ、あなたのコメントにもどろう。

      ショーペンハウアー「自殺について」の前半、
      19世紀前半に生きたショーペンハウアーはペシミスト(悲観主義者)の無神論者であることも納得し、書く、当時ドイツの聖職者の迫力の無さも納得する。それだけである。

      以前も書いた、2020年12月12日 1:47 PMコメント抜粋
      人類はただの星屑、偶然の産物と思うなら、
      だれ一人、意義は無く、希望もない。・・・

      要するに、ありのまま情に流され、死にたいときは死に、拡大解釈をされると、殺したいときは殺すとなる。宗教・信仰と関係なく、それはまずいと思うが・・・やはり何か、電気信号だけでなく、根底的な真理はあるのでは・・・
      残念ながらその真理は“人の法”でさえマスター出来ない今の人類にはまだ無理であろう・・・
      “人の法”は前コメント2022年10月28日 3:13 PMに書いてある。

      ショーペンハウアー「自殺について」の後半、とコメントの後半
      正(まさ)しく、自殺を賛美するのは良くない。
      正(まさ)しく、悲哀の世界からの真実の救済の代りに、(自殺を賛美するのは)単なる仮象的な救済・・・

      では何か“真実の救済”であるか。
      19世紀ドイツの社会制度は皆無に等しく、現在の日本と全く違う。

      2021年7月5日 3:45 PMコメント抜粋
      ②世間は理不尽かもしれないが、社会はそれを補う制度はあるので、多いに利用してもらいたい。
      とは言いつつ社会制度は期待の1/3しか及ばないであろう。
      ※人の善意はMAX1/3、善意の限界の説明  2017年2月24日 @ 12:04のコメントに書いている。

      僕が言いたいのは、自分の善意だけに集中し、他人の善意を要望しないのが鉄則、だが頼れる時、部分でもよいので頼ればよいではないか。

      だが、前コメントにも書いた
      “慈悲”、“博愛”などは根本的な解決策にならないと言っている。なぜなら“やさしさ”の“渇き”は本人が満足しなければ底なしである。
      要するに自分が惨めと思えば幾らでも惨めになれるし、それを打開するのも自分しかない。

  101. 当ブログにコメントを寄せる皆さんへ
    免責事項:
    ごめんね、履歴を見ると分かると思うが、僕は乗ってるときは直ぐに再コメントするが、乗っていない時は見ないし、何週間または月単位で放置する場合もある。また全てのコメントに再コメントもしない。
    SNSのようなフロー型のメディアでは無いので、あしからず。
    ご利用の際、ご理解ご了承、願う。

    1. これで終わりにしますと言っておきながらの再投稿をまずお詫びします。
      ただ、あなたのコメントに対してどうしても釈然としないため最後に投稿いたします。

      まず自殺という極めて重いテーマを取り扱っているにも関わらず、乗っている時はすぐ再コメントするが乗っていない時は長期間放置するというあなたのスタンスに疑問を感じます。
      自殺を絶対的に否定するのであればなおさらです。ここに投稿する人のほとんどは賛否はともかく自殺について真剣に考えているはずだから‥。中には一刻の猶予もないほど追い込まれている人もいるはずです。
      次に前回の返答についてですが‥

      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
      “苦しいから自殺したら楽になれる”も根拠はなく無責任であり、弱者を惑わし、自殺へ追い込む。
      ⇨自殺したら楽になれるとは一言も言っていませんよ。この世の苦しい状況に対して自殺を一方的に否定出来ないと言っているだけです。私もあなたも自殺後にどうなるのかなんて断言出来ないのですから。

      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

      思いやりのある言葉遣いを心がけたほうがいいですよについて
      自分だけが“感受性”があるみたいな驕る気持ちはよくないと思わないと・・・
      ⇨生憎、自分に“感受性”があるとは思った事は無いのですが‥。まあ少なくとも今回のやり取りで貴方よりは感受性がある事は認識出来ました。
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

      前コメントにも書いた
      “慈悲”、“博愛”などは根本的な解決策にならないと言っている。なぜなら“やさしさ”の“渇き”は本人が満足しなければ底なしである。
      要するに自分が惨めと思えば幾らでも惨めになれるし、それを打開するのも自分しかない。
      ⇨“渇き”や“惨めさ”の最終的な克服や打開は自分にしか出来ないというのは同意出来ます。自分自身が今直面していますから。
      ただ自殺を否定する人が“慈悲”、“博愛”を解決策にはならないというのは感心できませんね。自殺を本気で否定するのであればまずは“優しさ”や“弱者への思いやり”が必要だと思いますよ。自殺をした人、自殺を本気で考えている人のほとんどはは心が弱ってしまっているのですから。
      自分自身での最終的な克服はその後の話です。

