人は有限がゆえ平等は有得ない

例えばお腹が空いている全ての人に全く同じおにぎりを配ろうとする。また、おにぎりは絶対に絶えることはないとして、どんどん配っていく。だが、同じおにぎりでも配る、先(サキ)、後(アト)があり、先に貰う人は先に食べるのであろう。
欲しい人がどんどん増えると、貰える時に差があるので同じおにぎりでも不平等を感じる。
まして人生にはそのおにぎりは幾つ有るのか、また存在するかしないかでさい分からないのでなおさら不平等を感じる。

唯一平等にするのは同じおにぎりを同じ瞬間すべての人に配ること。
サンタさんみたいなもんですね。

”親”と謂う漢字を再確認

よく”親(おや)”と謂う漢字は”木”の上に”立”って”見”る”、解釈として親は俯瞰的視線からもの事を見て子を導くといわれるが、はたしてそうでしょうか。漢和辞典によると”親”の漢字の解字は別の意味を指す。「ナイフで身を切るように身近に接して見ていること。」と書いている。
親と子の間は決して俯瞰的ではなくむしろ至近的で生々しさでさい感じる位な距離となる。距離が近いゆえ、傷き合う可能性も高いとのことであろう。

”親”は”親族”の”親(しん)”でもあるのでやはり俯瞰的よりは至近的である。