龍に対しての誤解

よく龍は皇帝の象徴といわれますが、神様の使いなのでもともとお宮しか使われていません。中国の皇帝は己が神様と思っていましたのでお宮と同じ様式を持ちいりましただけのことです。
皇帝がいる時代は皇帝の武力と権力を持って、龍の扱いに制限していましたが、今になるとラーメンの丼でも龍を使う時代になりました。

龍は天災をもたらす
龍は天災を少しでも和らげるために神様より命じられてやって来たので、たまたま人に見られて誤解されているだけです。

昇り龍
龍は神様の使いなの、神様の命を受けて下ってこないと意味がないです。使命が終われば天に戻る。
龍が昇ってばかりでは良くないです。比喩として人が大成するのを龍のように力強く昇っていくのであれば、まあ理解はできますが。

龍の雄雌
以前も申しましたが、龍の雄雌としての概念はない。陰陽のあまたな特性の中に男女の要素があり、男女の違いはごくごく僅かな陰陽の違いから生じていますので、”龍、鳳”と次元は余りにも違いすぎます。

陰陽、男女

神様のお使いの龍と鳳と比べると、男女の陰陽の違いはごくごく僅か。男性は僅か陽が多く、女性は僅か陰が多い。その僅かな違いでも男性は力は強く、女性は忍耐強いといった性質をもちます。龍と鳳の特性にも共通するところがあります。

全般、若い時のほうが陽が多いので男性の力強さも加わるとさらに強く、老いると陽が減るので、晩年女性の忍耐力が効いてきます。多くの陰(かげ)の内需の功を背負うことに慣れた女性のほうが忍耐力がある一因とも思います。

陰陽、龍と鳳

よく、龍には雄雌は有りますか? また、鳳は雄、凰は雌とも言われますが、道教の考えでは龍はほぼ純陽、鳳はほぼ純陰、雄雌はありません。

役割として、龍は陽の創造する力を多くもち、雨を降らしたり、風を起こしたり、昔雨乞いによく龍が現るとされています。鳳はものごとが完全の陰に落ちら無いように維持していく力があります。国が安寧の場合、鳳は現れるとされています。

社会の成立ち④好ましくない役割

神様がいるのになぜ、盗み、殺人、虐待、差別、いじめは生じるでしょうか。
性悪説、または外的対極と説明する宗教、政治も多々ありますがはたしてそうでしょうか。

物理的な体と時間の制限があるがゆえ、人は必然と効率を求めます。さらに顕著になるのは多くの人が集まる社会。社会の中でみんなが同じことをしていたら社会が成り立たないので必然と社会を構成する人と物に役割をもたせます。よって達成感の相違より格差として歪みが生じ、負の要素が生まれます。
では社会を捨て自給自足をするのも一つの解決方法かもしれないが、あまりにも非合理的でなにも生じない。
やはり社会の中で負の要素を理解し、少しでも減らす努力をすることにより普遍の道徳を悟るしかないと思います。

自殺はむしろ逆効果

自殺の相談はたまにありますのでお答えしたいと思います。

自殺は残された家族と周りは大変のと、本人にも百害あって一利なし、むしろ逆効果です。
死んで、新たにスタートをもらえる、そんな甘いことはない!!!
人の3つの要素、”魂”、”魄”、”心”、の”魄”(”物理的な”体”)を捨てるのは物を粗末する大罪であり、”行え”としても大罪です。
宗教を持って苦しむ人を脅すことはあんまりしたくないが、自殺をして、輪廻転生で生まれ変わっても必ず今より酷い所(運命)に行かされます。自殺は再スタートになるとの考えは大間違いです。この世は広く、悪い所(運命)よりも、さらに悪い所(運命)はいくらでもあります。自殺をして今の一瞬を逃れても、悪夢はそのままそっくりプラス大罪を犯した罰、が来世の現実として続きます。
辛いけど、是非、無い所から気力を振り絞っても、人に助けを求めるなど、プライドを捨てるなど、生きることをあきらめないこそが唯一の方法です。現世(残された周りの人の迷惑)、来世(自分の迷惑)を考えると自殺だけは絶対にやめてもらいたいです。

検察キーワード:死ぬ、自殺願望、命を絶つ、希望がない、リストカット、ビルから飛び降りる、いじめ、術がない、後がない、相談、相談できない、助けて、本当は死にたくない、分かってもらいたい

普遍の道徳を悟る

”悪い行え”をしたらすぐに天罰が下り、”善い行え”はすぐに報いられば、あっという間に善い人しかいなくなります。
”普遍の道徳”は”天”にあり、神様は残念ながら直接教えてくれません。見極めるためには知識、勉強、社会の分別も必要と思います、何でも都合のよい訳ではないです。

社会で営む全ての人々を含め、善い者(物)も悪い者(物)も、太極の一部であり、”普遍の道徳”の一側面でもあます。
自分が嫌いな者(物)であっても、受け入れることは無くても、何かを教えてくれるかもしれません。悟りに近づく一歩になると思います。

善い行え、悪い行え

これは一番の曲者です。
人の行いには”普遍の道徳”で評価をされますが、”人”が”人”にたいしての善し悪しの評価は時代と場所と共に変化していきます。
さらに複雑にしているのは運命の良し悪しにより、悪人が大往生しすることもあるし、善人が若くして死ぬこともあります。理不尽と感じることも多々あると思いますが、信じて欲しいのはやはり善い行いは、現世ではないかもしれないが、よい報いがあるとしかいえないです。
”普遍の道徳”は”天”にありますので、人の英知では計り(謀り)きれないと思います。

”天”の評価は”道徳”

”天”の評価は前世の行えに対しての神様の評価です。
与えられた運命を全うされたかどうかの評価です。
評価の基準は”道徳”なので、よって神も仏も信じない人でも善い行え、悪い行えは平等に評価されるのが道教の考えであります。
道教の”道”は”道徳”の”道”ともいえます。”普遍の道徳”は根底にあります。

道教の天国とは

何を天国と指すのは様々と思いますが。
永楽、永生でしょうか。
道教の考えは”魄”が有ると永生は得られないが、無いと”楽”は得られない。よって、”魄”があると永生はない而して永楽もないです。魂、魄、心が揃えている現世こそ”楽”を満喫できます。生きている上で、一時の安らぎも天国に感じるられるのは現世だけと思います。

輪廻転生は神様の評価より決められるので、輪廻転生から脱すれば天国かもしれないが、神様と我々の次元があまりにも違いすぎるので、本当の天国の概念は人の英知では測り(謀り)きれないと思います。よって永楽、永生と言った天国を求めるのは意味がないです。

道教の地獄とは

神様が我々を罰するためわざわざ手は煩わすほど不器用な手法を用いらないと思います。
一番簡単で同じ地獄のような苦しみを人に与えるならば、悪い運命を持つ人たちを一緒にするだけで同じ効果がえられます。

一方的に苦しみを与えるだけではなく、運命が悪いなりに頑張っていくチャンスはくれてます。頑張れば少しは楽になります。のち、その頑張りは評価され、来世の為にもなります。