上に立つ人は自ら不利を被るべき

独裁、統治力、義勇軍、テロリスト、セクハラ、スキンシップ・言葉遊び。
表には必ず裏がある。上に立つ人は威厳を保ちながら不利の心構えが必要。

独裁と言われない様に振る舞うこと。
他人はむやみテロリストと呼ばない。
セクハラにならない様、親しい中でも礼儀は大事。

上に立つ人の問題回避のすべ

予算と人員が乏しい団体はともかく、人員もお金もある団体としての想像力は著しく欠けている。

事が起きてから対処したり、また、たまたまその場に居合わした現場の者に責任を押し付けたりするのは上に立つ人として情けない。

男性の看護師を同伴したり、または男性の関係者の誰かに看護師の資格をとらしたりすれば一石二鳥。”生死をかけた力比べ”と云う割に救命体制はお粗末。

自殺を選ならば真実を述べよう。

自殺をもって守らなければならない大義はもはや大義ではない。
自殺は真の大義の妨げになるだけ。

真実を暴くのはやはり生きて、その真実を語り続けなければならない。死をもってその責任を終えたとの考えは、真実を暴くものとしての覚悟がたりない。

上としての役割と退く覚悟

師弟、先輩後輩、年長年少、親子もそう。
上は常に伸びていれば下は随うが、もし上の役割が下を伸ばすのであれば下が上より伸びることは喜ばしいはす。上が下の伸びを妨げるのはただの傲慢にすぎない。

下が伸びたなのか、または上が伸び悩み、または縮んたのかの見極めが必要。

人の本能と片親の難しさ

”子は両親、父、母が無ければ育たない”、”子育ては1人親ができるような生半な覚悟ではできない”。

一生懸命子育てをしても、片親は所詮家庭を持てない、半人前でしか思われない。この蔑む感情はすべて悪意からでなく長年社会で培った経験と子を思う本能からと思うが、
片親の人格を疑うのみならず、その下で育った子にまでその感情が向かうのが残念。

対話は忍耐、但し忍耐は不効率

腕力を使わずに敵視する相手を説得する、特に国、文化、宗教も違うのはほぼ不可能である。これは人の物理的限界の一つであり、人は人を説得する人として耐えられない忍耐は必用となる。ゆえに腕力を共合わない対話はやはり説得力はないようだ。