生きる目的は日々にある

生きても意味がない、生きる目的がないとよく相談される。
道教として、生きる行為そのものが徳積みであり、他人に評価される意味をもたせる必要はない。
道教の道徳の概念からすると、もし気持的に余裕があればその余裕を徳積みに変えていけばよい。徳積みの一番の基本は日々の挨拶。”こんにちは”、”ありがとう”、”たすかります”、身近の人にその余裕を分かち合えるだけでよい。決して背伸びすることは必要ない。

無条件でこれを出来るかどうかは1つの目安。挨拶をしても返事がなく、不愉快と思う時点で徳積みではなくなるのだ。

善行を徳積みに変えて行く

多く徳を積みたい人は善行を徳積みに変えて行く必要がある。
これは余裕のある人がすること。余裕がない人は無理な善行よりは自分の身近で出来る日々の徳積みを確実にしたほうが賢明だ。

ではどうやって善行を徳積みに変えていくのであろう。
簡単に戻せない状態を自分で追い込む必要がある。
何回も上げますが、子供を生むのは1つの例である。1つの命を増やした、徳、だがそれに伴う責任は不退転の決意で踏まえての徳積みだ。

都知事選話題のI氏は最初善行の気持ちは立派で誠実であってと思いますが、徳積みの覚悟は無かったようだ。

徳く積みと善行の違い

”善行”は余裕があるときにすること。気持ちが向いた時、必要と思われたとき、始めやすいし、終わりやすい、プレッシャーはない。一種の趣味に近い。やると損は無いが恩義せがましくなると逆によくない。

”徳く積み”はしないといずれかは困ること。やれば自分のためにはなるがやらないと困るのも自分。プレッシャーはどんどんます。夏休みの宿題のようだ。単純な例を挙げると、歯を磨かないと虫歯になるなど。日々生きているだけでも立派な徳く積みになる。

親子の関係に持つ徳く積み

子を産む徳く積みは純粋かつ崇高であるもう一つ根本的な理由は子はまたその子の子を持つ可能性があるからだ。子孫を残せる可能性は大事。

子を産めないが崇高に近い徳く積みをしたい場合は親子の関係を持つべし。例えば里子を養う、または他の親が棄した役割を拾うこと。だがこの行為は人為的であるがため純粋ではない、また子との血の繋がりがないゆえ、子からは作為的と思われることも多く、維持していくのは実の親子より大変だ。

※因みに、”子を産めば崇高かつ純粋な徳く積みができる”からといい、子供をいっぱい生めばよいと解釈してもらってもいのは、生みたくても生めない人がいるからだ。子供は何人生んでもそれはおめでたいと思うが、現実はあるのでほどほどに。

子を持つのは最高の徳く積み

子が産めるにも関わらずお金が掛かるから産まない選択をする人は増えているとか。どうせ老後、みてもらえる保障もないし、今の生活スタイルを変えたくないし、などの理由を聞く。損得で考えると産まない方が得であろう、が徳く積みに関しては子を持った方が有利だ。

徳く積みは道教の根幹にある。
1人で純粋、かつ崇高な徳くを積めても1人分の徳くに過ぎない。何倍、何十倍の徳くを積みたければ他の人と関わる必要はあるが、他人との徳く積みに別々の損得の絡みがあるゆえ純粋ではない。人として1人以上の最も純粋かつ崇高な徳く積みは親子の関係、なぜなら、子は親の分身、自分が自分に徳くを積ましているようなものだが、子は親の分身がゆえ容赦なく親を攻めたてるのであろう。

親が子に対しての認識

よく、子は親を選べないといわれますが同じ様に親は子を選べません。親は子を生むか生まないかは選べますが、どの様な子が授かるのかは選べません。科学より病気のスクリーニング、また未来には能力、性格までも選べるかもしれませんが、子はへその緒が切れた時点で別の存在です。親はいずれかは子は対等に向き合わなければならない。子を産んだ親は子を生かせる責任はありますが、子は親の言う事に従わなければならない子の責任は厳密にはない。子は親に従うのは子に有利なため、また子自身の徳積みのためのみである。

善行について

善行を頑張るのは現世のためにもなり、来世のためにもなりますが、むやみに善行をするのとはまた違います。自己満足の善行、押し付けがましい善行は受ける側の自助能力をそぐゆえ、よくない場合も多くあります。ケースバイケースで難しいですね。善行を尽くすのであればまずは自分の周りの人からはじめたほうがよいと思います。

親が子に対しての責任

生まれた赤子は親を頼る以外はありません。親になった時点でどう不本意であっても親としての役割と責任を背負わされます。子を死なせずにするのが大前提です。例え里子に手放してもこれも一つ賢明な判断と思います。

子は親から生まれますが、親が無くても子は育ちます。自分で育てられないと判断した場合は誰でもいいので預けてもらいたい。是非、命を大切にしてもらいたい。
父親がいなくても子は生まれますが、物理的に生む母親のほうが真っ先にこのような判断を迫られますので、特に女性は自分を大事にしてもらいたい。親になるのはそれだけ覚悟が必要と自覚して欲しいです。

男女は互いを高める役割

男性は女性より僅か陽が多く、女性は僅か陰が多いと以前はなしましたが、
男性は女性より陽が引き立ち、女性は男性より陰が引き立ちます。
男性の女性より勇気(突破力)が増し、女性は男性より自信(持続力)が増します。一種の魂の化学反応とも言えよう。
これは男女の交わりと関係なく、近くいるだけで起こることです。
生きていく上で男性は女性の持続力、女性は男性の突破力をもって互い安定してきます。

成熟した社会ではこの線引きはゆるくなります。

天災は神様の怒りではない

自然の投稿と同じ例えを挙げますが、神様の怒りにより昨今の大震災は東北の人々の行えのため起きたわけではありません。
ではなぜ天災を神様の怒りのせいにするのでしょう。これは一種の錯覚バイアスです。1万年の歴史もある人類、また全地球に広がっていれば、無機質な自然により善い人も悪い人も同等に傷つけるでいると思います(同等に恵みも受けていますが)。天災は神様の怒りの業ではありません、なぜならば神様は自然に自然を任してあるからです。

自然と同様、神様も我々との次元(時、力)が余りにも違いすぎて人知が理解すことはできません。
以前も申しましたが、神様が下す罰を天罰と称するならば、生まれた運命といがみ合い人間同士を一緒にすることでスマートに与えられるので、わざわざ神様自身の手を煩い、また自然を使うまでもない。
人間からすると自然より神様の方が厄介と思います。自然は無機質であっても、経験また科学の進歩により少しは予測できますが、神様の方はとんでもなく複雑で予測は難しい。以前も申しましたが善いことをすれば必ず良い報い、悪いことをすれば必ず悪い報いがある訳ではありません。神様は何かの法則で動いていると思いますが、どうであれ、悪いことよりは善いことをしてたほうがよいと思います。