民主主義の権利と責任

北朝鮮の憲法にはチュチェ思想、イランの憲法にはイスラム法、明治憲法には天皇制を普遍的で変えることは出来ない根幹はありますが、民主主義の憲法にそれはないはず。例え民の意志で民の主を放棄したとしてもその選択筋は残さなければならない。
民が民を常に主とするならば民の権利だけではなくその責任も担う必要がある。

民主主義憲法唯一の存続意義

民主主義憲法が国家の形態としてあり続ける唯一の意義は”常に民意に晒されること”。

ひと時代の一時の一握りの人が創った憲法は未来永劫の民意を象徴しない、ありえない。例え、善意のもとで創建された憲法であっても固定をすればそれはもはや憲法ではない。民意があっての憲法、その逆ではない。

民衆主義の憲法は所詮理想主義

民衆主義の憲法の創憲も所詮その時代を反映しているに過ぎない。
例えば、アメリカ合衆国の憲法は独立からゆえの創憲なので理想は高く、日本憲法は、立案の経緯はともかく、敗戦後、天皇を含め、人々の”もう戦争は凝り懲りだ”を反映している。当時の民意の善意を反映し、たかが、されど、230年、70年に過ぎない。

人の善意は所詮人レベル

人は有限なので人の善意は所詮人の主観を色濃く反された限定的なものである。
行き過ぎた善意は大抵長続きはしない。特に政治の上では他人を批判する本人たちも同じ立場に置かれると批判される側に立たされる。人の善意は所詮そう多くはなく、立場で簡単に変わるものだ。