子を持つのは最高の徳く積み

子が産めるにも関わらずお金が掛かるから産まない選択をする人は増えているとか。どうせ老後、みてもらえる保障もないし、今の生活スタイルを変えたくないし、などの理由を聞く。損得で考えると産まない方が得であろう、が徳く積みに関しては子を持った方が有利だ。

徳く積みは道教の根幹にある。
1人で純粋、かつ崇高な徳くを積めても1人分の徳くに過ぎない。何倍、何十倍の徳くを積みたければ他の人と関わる必要はあるが、他人との徳く積みに別々の損得の絡みがあるゆえ純粋ではない。人として1人以上の最も純粋かつ崇高な徳く積みは親子の関係、なぜなら、子は親の分身、自分が自分に徳くを積ましているようなものだが、子は親の分身がゆえ容赦なく親を攻めたてるのであろう。

親が子に対しての認識

よく、子は親を選べないといわれますが同じ様に親は子を選べません。親は子を生むか生まないかは選べますが、どの様な子が授かるのかは選べません。科学より病気のスクリーニング、また未来には能力、性格までも選べるかもしれませんが、子はへその緒が切れた時点で別の存在です。親はいずれかは子は対等に向き合わなければならない。子を産んだ親は子を生かせる責任はありますが、子は親の言う事に従わなければならない子の責任は厳密にはない。子は親に従うのは子に有利なため、また子自身の徳積みのためのみである。

善行について

善行を頑張るのは現世のためにもなり、来世のためにもなりますが、むやみに善行をするのとはまた違います。自己満足の善行、押し付けがましい善行は受ける側の自助能力をそぐゆえ、よくない場合も多くあります。ケースバイケースで難しいですね。善行を尽くすのであればまずは自分の周りの人からはじめたほうがよいと思います。

親が子に対しての責任

生まれた赤子は親を頼る以外はありません。親になった時点でどう不本意であっても親としての役割と責任を背負わされます。子を死なせずにするのが大前提です。例え里子に手放してもこれも一つ賢明な判断と思います。

子は親から生まれますが、親が無くても子は育ちます。自分で育てられないと判断した場合は誰でもいいので預けてもらいたい。是非、命を大切にしてもらいたい。
父親がいなくても子は生まれますが、物理的に生む母親のほうが真っ先にこのような判断を迫られますので、特に女性は自分を大事にしてもらいたい。親になるのはそれだけ覚悟が必要と自覚して欲しいです。

男女は互いを高める役割

男性は女性より僅か陽が多く、女性は僅か陰が多いと以前はなしましたが、
男性は女性より陽が引き立ち、女性は男性より陰が引き立ちます。
男性の女性より勇気(突破力)が増し、女性は男性より自信(持続力)が増します。一種の魂の化学反応とも言えよう。
これは男女の交わりと関係なく、近くいるだけで起こることです。
生きていく上で男性は女性の持続力、女性は男性の突破力をもって互い安定してきます。

成熟した社会ではこの線引きはゆるくなります。

天災は神様の怒りではない

自然の投稿と同じ例えを挙げますが、神様の怒りにより昨今の大震災は東北の人々の行えのため起きたわけではありません。
ではなぜ天災を神様の怒りのせいにするのでしょう。これは一種の錯覚バイアスです。1万年の歴史もある人類、また全地球に広がっていれば、無機質な自然により善い人も悪い人も同等に傷つけるでいると思います(同等に恵みも受けていますが)。天災は神様の怒りの業ではありません、なぜならば神様は自然に自然を任してあるからです。

自然と同様、神様も我々との次元(時、力)が余りにも違いすぎて人知が理解すことはできません。
以前も申しましたが、神様が下す罰を天罰と称するならば、生まれた運命といがみ合い人間同士を一緒にすることでスマートに与えられるので、わざわざ神様自身の手を煩い、また自然を使うまでもない。
人間からすると自然より神様の方が厄介と思います。自然は無機質であっても、経験また科学の進歩により少しは予測できますが、神様の方はとんでもなく複雑で予測は難しい。以前も申しましたが善いことをすれば必ず良い報い、悪いことをすれば必ず悪い報いがある訳ではありません。神様は何かの法則で動いていると思いますが、どうであれ、悪いことよりは善いことをしてたほうがよいと思います。

自然とどう順応

”自然に順応”=”昔に戻る”ではありません。人類は問題を抱えなも技術革新、教育により60億人まで増えてきました。これは昔の様々な飢饉、疫病、悪政、偏見に打ち勝ち、勝ち取った栄光と私は思います。
だだ自然と我々の次元(時、力)が余りにも違いすぎて、謙虚な気持で自然と向き合わなければならない。

一例ですが、一番簡単な自然との順応は自然が起こす天災の通り道からそれることです。地震のない所に行けば地震はない、津波が及ばない所に行けば被害はない、それだけです。人類は技術により自然を少しずつ予知で来るようになりましたが、想定外がまだ多々あるので自然に対しての安全と言った神話はないと思います。

天災は自然の怒りではない

天災は自然が崩れたバランスを戻そうとする役割を果たしているだけで、決して自然の怒りではありません。
例えば、昨今の大震災は東北の人々の行えにより起きたわけではありません。
たとえ人間の営みにより地球温暖化が進み、天候不順になっても、それは自然の怒りではなく、ただ淡々とバランスを取り戻どそうとしている自然本来の役割を果たしているだけで、決して人間を意識している訳ではありません。自然と我々には余りにも次元が違いすぎて我々の存在を意識するまでもなく、存在すら知らないかもしれません。我々が自然に順応した方が賢明と思います。

龍に対しての誤解

よく龍は皇帝の象徴といわれますが、神様の使いなのでもともとお宮しか使われていません。中国の皇帝は己が神様と思っていましたのでお宮と同じ様式を持ちいりましただけのことです。
皇帝がいる時代は皇帝の武力と権力を持って、龍の扱いに制限していましたが、今になるとラーメンの丼でも龍を使う時代になりました。

龍は天災をもたらす
龍は天災を少しでも和らげるために神様より命じられてやって来たので、たまたま人に見られて誤解されているだけです。

昇り龍
龍は神様の使いなの、神様の命を受けて下ってこないと意味がないです。使命が終われば天に戻る。
龍が昇ってばかりでは良くないです。比喩として人が大成するのを龍のように力強く昇っていくのであれば、まあ理解はできますが。

龍の雄雌
以前も申しましたが、龍の雄雌としての概念はない。陰陽のあまたな特性の中に男女の要素があり、男女の違いはごくごく僅かな陰陽の違いから生じていますので、”龍、鳳”と次元は余りにも違いすぎます。

陰陽、男女

神様のお使いの龍と鳳と比べると、男女の陰陽の違いはごくごく僅か。男性は僅か陽が多く、女性は僅か陰が多い。その僅かな違いでも男性は力は強く、女性は忍耐強いといった性質をもちます。龍と鳳の特性にも共通するところがあります。

全般、若い時のほうが陽が多いので男性の力強さも加わるとさらに強く、老いると陽が減るので、晩年女性の忍耐力が効いてきます。多くの陰(かげ)の内需の功を背負うことに慣れた女性のほうが忍耐力がある一因とも思います。