”天”の評価は”道徳”

”天”の評価は前世の行えに対しての神様の評価です。
与えられた運命を全うされたかどうかの評価です。
評価の基準は”道徳”なので、よって神も仏も信じない人でも善い行え、悪い行えは平等に評価されるのが道教の考えであります。
道教の”道”は”道徳”の”道”ともいえます。”普遍の道徳”は根底にあります。

道教の天国とは

何を天国と指すのは様々と思いますが。
永楽、永生でしょうか。
道教の考えは”魄”が有ると永生は得られないが、無いと”楽”は得られない。よって、”魄”があると永生はない而して永楽もないです。魂、魄、心が揃えている現世こそ”楽”を満喫できます。生きている上で、一時の安らぎも天国に感じるられるのは現世だけと思います。

輪廻転生は神様の評価より決められるので、輪廻転生から脱すれば天国かもしれないが、神様と我々の次元があまりにも違いすぎるので、本当の天国の概念は人の英知では測り(謀り)きれないと思います。よって永楽、永生と言った天国を求めるのは意味がないです。

道教の地獄とは

神様が我々を罰するためわざわざ手は煩わすほど不器用な手法を用いらないと思います。
一番簡単で同じ地獄のような苦しみを人に与えるならば、悪い運命を持つ人たちを一緒にするだけで同じ効果がえられます。

一方的に苦しみを与えるだけではなく、運命が悪いなりに頑張っていくチャンスはくれてます。頑張れば少しは楽になります。のち、その頑張りは評価され、来世の為にもなります。

”天国”も”地獄”もない

”苦”、”楽”の意味する”天国”も”地獄”もない。
道教の考えでは”人”には3つの要素、魂、魄、心(行え・志し)から出来ており、死ぬと3つに分かれます。”魂”は”輪廻転生”よりリサイクルされ、”魄”は”地”でリサイクルされ、心は”行え”として”天”で評価され、来世の運命を決めます。

”苦”、”楽”を味わえるにはこの3つの要素が一緒になっている現世しかないので、死んでからの天国も地獄もないと思います。

前世は無意味である①

道教には輪廻転生の概念もあり、前世の行いが現世に影響をする考えもあります。
前世の行いは過ぎたことなので今から何か出来るわけではないので無意味と思います。前世クレオパトラであっても、全ての前世が具現化して現世になっているので、”現世を頑張ればよい”、現世利益の強い宗教です。

太極拳について

わたしは太極拳の先生ではありませんし、特に何式とかを教えている訳ではありません。
何か”式”をするために”早朝太極拳”に参加される方には誤解がないように書きました。

自画自賛かもしれませんが、聖天宮の外広場で行われる”早朝太極拳”で青空と大地の息吹を感じます。毎回、意識を少しずつ大きく膨らませながら太極拳をするのがとても楽しいです。参加される皆さんにも感じてもらいたいです。

求めれば求めるほど深い太極拳だと思います。

社会の成立ち③変化する役割の危うさ

社会の成り立ちとして色んな役割があります。
最初に持つ役割は親の子としての役割、次に人として社会で生きていく役割。
働く人は使われる役割、人を雇うと人を使う役割。
役割は変化していきます。決して固定しているものではないです。
注意してもらいたいのは役割を不運ど努力の怠りでいとも簡単に変化します。
事故、犯罪を犯すなど。
道教的、唯一変わらない人としての役割はどんな状況に置かれても自分の意思で生き続けることです。

社会の成り立ち②宿命はない

前回もまた運命の話をしまた。やはり、道教を話すには運命の話も必要です。占いの運命ではなく、社会の成り立ちとして色んな役割の運命です。社会の多種多様な面に表れ、良くも悪くも、一人一人があてはめられます。この摂理は宿命としてではなく、社会の必然として誰かがしら担わなければならない役割があると言うことです。
したがって、特別な存在であっても、その役割を果たさなければ、形を変え、また別の人が代わりにはいるだけです。

運命⑥変えられる?

運命は変えられないと以前言いましたが、よく考えるとそんなことはありません。

”運”も”命”も自分の意思で変えられます。例えば親が嫌いだったら絶交して、家出をすればいいし、国籍を外国に変えればいいし、整形、性転換も今ではできるなど。運命を変えるのは本来の運命よりよくなりたいためにすると思いますが、変えることに伴う順応の努力は変えないよりは覚悟が必要と思います。
自分の意思で変えたとしても果たして”運命”を変えたと言えるでしょうか、”変える”のが運命だったりして・・・禅問答ですね。

社会の成り立ち①平等?

”運命”の書き込みが多くて誤解を招いているかもしれないが、
目的は占いでないく、いかに”道教”はどう皆様の役に立てるのかを説明するために述べたための知識です。

道教の考えでは社会の多種多様な面には、良くも悪くも、一人一人があてはめられます。
これは社会の成り立ちとして必用な摂理であります。
よく私が言うのは、”世の中、すべての人が医者であっても誰かしらゴミを集めて処理をしなければならない”。
人の心情として、ごみ収集の仕事よりは医者になりたいでしょうが、”道教からすると差はほどんない”、といいたいが・・・