民主主義は所詮10の2のため

そもそもアクロポリスで生まれた民主主義は人口の2割の”民”のみが参加し、女性と奴隷と外国人を含む8割は参加できない。

歴史上全ての民主主義はそうと思う。例えば、今現在の民主主義はグローバル化し、規模が大きくなっただけで、やはり2割の”民”(先進国)をその民主主義に参加できない8割(外へ外への安い労働、安い資源)で支えている。やはり民主主義は古代と差ほど変りなく所詮10の2のため。人は昔から相変わりがないとゆうことだ。

番外:歴史注意・トランプとヒットラーは違う

ポピュリズムを使う政治家は”ヒットラーだ!”と狼少年のように歴史の闇で人の憎悪を煽ることはよくない。

トランプとヒットラーとの違い。
①ポピュリズムにより最高司令官になったかもしれないが、投獄と粛清の手段は使っていない。
②領土領海の奪還・併合の主張はない。
③義理の息子と娘、ユダヤ教の2人は健在であること。

歴史上、今の尺を安易に昔の出来事に当てはめるのも注意必要が、同じ様に安易に昔の尺を今の出来事に当てはめるのも注意が必要。

歴史の纏わる悪口は程々に

勝った、負けか、侵した、侵されたのどちらであろうと歴史に纏わる悪口はほどほどにするべき。簡単に4パタンがある。①侵して勝つ、②侵して負ける、③侵されて勝つ、④侵されて負けるどれもよくない。

私生活もそうと思うが、ずうっと人の悪口を言い続けると、最初を面白半分で同情をもらえるが、最後は第三者までもしらける。
器の小さい、他人とやっていけない人と思われるだけ損。
ましてはその十字架を子孫まで背負わせるのはどうかと思う。

国同士のいざこざに特に当事者でもない子孫たちが猛々しく憎悪を煽動することは痛ましく堪らない。悪い政治に利用されるだけ。前線に立つのはそうさせる政治家じゃないのを忘れるな。

歴史から何を学ぶ

最近のニュースを見るとどうしても以下を繰り返したい。

歴史を学ぶこころえ
一・”歴史は二の轍を踏まないようにとあくまでも自分に対しての教訓とする。”
一・”現在の尺で過去を測ってはいけない。”

戦争を一例としてあげると、勝った、負けか、侵した、侵された、と関係なく関わる全ての者が知るべき。

人は有限がゆえ平等は有得ない

例えばお腹が空いている全ての人に全く同じおにぎりを配ろうとする。また、おにぎりは絶対に絶えることはないとして、どんどん配っていく。だが、同じおにぎりでも配る、先(サキ)、後(アト)があり、先に貰う人は先に食べるのであろう。
欲しい人がどんどん増えると、貰える時に差があるので同じおにぎりでも不平等を感じる。
まして人生にはそのおにぎりは幾つ有るのか、また存在するかしないかでさい分からないのでなおさら不平等を感じる。

唯一平等にするのは同じおにぎりを同じ瞬間すべての人に配ること。
サンタさんみたいなもんですね。

”親”と謂う漢字を再確認

よく”親(おや)”と謂う漢字は”木”の上に”立”って”見”る”、解釈として親は俯瞰的視線からもの事を見て子を導くといわれるが、はたしてそうでしょうか。漢和辞典によると”親”の漢字の解字は別の意味を指す。「ナイフで身を切るように身近に接して見ていること。」と書いている。
親と子の間は決して俯瞰的ではなくむしろ至近的で生々しさでさい感じる位な距離となる。距離が近いゆえ、傷き合う可能性も高いとのことであろう。

”親”は”親族”の”親(しん)”でもあるのでやはり俯瞰的よりは至近的である。

差別は原動力になる

人は有限がゆえ、差別をして優先順位を決め、生きていく上では大事な原動力となる。

例えば、差別化をして品格、品質、品種をどんどん突き詰めて行くと、文化、ブランド、美味しいものになるのである。反面もあるので注意は必要。善くも悪しくも差別が大きければ大きいほど大きいな原動力になる。

天公、自然を司る神様

道教のお宮には屋根がある外に置く香炉がある。
道教の本格的参拝は6本のお線香を持ち、外向きに天を仰ぎ、「天公」一礼をしてから3本挿し、3本はお宮の中の主神に向き、膝をついてからのお願いになります。

「天公」の参拝の真意である、自然の恵み(脅威)は差別なく与えられるので
感謝と畏敬を示す一礼をするため。お願いはしなく、膝もつかない。

生きるための方針

以前も話した、生きるのは自分を構成する34億の細胞に対しての責任と、来世を信じるのであれば、徳積みをして来世のためにある。

具代的に例をあげてみましょう。
陰陽で考えると、先ず平均寿命の真ん中として、人生前半と後半と分け、それに加えて自分に対しての意欲の有無と4つに分類が出来る。

一番向いている生き方はこうなる。
①人生前半で意欲が有る人は意欲にまっしぐらに進めばよい。特にアドバイスは無いが、ペースを上げすぎるとまた、周りの人に気を配らないと挫折をしやすい。
②人生前半て意欲が無い人は人と向き合うより自然と向き合あうことがよい。とくに物作り、研究がよい。なぜなら、自然は正直であり、そこから①になるように目標を見つけるでしょう。
③人生後半で意欲のある人は人間関係をよくするとよい。例えば、後世、子孫、後輩の育成に努める。何故なら、身体と精神にギャップがあり、無理をすると病気、怪我に繋がる。物理的に弱くなったことを認識する。
④人生後半で意欲の無い人は介護、また人の後始末に関わる仕事がよい。なぜなら、来世を信じなくても、無理なく来世の徳積みがで来る。目標がどうしても見つけなく、どうしても③になれなければこれが一番よい。