人の本能と片親の難しさ

”子は両親、父、母が無ければ育たない”、”子育ては1人親ができるような生半な覚悟ではできない”。

一生懸命子育てをしても、片親は所詮家庭を持てない、半人前でしか思われない。この蔑む感情のすべては悪意からでなく長年社会で培った経験と子を思う本能からと思うが、
片親の人格を疑うのみならず、その下で育った子にもその感情が向けられるのが残念。

対話は忍耐、但し忍耐は不効率

腕力を使わずに敵視する相手を説得する、特に国、文化、宗教も違うのはほぼ不可能である。これは人の物理的限界の一つであり、人は人を説得する人として耐えられない忍耐は必用となる。ゆえに腕力を共合わない対話はやはり説得力はないようだ。

法は許す、ネットはさせもしない

法律は被害者の救済を主とするが実は加害者の救済も含む。
心情として被害者は加害者にもっと重い刑を望み、加害者は保身のため減刑を望むであろう。よって双方が100%納得する判決などはありえない。判決は唯一双方に与えられるのは、値はともかく、一つの区切りである。
法律の理念として”想定無実”、”時効”、”執行猶予”などは人の根底にある善意、許す一面を反映していると思いたい。

ネットはそう言った許すシステムはなく、加害者も被害者も終焉を迎えることは出来ない。

国際政治は正義ではなく利害だ

正義はいくら正しくても、相手を説得する決め手にはならない。
正義の度合いはどこまで相手の共感と善意を引き出せることに尽きる。

文化、政治体系の違う国から正義を求めても無理と思わないと。
国際政治は正義で覆われている利害と思え。

覚える、忘れるの良し悪し

覚えるの大事だが、忘れるのも大事。
覚えるのは良くないが、忘れるのもよくない。

例えば
覚えて同じ間違いを起こさないのはプラス。
覚えて許さないのはマイナス。

忘れて許すのはプラス。
忘れて同じ間違いを繰り返すのはマイナス。

国と国の間はどうしてもマイナス面の方が働く、
政治的に有利なのでしょうか。残念。

口で従うのは妙技と思え

噛むことなく口で人を従わせるのは妙技と思え。先ず必要になるのは双方の言葉への理解力、価値観、受け手の善意、送り手に対しての信頼も必要であろう。
言葉も違う、価値観も違う、別の文化にもなると尚更むつかしくなる。相当な努力・忍耐を要する。

同じモンゴル、同じ志し、同じ組織のもとでも口だけでは解決ができない問題がるようだ。