わたしは太極拳の先生ではありませんし、特に何式とかを教えている訳ではありません。
何か”式”をするために”早朝太極拳”に参加される方には誤解がないように書きました。
自画自賛かもしれませんが、聖天宮の外広場で行われる”早朝太極拳”で青空と大地の息吹を感じます。毎回、意識を少しずつ大きく膨らませながら太極拳をするのがとても楽しいです。参加される皆さんにも感じてもらいたいです。
求めれば求めるほど深い太極拳だと思います。
わたしは太極拳の先生ではありませんし、特に何式とかを教えている訳ではありません。
何か”式”をするために”早朝太極拳”に参加される方には誤解がないように書きました。
自画自賛かもしれませんが、聖天宮の外広場で行われる”早朝太極拳”で青空と大地の息吹を感じます。毎回、意識を少しずつ大きく膨らませながら太極拳をするのがとても楽しいです。参加される皆さんにも感じてもらいたいです。
求めれば求めるほど深い太極拳だと思います。
社会の成り立ちとして色んな役割があります。
最初に持つ役割は親の子としての役割、次に人として社会で生きていく役割。
働く人は使われる役割、人を雇うと人を使う役割。
役割は変化していきます。決して固定しているものではないです。
注意してもらいたいのは役割を不運ど努力の怠りでいとも簡単に変化します。
事故、犯罪を犯すなど。
道教的、唯一変わらない人としての役割はどんな状況に置かれても自分の意思で生き続けることです。
前回もまた運命の話をしまた。やはり、道教を話すには運命の話も必要です。占いの運命ではなく、社会の成り立ちとして色んな役割の運命です。社会の多種多様な面に表れ、良くも悪くも、一人一人があてはめられます。この摂理は宿命としてではなく、社会の必然として誰かがしら担わなければならない役割があると言うことです。
したがって、特別な存在であっても、その役割を果たさなければ、形を変え、また別の人が代わりにはいるだけです。
運命は変えられないと以前言いましたが、よく考えるとそんなことはありません。
”運”も”命”も自分の意思で変えられます。例えば親が嫌いだったら絶交して、家出をすればいいし、国籍を外国に変えればいいし、整形、性転換も今ではできるなど。運命を変えるのは本来の運命よりよくなりたいためにすると思いますが、変えることに伴う順応の努力は変えないよりは覚悟が必要と思います。
自分の意思で変えたとしても果たして”運命”を変えたと言えるでしょうか、”変える”のが運命だったりして・・・禅問答ですね。
”運命”の書き込みが多くて誤解を招いているかもしれないが、
目的は占いでないく、いかに”道教”はどう皆様の役に立てるのかを説明するために述べたための知識です。
道教の考えでは社会の多種多様な面には、良くも悪くも、一人一人があてはめられます。
これは社会の成り立ちとして必用な摂理であります。
よく私が言うのは、”世の中、すべての人が医者であっても誰かしらゴミを集めて処理をしなければならない”。
人の心情として、ごみ収集の仕事よりは医者になりたいでしょうが、”道教からすると差はほどんない”、といいたいが・・・