人は所詮人、人も所詮人③

原則・原理ばかり言っていると結局折り合いが付かず、力があるほうが勝つだけ。

多様性と言いながら他の政治体系は容認できない。
20世紀の戦争は全て、幻想である原則・原理が要因であり、正義の名のもとでどれだけ戦争が起き、どれだけ世界の富が無駄にされたか。
原則・原理は所詮人が考えたこと、疑心を持たないと。鵜呑みにすると戦地に行くのはリーダーではなく平民、を忘れないでほしい。

人は所詮人、人も所詮人①

19世紀初頭はナポレオンから、20世紀はファシズムからヨーロッパを救った自負。

攻めたナポレオンとファシズムが負けたので、よって19世紀の戦火、20世紀の戦火が通った国々は4回ごと焦土化される、計8回。

なぜ4回を述べると、
攻めるほうは破壊をしながら攻め、逃げるほうは攻めるほうを遅らせるため破壊をする。
形勢逆転になると今度は攻めて負けたほうが追手を遅らせるため破壊、追手も敵を追いながら破壊をする。

だが、前者は他人の土地を略奪しながら焼き、後者は郷土を焼く。

さて、どちらのほうが恨み深いでしょうか・・・どちらのほうが恐怖を感じているでしょうか・・・

親子のパワーバランスと血の濃さ

半ば強引な手口でさらわれた子供が大きくなり、親に戻ってきたみたいなモノでは。
こどもは新しい環境に慣れ、親に戻るのを嫌がり、
親は子供が帰って来たのをうれしい反面、子供がとる態度に深く傷つく。

親子のパワーバランスを抜きにして、拉致被害者、残留孤児などにも通じる話では。

古代史・近代史の先輩・後輩?

先輩だから”尊敬しろ”と言っていもそれは難しい。反発を食らうだけ。
残念ながら”尊敬”は後輩の志し・善意がなければ成り立たない。

古代史は尊敬しても、近代史は尊敬しない。
古代史は後輩だけど、近代史は先輩かもしれない。
今は近代史なので近代史の先輩として尊敬してもらいたければ近代史に相応しい先輩にならないと。
 
過去の栄光にしがみ付き前へ進まない先輩の方にも問題があると先輩本人が気付くべし。

個人にも当てはまる。

老子が云う”事を成し遂げればそれを捨てる”をした方がよいと思うが。

感じる違い、アクセルとブレーキ

アクセルを強く踏むとエンジンの回転数が上がるため、音、振動はすごい。
また、加速のため、体は後ろへ倒れる。
ブレーキを強く踏むとブレーキ音、ABSの場合でもエンジン音と全然違う。
また、減速のため、体は前へ倒れる。

頭は分かってもいざになると難しいかも。