      最後に自分の話になりますが、私も最近自殺をよく考えています。ただ出来る限りは抗おうとも思っています。ただ精一杯抗い、逃げ、相談しても苦しい状況が続くのであれば自殺もやむなしと思っています。
      道教がどういう宗教なのかは存じ上げませんし興味も無いですが、心が弱っているという意味での弱者に寄り添い思いやる気持ちが持てないのであれば宗教家としては失格だと思いますよ。

      長文失礼致しました。

      1. ムックン777 への返信。

        長期間放置するというあなたのスタンスに疑問を感じます。について
        重い内容なので、コメントはよく考えてから、なるべく”お詫びをします”
        のようにしない方が良いと思う。

        一刻の猶予もないほど追い込まれている人もいるはずです。について
        ブログの本質を理解してもらいたい。相談をするメディアではない。
        相談を勧めるなら、みんなの税金で運営している以下に電話を。

        こころの健康相談統一ダイヤル(厚生労働省)
        時間: 都道府県によって異なる。
        0570-064-556  365日

        第1の ~~~~~~~ について
        世界4大宗教を含め自殺の死後を断言している。

        第2の ~~~~~~~ について
        そう感じるこそ驕りだよ。

        第3の ~~~~~~~ について
        死の淵にいる者に寄り添う言葉よりはそこから早く離れてもらう言葉が大切だ。

        後に続くコメントについて
        道教は摂理を説く宗教、優しい言葉はないので、あしからず。

        2022年8月21日 2:47 PMコメントの抜粋
        ・・・死んでから親族、神仏職に救い・供養されることはない。また祖先の行いは霊的に現生の我々を苦しめたり、
        反面、現生の我々の行為が霊的に先祖を苦しめたり、癒されたりすることも無い(強調)

        要するに今、生きている現生でしか物事(来世を含め)を変えることは出来ない。

        信仰は自由なので・・・

        これだけは分かってもらいたい、死んでからは後悔できない、断言できる。
        後悔から学び、それを糧に生きるこそ大事である。

  102. 自殺することで必ず陥ると言った、「生きていたくない」よりもっと悪い状況ってなんだろう

    生まれ育つ環境や教えによって人間のマインドは後天的に大きく変貌する。そうじゃないと生まれ変わってもまた自殺を繰り返すだけでしょう。

    僕よりお金が無くても、いじめられていても、踏ん張って生きようと思える人たちはたくさんいて、僕はたとえ自殺による転生で物質的な環境が悪化しようと、生きたいと思える人になりたい。

    それを期待することが自殺なのではないのかな

    1. あ への返信。

      これは間違えである。

      そうしなければいけないのは今世の自分に対しての自分自身の責任である。
      そうしないと前には進めない。

  103. こんにちは。
    突然のコメントすみません。

    私の主人は、自殺しました。
    200万ほどの借金と、会社のグループ貯金のお金の使い込みがあとから発覚しました。賃貸アパートの自殺だったので、賠償金も多額なため、相続放棄しました。

    最初は主人のことずっと許せないって思ってたけど、時間が経つにつれて同情の気持ちになってます。

    でも自殺する勇気があるなら、打ち明けてほしかったなっていうのが、本音ですけど。

    死んでもなお、彼が苦しむと思うと、悲しいけど、仕方ないことですかね。

    残された者の気の持ちようとか、あったら教えてほしいなと思いコメントしました。

    1. みさき への返信。

      自殺する勇気について
      確かに自殺の瞬間には勇気が必要、だが、自殺の境界にいる人たちはすでにその勇気を越える苦痛を感じているので
      その勇気の割合は小さい、よって些細のきっかけでその境を越えていく。
      健常者の勇気とは違う勇気。

      死んでもなお、彼が苦しむと思うと、悲しいについて
      そこは皆勘違いしている、道教の考えは輪廻転生があるので、死後は次の見やった人生が始まる
      一時的な待機所に過ぎず”死んでもなお苦しむ”ではなく
      ”生まれ変わったとき不利で苦しむ”。
      新しい不利な人生をスタートするのであり、親族、神仏職も含めて救い・供養することは出来ない、
      なぜならもう生きているからである。
      よって悲しむことはない。

      残された者の気の持ちようについて
      この世は家族として法律・世間体の縛りはあるかもしれないが、あの世は個々の行えは個々で判断される。
      ご主人の人生はご主人の責任、あなたの人生はあなたの責任である。
      ご主人の思い出は記憶にとどめて、現在生き続けるあなた自身に集中して欲しい。

      2020年11月22日 3:21 PMコメントの抜粋
      後悔は生きている証し、臆することはない。
      また後悔は良くなりたい証し、同じ轍を踏まないことが大事。

  104. 以前も書きましたがこちらのブログにコメントをするのはよいが、掲示板ではないのでコメントし合うのは承認しないので、あしからず。https://seitenkyu.com/blog2/wp/wp-admin/post.php?post=570&action=edit#comments-form

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